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シュタイナーはゾロアスターと星について次のように語っています。
「彼ら(カルディアの秘教学徒)は『(原)ゾロアスター』の中に人類の星を見ました。『ゾロアスター』という言葉は『黄金の星』、『光輝の星』という意味です。彼らはゾロアスターの中に太陽の反照を見ました。
そして、この星が彼らの師としてベツレヘム(キリストの聖地)に再び現われる、ということが彼らの深い智にはやがて見えてきたのです。彼らは彼らの『星』に導かれ、この星が人々に与える最良のものの印をこの師に捧げました。
ゾロアスターの霊統から人間に与える最高のものは、アストラル体の思考、感情、意志の中に受け入れられた宇宙の秘密に関する智です。」
つまり、原ゾロアスターの中に反射していたのはキリスト存在であり、同時に、ゾロアスターを通してキリスト・イエスの地上での誕生を予見していたことが解ります。そして、原ゾロアスターの弟子については、次のように述べています。
「(原)ゾロアスターは霊的に非常に高い人物でしたので、ペルシア文化を創始したのみならず、次のエジプト文化にも関与しました。
―――ゾロアスターには、二人の弟子がいましたそのうちの一人は後のヘルメス、もう一人は後のモーセです。ゾロアスターは自らのアストラル体をヘルメスに与えました。ヘルメスの中にゾロアスターのアストラル体を見ることができます。
ヘルメスはゾロアスターのアストラル体を纏(まと)うことで、ゾロアスターが有していた宇宙に関する智をエジプト民族に語り伝えることができたのです。
モーセはゾロアスターからエーテル体を譲り渡されました。モーセはゾロアスターのエーテル体を纏うことによって、宇宙と人間の歴史を壮大な映像として見、旧約聖書の創世記を書くことができました。」
(仏陀からキリストへ)
一般的にヘルメス・トリスメギトスは、古来からモーセと同時代を生きたとされ、神秘思想や錬金術の歴史の中に登場する人物で、伝説的な錬金術師であったとされています。また、ギリシア神話のヘルメスとエジプト神話のトート神がヘレニズム時代に融合し、さらにそれらの威光を受け継ぐ錬金術師が同一視されて、ヘルメス・トリスメギトスと称されるようになったとも言われています。彼は占星術、太陽崇拝、ピュタゴラス、グノーシス思想などにも影響を与え、エジプトにおいてはアトランティスに由来する叡智を刻んだエメラルド・タブレッドの著者であるとも伝えられています。
シュタイナーはヘルメスとトートを同一存在としており、ピュタゴラスはゾロアスターが転生したナザラトスに師事したとしています。そして、原ゾロアスターについて、シュタイナーは次のようにも語っています。
「ゾロアスターはエジプトから、自分のエーテル体の力を取り戻して来なければなりませんでした。ですから、ゾロアスターの生まれ変わりであるダビデ家のソロモン系のイエスは、エジプトに赴かねばならなかったのです。ゾロアスターがヘルメスに与えたアストラル体とモーセに与えたエーテル体の力が、エジプトで合流したからです。
ゾロアスターはエジプト文化のために与えた力を取り戻しに行かねばなりませんでした。これが、イエスの『エジプトへの脱出』の真相であり、かつゾロアスターが人類に与えたものを、新たに若々しい姿で与えるために必要な力を集めたのです。」
つまり、ゾロアスターは、後にソロモン系のイエスとして転世し、エジプトへ赴いたことで、ヘルメスとモーゼに与えた自らのエーテル体とアストラル体を取り戻したわけです。(第二章■三■(2)参照)
