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「今日の話しを要約しますと、今日二つの霊的生命の流れが作用しているということです。
一つは智の流れ、すなわち仏陀の流れで、智と良心と平和の崇高な教えです。仏陀の教えを全人類の心の中に浸透させるために、キリスト衝動は必要になってきます。
第二の流れはキリストの流れで、審美的感情と洞察力によって、人類を智から徳へと導くものです。キリスト衝動の最も偉大な師は弥勒菩薩で、彼は三千年後に弥勒仏になるまで何度も地上に受肉します。東洋のアカシャ年代記の記憶は真実です。釈迦が菩提樹の下で悟りを開いてから五千年後に、弥勒は最後の地上への受肉をするのです。
仏陀及び菩薩の後継者と、私たちがキリストと呼ぶ宇宙存在との間には相違があります。パンディラのイエスの肉体に受肉した菩薩はキリストではありません。キリストはただ一度、三年間だけ肉体に受肉しました。菩薩は弥勒仏となるまで、各世紀毎に地上に受肉します。
人智学の使命は諸宗教を総合することです。宗教の一つの型を仏教に、もう一つの型をキリスト教に見出すことができます。時代が進むにつれ、仏陀とキリストが私たちの心の中で結びついたように、様々の宗教が結びついてゆきます。この人類の霊的進化の展望から、その進化の過程に於ける文化及び諸事象の理解を用意するものとして人智学衝動の必要性が了解されると思います。」
以上は、R.シュタイナーの邦語訳書『仏陀からキリストへ』(書肆風の薔薇)第七講より、
『弥勒菩薩の特徴』の講義の一部を抜粋
シュタイナーは、一九一一年十一月二十日の『弥勒とマタイ福音書』の講義で「いまから約三千年後に、この菩薩は弥勒仏になります。彼は精神界から、魔術的な道徳を人々の心に流し込みます。そのような弥勒仏の流れは、クリスティアン・ローゼンクロイツに結びつく西洋の流れと共同するのです。」 (シュタイナー仏教論集)と述べています。
このような仏教とキリスト教の合流については、全く同じ時期に、日本の大本において出口王仁三郎がキリストの「型」に生きることで、弥勒菩薩であることを示したことでも理解できます。
また、王仁三郎は、 『神、耶、佛すべてを信ず』と題して「バイブルから、奇蹟を除かんと企てた耶蘇教(やそきょう:キリスト教のこと)信者がある。誤れるも甚(はなは)だしいものである、耶蘇教より奇蹟を取り去れば、それはもう宗教ではなくて倫理学である。私は佛教、耶蘇教、神道の総べてを信ずるものである。」 (大正十五年六月・水鏡)と述べています。実際、彼が口述した霊界物語は、神道、ユダヤ教、仏教、キリスト教、イスラム教などのあらゆる宗教を包括した万教同根という霊的観点から綴られているのです。
このように、双方共にあらゆる宗教の枠に囚われることなく、霊的な観点から各宗教の支流を一つの大きな教えの本流の中に導くように真実を説いたことが解ります。その点においても、二人の見解は同じ方向性を示しているといえるでしょう。そして、それこそが弥勒仏に通じる流れなのだ、とシュタイナーは語っているのです。
また、シュタイナーがキリスト存在を前面に出して弥勒菩薩を説明しているのに対し、王仁三郎は神道の神々と仏教の弥勒菩薩を前面に出してキリストの解釈を暗示しています。これは、ローゼンクロイツ(第二章■四■(四)参照)の流れと、イエス・ベン・パンディラ(弥勒菩薩)の流れの合流、さらには西洋と東洋の合流を読み解く鍵になるはずなのです。
シュタイナーは、弥勒が菩薩から仏になるまでに五千年を要するとしており、それまでの間、ほとんど毎世紀ごとに受肉していると明かしています。
一方、王仁三郎は、『直美と操』と題して、王仁三郎の孫である出口直美女史の前世について 「直美(直日の長女)は開祖様(出口直)の生れ変りであって、その性質をスックリとうけついで厳格である。」(注1)と明かした後、 「王仁(わし)は何度も生まれ変って来て居る。印度(いんど)にも生まれた事がある。あらゆる境遇を経てきた。」 (昭和七年七月・玉鏡)と述べています。
よって、これについても人智学的な意味では、弥勒菩薩の特長を非常に良く示しているといえるのです。ただし、シュタイナーの言葉のままに単純計算すれば、
現在までに
二五〇〇年 ÷ 一〇〇年(一世紀) = 二五回の転生をしてきており、
五〇世紀までに 五〇〇〇年 ÷ 一〇〇年(一世紀) = 五〇回の転生する
ということになりますが、王仁三郎自身は、 「王仁は今度で三十六遍生まれてきた。支那の上野(こうや)に百姓として生まれてきた事もある。」 と語っており、その転生の回数には両者の間で見解の相違があります。しかし、いずれにせよ弥勒菩薩とは、たった一度だけ転生するのではなく、何度も繰り返し転生し、自身の向上と共に、贖い主となって万民の救済にあたっている存在であることは過去の秘儀参入者たちの共通の見解なのです。
注1.
