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十九世紀後半から二十世紀に前半にかけて、高次の神霊的世界を洞察する能力を持った秘儀参入者として、ドイツとスイスを拠点に『人智学』を広めたルドルフ・シュタイナー(一八六一―一九二五)という人物がいたことをご存知でしょうか。
また、シュタイナー出生の約十年後に、日本においても京都府綾部を拠点に、偉大な霊能者として活動した大本教の出口王仁三郎(一八七一―一九四八)という人物がいたことをご存知の方は多いのではないでしょうか。
しかし、この同時代を生きた類稀な二人の天才の言動の間に、極めて重大な符合点が存在することを知る人はほとんどいないのではないでしょうか。また、それを論理的に証明した文献は今日まで全く存在していないと思います。
ところが、彼らの言動を注意深く洞察してゆくとき、両者の間には偶然とは言い難い非常に多くの符合点を発見することができるのです。例えば、出口王仁三郎は自身を仏典における弥勒菩薩の下生した存在としていますが、彼の足跡や大本の歴史を紐解く時にはキリスト教の要素が色濃く暗示されており、その一方で祭祀の形式は神道的であるという多面性をもっています。また、ルドルフ・シュタイナーも人智学の講義において、弥勒菩薩の転生について「弥勒仏の説法は、キリストの力が浸透したものです。弥勒仏の生涯はキリストの生涯と同じ型をとるであろう、ということが霊的な探求の結果から明らかにされています。」といった言葉を残しているのです。
そして、彼らのこうした符合の一つひとつと世界の歴史とを照合する時、それは単なる共通点というだけではなく、彼らの生きた二十世紀初頭に人類にとって極めて重大な神的事実があったことを明確に証明することができるのです。それは、同時に出口王仁三郎の「霊界物語」や「三鏡」、ルドルフ・シュタイナーの「アカシャ年代記」や「エーテル界へのキリストの出現」といった書籍が霊的真実であるという証明にも繋がるのです。
しかしながら、本書のタイトルはシュタイナーを師と仰ぐ人智学者の方々にとっても、また大本関連組織において出口王仁三郎を聖師と仰ぐ方々にとっても、到底納得のできない異端者の狂言だと感じられるかもしれません。勿論、決して鵜呑みにせずに、読者の経験に照らし合わせて賛否していただくべき内容であるとも感じております。
ただ、歴史を紐解けば、互いの宗教の違いによって如何に多くの人々が憎しみ合い傷つけ合ってきたかは明白な事実です。シュタイナーの創設した人智学協会も、活動の範囲の拡大に伴い各分野の専門家の意見が対立し分裂する傾向にあったために、一般人智学協会として改めて創設した歴史があります。また、大本創設当事における出口王仁三郎の活動に対しても、賛否両論の意見が飛び交い収拾のつかない時代を経ています。さらに、王仁三郎の率いた大本は、国家からも二度の弾圧を受け、多くの神殿や資料を失いましたし、シュタイナーもスイスに建設した第一ゲーテアヌムという教会と舞台を兼ねた芸術的建造物を放火によって焼失しているのです。
したがって、こうした二人の歩んだ歴史からも、高次の霊的な認識能力のない我々凡人が、二人の偉人の言葉に対する態度として何にも増して必要な事は、『双方の対立する点を批判し合う態度ではなく、双方の共通点を互いに認め、いかに真実性を高めてゆくことができうるのか』という一点にあると感じるのです。実際、シュタイナーも王仁三郎も共に、排他的な思想を退け、万教同根や諸宗教を合流させる立場を貫いた人物であり、真実を語ったことによってのみ真実でない思想を否定していたはずなのです。
本書の第一章で抜粋したシュタイナーの弥勒菩薩についての講義の中で、シュタイナーは「どうか私が語ったからという理由で信用するのではなく、歴史や特に自分自身の経験に照らし合わせて確認して欲しいのです。……皆様の知的考察能力を通して私の話しを吟味してほしいと思います。」と語っています。したがって、本書のテーマは、筆者の知的考察力を通して両者の言葉を吟味し、両者の真実性を明確に証明する試みであるといえます。
また、筆者は、シュタイナーの創始した人智学協会に所属しておりませんし、大本の関連団体とも一切関係を持たない人間ですが、人智学者でない者が人智学と言う言葉を使用し、関連教団において出口直開祖、出口王仁三郎聖師と呼はれている方々を呼び捨てにして記載することを、予めお許しいただきたいと思います。
ルドルフ・シュタイナーと出口王仁三郎の符合 トップページ
出口王仁三郎と大本
ルドルフ・シュタイナーと人智学協会
ルドルフ・シュタイナーと出口王仁三郎の符合』 概要
第一章 シュタイナーの弥勒菩薩の講義に符合する出口王仁三郎の足跡
(一)進化した人々が一九三〇年代から一九四〇年代にかけて地上に現われることについて
(三)キリストが再び肉体の中に現われることはないことについて
(二)今から三千年後に仏の位階に達し、弥勒仏として最後の地上での人生を送ることについて
(二)弥勒仏の福音は「そして肉は言葉となった」と記されることについて
(一)弥勒菩薩はどの転生に於いても「三十歳頃に別の自我が入る」型の生涯を送ることについて
(二)菩薩が三十歳ないし三十一歳の時に、全く異なった霊格を現すことについて
(一)弥勒菩薩が三十歳から三十一歳にかけて、自らが自分の本性を明かすことについて
(二)二十世紀の弥勒菩薩が、自分自身の言葉の力で世界の前に立つことについて
(一)仏陀の流れと、キリストの流れ、という二つの霊的生命の流れについて
(二)弥勒菩薩が弥勒仏となるまで、各世紀毎に地上に受肉することについて
(三)釈迦が菩提樹の下で悟りを開いてから五千年後に、弥勒が最後の受肉をすることについて
第二章 シュタイナーが預言した「聖書の預言の成就」と大本弾圧の符合
(五)シュタイナーの「魂の大樹」と出口王仁三郎の「足魂・生魂」
■四■ マニ教のマニと薔薇十字会のクリスティアン・ローゼンクロイツ
(四)クリスティアン・ローゼンクロイツと薔薇十字会の霊的経緯
■五■ シュタイナーが明かした空洞化したフリーメーソン結社の実態
■六■ シュタイナーが預言した「聖書の預言の成就」と大本弾圧の符合
■七■ エジプト神話のオシリス・大本の国常立尊・無花果の符合
(三)国常立尊の一輪の秘密とモーセが持ち出したエジプトの秘密
(五)エジプトの秘儀・聖書・仏典による無花果の解釈(その1)
(六)エジプトの秘儀・聖書・仏典による無花果の解釈(その2)
(七)エジプトの秘儀・聖書・仏典による無花果の解釈(その3)
■八■ イエス・アポロン・少名彦神の符合と神界と現界の救世主
(十一)人智学における聖杯伝説と大本神諭・霊界物語の黄金の釜と玉の秘密
■二■ ムー大陸・レムリア大陸・アトランティス大陸
(一)レムリア大陸とムー大陸の環境と人々の生活
(二)アトランティス時代の人間と羽や角の生えた半獣人(その1)
(三)アトランティス時代の人間と羽や角の生えた半獣人(その2)
(四)アトランティス時代の人間と羽や角の生えた半獣人(その3)
■四■ 高次の秘儀参入者に共通する『神と宇宙』『神と悪魔と人間』
(八)謙虚の徳に支えられる万教同根の思想(その2:万教同根)
(九)謙虚の徳に支えられる万教同根の思想(その3:世界統一)
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コンセプト - 咲杜憩緩