さらに、シュタイナーはアトランティス時代には、北方系の民族と南方系の民族の流れが存在していたとしています。そして、北方系民族は外界を深く霊視することで上位の神々であるアフラ・マズダに出会い、ペルシア系のゾロアスターの秘儀に至ったとしています。
一方、南方系民族は、自己の内面へと霊的に参入することで、下位の神界である死後の霊的な次元に至り、そこでミトラに出会い、後に古代エジプトのヘルメス学へ至ったとしています。
(第二章■七■(三)参照)
(第四章■五■(一)参照)
そのため、ゾロアスター教は人間の「誕生から死までの間の生活」の意味を重視し、この世界の裏に神の存在を見るようになります。一方、古代エジプトの密儀は人間の「死から誕生(復活)までの間の生活」を重視し、死した霊の復活を見ていたのです。
さらに、シュタイナーは、この二つの流れがカルディア――エジプト文化期に合流したのだと洞察しています。これを図にすると、次のようになります。
◇アトランティス時代
○北方系 ・・・外界を深く霊視することによって、
上位の神界「アフラ・マズダ(キリスト)」と出会う。
↓
後にペルシアにおいて「ゾロアスター教」として説かれる。
「誕生から死までの間の生活」の叡智を説く。
○南方系・・・ 自己の内面へと霊的に参入することによって、
下位の神界「ミトラ」に出会う。
↓
後に古代エジプトにおいて、「ヘルメス学」として説かれる。
「死から誕生までの間の生活」の叡智を説く。
◇エジプト・カルディア時代に、南北の流れが合流
△ ゾロアスターのアストラル体の叡智は「ヘルメス」が纏
(まと)う。
→宇宙の叡智を説く。
△ ゾロアスターのエーテル体の壮大な映像は「モーセ」が
纏う
→ 旧約聖書の「創世記」を語る。
よって、アフラ・マズダとミトラは、アトランティス時代の秘儀によって見出された「陽と陰」の神であり、「上位の神界と下位の神界」の神であることが解ります。
そして、古代エジプトの秘儀やゾロアスター教の時代に、この流れが一つになり、ヘルメスとモーセに受け継がれ、後にイエス・ベン・パンディラ(弥勒菩薩の転生)が出現し、イエス・キリストの誕生へと時代が向っていったことになります。
シュタイナーの示すイエスとキリストの経緯ついて、最も特徴的なのが二人のイエスの存在です。
シュタイナーは、聖書(第二サムエル書五章一四節)から、古代ヘブライ民族の中のダヴィデという家系の始祖ダヴィデには、ソロモンとナタンという二人の子があったとしています。
◆古代ヘブライ民族の中のダビデ系の祖師・ダビデの二人の子
↓
ソロモン と ナタン
このことから、この家系には「ソロモン系」と「ナタン系」という二つの家系が起り、西暦紀元が始まる頃にパレスチナにはこの二つのダヴィデの家系が存在していたとしています。そして、この二つの家系について、シュタイナーは次のように述べています。
「ダヴィデ家『ナタン系』に『ヨセフ』という人物がおり、ナザレに住んでいました。彼の妻は『マリア』という名でした。ダヴィデ家の『ソロモン』の系統に、やはり『ヨセフ』という名の人物がおり、ベツレヘムに住んでいました。
ダヴィデの家系には『ヨセフ』という名の人物が二人おり、ともに『マリア』と名づけられた女性と結婚しました。西暦紀元のはじめのころ、パレスチナに、ともに『ヨセフ』と『マリア』という名の、二組の夫婦がいたのです。」
◆ダヴィデ家・ナタン系のヨセフ → ナザレに住む
→ マリアという女性と結婚
◆ダヴィデ家・ソロモン系のヨセフ → ベツレヘムに住む
→ マリアという女性と結婚
そして、この二組の夫婦はともに子供にイエスという名をつけ、霊的な働きかけによって現実界の人間にも複雑に関係してくことになるのですが、それぞれの特徴を簡単に示すと、おおよそ次のようになります。
