mso-ansi-language:EN-US;mso-fareast-language:JA;mso-bidi-language:AR-SA'>第一章 シュタイナーの弥勒菩薩の講義に符合する出口王仁三郎の足跡mso-ansi-language:EN-US;mso-fareast-language:JA;mso-bidi-language:AR-SA'>第一章 シュタイナーの弥勒菩薩の講義に符合する出口王仁三郎の足跡
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                The agreement of Rudolf Steiner and Onisaburo Deguchi
                   ルドルフ・シュタイナーと出口王仁三郎の符合
                                                                   咲杜憩緩

 ■三■ 弥勒菩薩の転生と弥勒仏


シュタイナーによる弥勒菩薩についての講義より

 

「今までの話から、第五、第六、第七文化期を通して、地上におけるキリスト衝動はますます力強いものになってゆく、ということがお分かりいただけると思います。第六文化期には不徳は地を殺すと申し上げました。不道徳によって知性が欠けてしまった人間は、強い決意のもとにキリストに歩みを向ける必要があります。そうすれば、キリストは徳の力を注ぎ込んでくれるのです。

そのことは、十三世紀以来、薔薇十字会によって詳細に探求されてきました。そして、多くの神秘学者によって確認されてきました。キリストが肉体をもって地上に再来するというのは誤りです。ナザレのイエスの肉体の中におけるキリストの地上での三年間の生涯が、地球の進化の唯一の支点なのです。

徳の発展は地球の進化の衝動とは少し異なります。ゴルコタの秘蹟が生ずる前、仏陀の後を継ぐ一人の菩薩が地上に受肉し、ゴルコタの秘蹟の準備をしました。ナザレのイエスの生まれる一世紀前に、この菩薩はパンディラのイエス(神智学的には、エッセネ派教団を霊的に指導する使命をもっていたとされる人物)の中に受肉しました。仏陀の後を継ぐ菩薩であるパンディラのイエスと、キリストと呼ばれる宇宙存在に三年間貫かれたナザレのイエスとは、別の存在です。パンディラのイエスの中に受肉した菩薩は何度も地上に出現します。そして、今から三千年後に仏の位階に達し、弥勒仏として最後の地上での人生を送るのです。――後略――」

 

以上は、R.シュタイナーの邦語訳書『仏陀からキリストへ』(書肆風の薔薇)第七講より、『弥勒菩薩の特徴』の講義の一部を抜粋

(一)仏陀の後を継ぐ菩薩であるパンディラのイエスについて

 

 シュタイナーは、インドの古い伝説から、弥勒は釈迦が浄飯王(じょうぼんのう)の子として地上に下る以前に、霊界で菩薩の王冠を手渡されたと述べています。この時から弥勒は、弥勒菩薩として地上に下り、人類の進化に特別の任務を帯びるようになったというのです。

 

 そして、ナザレのイエスのおよそ百年前に、タルムード文献に登場するパンディラの子、イエス(イエス・ベン・パンディラ)としてエッセネ派教団を指導し、テラペウス教団とエネッセ派の動きを霊的に指導する任務に着手したといいます。

 このイエス・ベン・パンディラは、エッセネ派の教義の中に神の冒涜を感じた者たちによって、涜神者、異端者として告訴され、石で撃ち殺されて木に吊るされ、処刑された上に汚辱を加えられたと伝えられています。

 

 さて、出口王仁三郎は、大本において活発な布教活動をしますが、第一次大本事件で国家から過酷な弾圧を受けています。その際、仮釈放の身で向った蒙古の地では銃で処刑される寸前に救われます。

 その後、第二次大本教事件で二度目の弾圧され自身も拷問を受けています。また、こうした弾圧の原因は、当時の天皇の存在を利用した軍国主義に反した言論を行ったためでもあるのです。

 さらに、王仁三郎は、「キリスト教には、父と子はあっても母がない。マホメット教(イスラム教)も、またその通りである。仏教は一切が無であって、父もなければ母もなく、ただ人間あるのみと説いている。なぜならば、唯心(ゆいしん)の阿弥陀に己心(こっしん)の浄土と言っているではないか。」 (昭和三年六月・水鏡)と述べています。

 こうした仏陀やマホメット(ムハンマド)、キリストまでも批判する態度は、イエス・ベン・パンディラが処刑された理由とどこか似ています。

 大本では、一九二一年二月十二日に第一次大本事件が起り、一九二四年二月に王仁三郎は蒙古に向かい、一九二七年五月十七日に第一次大本事件が免罪となっています。

 王仁三郎はこれにつて『ミロクミロク』と題して、「大本事件初まって満三年にして蒙古に行き、又満三年を経て無罪となる、前後七十二ヶ月、即ち三十六ヶ月と三十六ヶ月、ミロク、ミロクである。」 (昭和三年二月・水鏡)と語っています。

  

 このように、王仁三郎自身は、蒙古遠征の前後の三年間について「ミロク、ミロク」としているのです。さらに、霊界物語では、蒙古で銃殺寸前になった土地の名であるパインタラを「白音太拉」と書き記していますが、「パインタラ」と「パンディラ」という言葉の音が非常に良く似ており、単なる偶然とも思えますが、そこにも一種の「型」が暗示されているのかもしれません。

 つまり、弥勒菩薩がイエス・ベン・パンディラとして受けた法難は「パンディラの法難」であり、王仁三郎は「パインタラの法難」として「型」で証明してみせたとも考えられるのです。

 

(二)今から三千年後に仏の位階に達し、弥勒仏として最後の地上での人生を送ることについて


 シュタイナーの言葉から単純な推測をすれば、弥勒菩薩が弥勒仏に至る時代は次のようになります。

 紀元1911年 + 3000年後 = 紀元4911年頃

 つまり、弥勒菩薩が弥勒仏の位階に達するのは、五十世紀であり第六文化期の中期から後期に相当します。そして、5733年の第七文化期には、道徳に貫かれた地上天国が訪れると考えることができます。

 

 一方、出口王仁三郎は、一九二八年に「今年、すなわち昭和三年辰年は、この世始まってから、五十六億七千万年目に相当する年である。」(昭和三年二月・水鏡)としています

 

 これは、三千年目の桃の実が実った年という意味であり、同時に、この時から六千年後に第一天国界を開示するための前段階であるとも解釈できます。その理由については、本章、■七■(四)で補足します。

 

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制 作:咲杜憩緩

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著書:ルドルフ・シュタイナー
   と出口王仁三郎の符合