大本神諭では、大本の代継ぎは、代々女であることが示されており、現在まで大本(大本信徒連合会)では、出日直、澄子、直日、直美と四代まで直系で敬承されている。以後は、直子、春日、直佳と、七代目まで誕生している。
継承の詳細 : 大本信徒連合会HP
また、宗教法人大本では、聖子、紅と五代まで継承されている。
釈迦については諸説ありますが、一般的には、紀元前五二五年頃に菩提樹の下で悟りを開いて仏に
なったとされています。したがって、単純に計算すれば、
紀元五〇〇〇年 - 紀元前五二五年 = 紀元四四七五年
の頃に、弥勒菩薩が仏になると推測されます。
これは、古代インドおよびチベットで、五千年ごとに仏の指導時期が変わるという説があることを語ったと思われます。しかし、先の本章■三■(二)の考察では、弥勒仏の転生は紀元四九一一年頃となったので、厳密には四三六年もの差があることになります。したがって、どちらの説がより有力な説なのか解釈が難しいところですが、それについては次の(四)で考察してゆきます。
「三千年に初めて実る桃と云うのは、艮の金神様の事である。しかして、其の教えを聞いたものは天国に入る事を得るのである。桃の実の味、即ち神の道である。九千年に実る桃、六千年に実る桃とあるのは、第一天国、第二天国の比喩であって、三千年の桃は即ち第三天国に相応するのである。」
(大正十五年十月・水鏡)
そこで、一九二八年(三月三日)の『みろく大祭』を、分岐点として、その前後を三千年単位に区切ると、次のようになります。
三千年に実る桃 (第三天国)
→ 紀元前一〇七二年に始まり、紀元後一九二八年に結実
六千年に実る桃 (第二天国)
→ 紀元後一九二八年に始まり、紀元後四九二八年に結実
九千年に実る桃 (第一天国)
→ 紀元後四九二八年に始まり、紀元後七九二八年に結実
したがって、「六千年目の神仕組」は『紀元四九二八年頃』に成就すると推測されます。また、本章■三■(二)では、シュタイナーの講義の内容から『紀元四九一一年頃』に弥勒菩薩が弥勒仏になると推測しました。
以上から、「釈迦が菩提樹の下で悟りを開いてから五千年後に、弥勒菩薩は最後の受肉をする」という内容とは四百年程の誤差がありますが、人智学と大本の経綸から推測すると、弥勒菩薩が弥勒仏になる時期とは『紀元四九一一年頃〜紀元四九二八年頃』だとするのが最も妥当だと推測されます。
ただ、釈迦入滅後の紀元四五〇〇年頃も、何らかの時代の転換点であるのかもしれません。
以上の結論として、おおよそ次のように推測できます。
『三千年の仕組み』は、
弥勒菩薩が王仁三郎を通して、現世を第三天国に導いた経綸
『六千年の仕組み』は、
弥勒菩薩が弥勒仏となり、現世を第二天国に導く経綸
『九千年の仕組み』は、
人類が現世を第一天国として生きる経綸
では、それから後は、どうなるのかと言う疑問がわいてきますが、シュタイナーの人智学的考察では、地球期は、現在の後アトランティス時代(第五根幹人類期)を終えた後は、第六根幹人類期へと移行することになります。それについては、「アカシャ年代記より」や、「薔薇十字会の神智学」等に述べられていますが、ここでは主旨が違うので省略させていただきます。