◆ソロモン系(王系)のイエス
(マタイ・マルコ福音書の経緯)◆
・父ヨセフ・母マリアは、ベツレヘムで生活
・ヘデロ王の幼児虐殺を避けるため、一時的にエジプトに逃げる
・マリアはイエスの弟妹を後に6人産んでおり年齢も高かった
・ナタン系のイエスより2・3ヶ月早く誕生
・イエスは王系である父ヨセフの意思と力を強く受け継ぐ
・イエスは12歳で他界
・父ヨセフも早くして他界
・母マリアはイエスと6人の弟妹を産むが、夫を亡くし寡婦となる
・後に、ソロモン系の夫ヨセフを失ったマリアとその子供は、ナザ
レに住む妻マリアを失っ
◆ナタン系(司祭系)のイエス
(ルカ福音書の経緯)◆
【現実的な経緯】
・父ヨセフ・母マリアは、ナザレで生活し、ベツレヘムでイエス
を授かり、再びナザレに戻
・マリアは若くしてイエスを授かり、イエスの兄弟を産まなかった
・イエスは母マリアの叡智と精神の働きを強く受け継ぐ
・ソロモン系のイエスより2・3ヶ月遅く誕生したので、ヘデロ王
の幼児虐殺に遭う事はなか
・マリアは、イエス一人のみを産み、若くして他界
・後に、妻マリアを亡くしたヨセフのもとに、夫とイエスを失った
ソロモン系のマリアとその
・イエスは、30歳でキリストが降りた存在へと成長
現実的には、このようにしてナタン系のヨセフとイエスは、ソロモン系のマリアとその子供たちと一緒に暮らすことになったのだとシュタイナーは洞察しています。
さらに、シュタイナーはこの現実の背後では、次のような霊的経緯があったと洞察しています。
◆ソロモン系(王 系)のイエス(マタイ・マルコ福音書の経緯)
・ソロモン系のベツレヘムのイエスは、ゾロアスターが転生して
受肉した存在
・イエスに転生したゾロアスターは、エジプト文化のために与え
たヘルメスとモーセの力
を取り戻しに行く必要があった
・へデロ王による幼児虐殺を避けるためにイエスがエジプトへ脱出
したことで、イエスとし
ヘルメスとモーセの力を取り戻した
・ゾロアスターの自我が、ナザレのイエスに転移するために、
イエスは12歳で他界
・ゾロアスターの自我はナザレの12歳のナタン系のイエスに移る
↓
【A】
◆ナタン系(司祭系)のイエス
(ルカ福音書の経緯)◆
【霊的な経緯】
・原罪以前の純粋無垢なアダムの魂がイエスとして誕生
・アストラル体には仏陀(釈迦)の応身が留まる
(応身=エーテル―アストラル界まで変化した体)
・12歳からナタン系のイエスにゾロアスターの自我が留まる
↑
【A】
・イエスの中で仏陀とゾロアスターの力が合流を果たす
・イエスはヨルダン川でヨハネの洗礼を受けたこことで
30歳から33歳の3年間、
(光神、アフラ・マズダ)が降る
人智学においては、このシュタイナーの洞察する二人のイエスに関する内容は極めて重要であり、レオナルド・ダ・ヴィンチの絵画「岩窟の聖母」に二人のマリヤと二人のイエスが描かれている謎の解明にも通じる神秘的事実だとしています。
さらにシュタイナーは、ナザレのイエスに三年間のみキリスト存在が降臨したことを霊的に洞察しており、これが人智学における聖書解釈のための最重要点の一つとなっています。それについては、「ルカ福音書講義」や「第五福音書」に詳しいので、これらの文献を参考にしていただければと思います。
時を経て七世紀に、ササン朝ペルシアが滅ぼされたため、ゾロアスター教の信者はインドや中国に逃れたとされています。これが中国に伝わり?教(けんきょう)と呼ばれ、唐代には長安や洛陽にもその寺院があったとされています。こうして、ゾロアスター教は、今日では遺物的存在となっているわけなのですが、思想としては他の世界宗教に大きな影響を及ぼしてゆきます。
