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「三千年後に弥勒仏となる菩薩はこのような型の存在です。このような菩薩を既に少年時代において見出し得るとするのは、全く衒学趣味(げんがくしゅみ : 学問や知識をひけらかす)のオカルティズムです。
このような存在は三十歳から三十一歳にかけて、自らが自分の本性を明かします。彼は自らの力で世界の前に現われるのであって、誰かが、三十歳以前の彼に菩薩の姿を示させようとするのは誤りです。
このような誤りは何度も起りました。例えば、十七世紀に、スミルナのサベタイ・ツゼヴィは自分は救世主キリストの生まれ変りであると宣言し、ヨーロッパ各国から大勢の人々が彼のところに巡礼に行きました。
今日、天才というものを承認するのを好まない風潮が一般的ですが、また一方では、精神の怠惰から権威的にある人物を神格化する風潮もあります。人智学は権威的な信仰とは無縁です、私は自らの霊的な探求の結果明らかにできたことのみを話しています。
私の話しの内容を、どうか私が語ったからという理由で信用するのではなく、歴史や特に自分自身の経験に照らし合わせて確認して欲しいのです。今日のような知の時代には、信仰に訴えることはふさわしくありません。皆様の知的考察能力を通して私の話しを吟味してほしいと思います。
もう一度、繰り返しますと、二十世紀に於いて菩薩は、彼が未来の弥勒仏であると誰かに告げさせることはなく、自分自身の言葉の力で世界の前に立つのです。」
以上は、R.シュタイナーの邦語訳書『仏陀からキリストへ』(書肆風の薔薇)第七講より、
『弥勒菩薩の特徴』の講義の一部を抜粋
これについては、先の考察からも一九〇一年、王仁三郎が三十歳の時にスサノオノ尊としての神格を宿し、その働きとしての発露を見出そうとしていたことは明らかです。なぜなら、王仁三郎が弥勒菩薩であることを審神(さにわ)できる存在は、出口直の顕真実以前には艮の金神以外存在しなかったからです。
そのため、王仁三郎は本人自らが自分の本性を明かさざるを得なかったのです。
このため、王仁三郎は、スサノオこそが真の贖い主であり、救世主であることを身をもって示します。しかし、当時は王仁三郎の神格を理解する者が誰もいなかったため、三十一歳の時には開祖のみを信じる信徒らに命まで狙われることになります。さらに、三十四歳の時には、王仁三郎が霊界物語と同じ内容を綴った著作が全て焚書されてしまいます。
そして、四十五歳にしてようやく「みろくの大神様」としての神格を認められるに至ったのです。したがって、シュタイナーの明かす弥勒菩薩の特徴のように、王仁三郎は自身の言葉と行動で弥勒であることを示していったのです。
また、王仁三郎は現実的にも〝自分の言葉の力で世界の前に立つ〞という意味では、世界共通語としてのスペラント語の普及に尽くした人物だったのです。その意味でも、王仁三郎は世界の前に立って真実の教えの普及に努めた人物であったといえます。
また、ここではシュタイナーは「二十世紀の弥勒菩薩」について語っています。勿論、毎世紀ごとに転生を果たす弥勒菩薩の使命を考えれば、二十世紀においても弥勒菩薩が転生していたことは、ある意味当然のことなのかもしれません。
しかし、シュタイナーが「このような菩薩を既に少年時代において見出し得るとするのは、全く衒学趣味のオカルティズムです。」と批判的に語っているのは、当時、まだ十六歳の少年だったクリシュナムルティが、神智学協会の中で弥勒菩薩として宣伝されていたことが霊的に危険な誤謬であるという指摘でもあったはずなのです。
だからこそ、聴講者に対して 「私の話しの内容を、どうか私が語ったからという理由で信用するのではなく、歴史や特に自分自身の経験に照らし合わせて確認して欲しいのです。」 と述べているのです。
では、その 弥勒菩薩の特徴を満たしている人物は誰なのかという問いに対して、歴史や経験に照らした場合、やはり二十世紀の弥勒菩薩が王仁三郎をおいて他にこれに相当する人物は存在しないと感じられてくるのです。