例えば、ユダヤ教やキリスト教の終末論『ダニエル書』や『ヨハネ黙示録』、大乗仏教や密教にはその影響が見られるといわれます。特に密教における護摩を焚く儀式は、ゾロアスター教の祭儀そのものであるとされ、阿弥陀如来や大日如来もアフマ・マズタと重なる部分があるといいます。
実際、新義真言宗の作法やお水取りの時に行われる達陀の行法は、ゾロアスター教の影響を受けているという説があります。これらはペルシア文明とインド文明とが接する北インドで交流し、それが日本に伝えられたためであるようです。
さらに、京都の太秦(うずまさき)の蚕養神社(こかいじんじゃ)にある石造三本柱の鳥居なども、日本にもゾロアスター教が渡ってきた証拠であるとされています。
蚕養神社は、木嶋坐天照御魂神社(このしまにますあまてらすみたまじんじゃ)本殿の東側に織物の始祖を祀る社であり、木嶋坐天照御魂神社の御祭神は天御中主命・大国魂神・穂々出見命(ほほでみのみこと)・鵜茅葺不合命(うがやぐきあえずのみこと)です。
ゾロアスター教(ペルシア) → キリスト教(ローマ)
→ 祅教(中国)
→ 仏教・密教(韓国・朝鮮)
→ 密教・神道(日本)
また、新羅系の帰化人の家系である秦氏は、葛野郡(かどのごおり:現・京都市右京区・西京区あたり)を本拠とし、養蚕、機織、酒造、治水などの技術をもった一族であったことから、蚕養神社の他に、松尾神社、大酒神社と縁が深いとされています。
中でも、太秦蜂岡町にある大酒神社の「牛祭」は、魔多羅神(まだらじん)を祭神としており、京都三奇祭の一つとされています。この「牛祭」は、明治以降から日本で最も有名な弥勒菩薩半跏像(はんかぞう)が奉られる京都広隆寺)こうりゅうじ)が主催しています。
広隆寺の祭神は一説によると、「ミトラ神」が「魔多羅神」となって、日本に伝えられたためだといわれるように、魔多羅神と牛の関係が日本に残されているのも、ミトラが聖牛を捉えて供犠(くぎ)を行なったというミトラ神話と決して無関係ではないと思われます。
また、広隆寺の弥勒菩薩像は、韓国ソウルの国立中央博物館にある金銅弥勒菩薩半跏像と全体の様式がよく似ており、菩薩像からも朝鮮の影響をうかがい知ることができます。
韓国ソウルの金銅弥勒菩薩半跏像(右)
このように、牛と弥勒、ミトラとは、非常に深い関係があるのですが、古代エジプトにおいては、ある特徴を具えた牡牛を、太陽神ラーの化身ムネヴィス(ネムル)や、オシリスの息子アピス(ハピ)として崇拝していたとされています。
ミトラ神 → 聖牛の供犠(ペルシア)
オシリスの息子アピス → 牡牛 (エジプト)
魔多羅神(弥勒) → 牛祭り(日本)
人智学的に見てもエジプト・カルディア文化期は、紀元前二九〇七年から紀元前七四八年であり、この時代は横道十二宮の『牡牛座』の時代であることになります。よって、星座と神話の結びつきを強く感じていたこの時代の特徴が、牡牛や聖牛への崇拝に象徴的に結びついたものと考えられます。
ちなみに、シュタイナー自身は次のようにも語っています。
「今日、唯物論への衝動だけがあるのではありません。人類を霊的な高みへ高めようとする衝動も存在します。この霊的な衝動のしるしとは、太陽が春分に魚座に入ることです。キリストが現われたとき、太陽は春分は牡羊座にありました。紀元前八世紀ごろ、太陽は牡羊座に入りはじめており、ゴルゴタの秘跡のときにはすでに牡羊座のなかに入っていました。数世紀前から、太陽は魚座に入っています。やがて、魚座はエーテル体におけるキリストの出現の外的なしるしとなるでしょう。」
(輪廻転生とカルマ・キリストの再来)
◆牡牛座の時代 → エジプト・カルディア文化期
〔紀元前2907―前 748年〕
キリスト以前
◆牡羊座の時代 → ギリシア・ローマ文化期
〔紀元前 747―後1412年〕
キリスト誕生
◆魚座の時代 → 第五アトランティス文化期
〔紀元後1413―後3572年〕
エーテル界への
このように、第四文化期(ギリシア・ローマ文化期・紀元前747―紀元後1412)は牡羊座の時代となったため、聖書において「キリストと子羊」として語られることになります。
そして、現在の第五文化期(紀元後1413―紀元後3572)は魚座の時代となり、霊的な高みへの上昇と共に、「東洋と西洋の融合、キリスト教と仏教の融合、霊界と物質界の融合」といった融合の時代を迎えつつあるのかもしれません。
ゾロアスター教のミトラ神や仏教の弥勒菩薩は、大陸を渡り海を越えて日本に伝来してきたことは、先に考察した通りです。
一方、日本の歴史における弥勒信仰は、古くからの山岳信仰の歴史と結びついており、平安時代に末法の世の到来が騒がれると弥勒信仰が盛んになり、山の頂上を弥勒浄土と見なすようになります。また、修験道の霊地として尊崇された富士山も、そのころから弥勒浄土とみなされるようになったようです。
実際、山岳信仰に由来する弥勒信仰は長く受け継がれ、江戸時代には弥勒の世の出現を願い自らが弥勒を体現しようとする富士講中興の祖・六代目・食行身禄(じきじょうみろく 一六七一―一七三三)
と言う行者も出現しました。その意味でも、富士と弥勒の縁の深さを知ることができると思います。
また、大本においても富士山に対する深い信仰がみられます。それは、出口王仁三郎を高熊山で霊界へと導いた芙蓉仙人(ふようせんにん)が木花咲耶姫命(富士浅間神社の祭神)の神使であることにはじまり、富士山が霊界における高天原であり「天教山」であるとした王仁三郎の言葉からもその重要性をうかがい知ることができます。
ちなみに、木花咲耶姫命の働きについて、大本神諭には次のように書かれています。
「今度は頂宮(おそら)の木花咲耶姫殿が、世に出ておいでる神サンと、世に落ちて居る神との和合を為せる御役を、神界から仰せ付けが在りたのじゃぞよ。人間界では出来ん事ぞよ。」 (明治三十六年旧正月三十日)
そして、日本において弥勒信仰として最もよく知られているのは、真言密教を開いた弘法大師空海であるといわれます。入定(高僧が死ぬこと)の直前、空海は弟子たちに「自分は今から兜率天へのぼって、弥勒菩薩の御前にはべるつもりだ。その兜率天にあって、微雲のあいだから地上をのぞき、そなたたちの方をよく観察している。さらには五十六億七千万年の後、自分は必ず弥勒菩薩と共にすべての仏弟子を救うために下生し、我が後を訪れるだろう」と遺告したとされています。
弘法大師空海は、十九歳の時に室戸岬の御厨人窟(みろくど)という名の洞窟に結跏趺座(けっかふざ)していたとき、明けの明星の光が口中に飛び込み虚空臓菩薩と一体となったといわれ、こうした経緯は先の弥勒下生経の型を連想させます。
出口王仁三郎は、 「言霊学(げんれいがく)の中興の祖中村孝道の言霊学は一言一義に近いもので覚えやすい。大石凝真寿美真澄になっては一言多義になった。本当の言霊学を用ひたのは弘法大師位のもので、真言といふのは言霊のことである。弘法大師は 『ア』 が元で一切は 『ア』 から現われたというので、阿字本義を提唱したが、実際はス(○に・の印) 『ス』 から出て来たものである。」 (昭和八年三月・玉鏡)と語っていますし、言霊を阿字本義として活用した空海が弥勒菩薩について語ったことは、決して無関係ではないはずです。
明治時代には、大石凝真素美(おおいしごりますみ:望月大輔 一八三八―一九一三)という言霊学者が現わ、天津金木(あまつかなぎ)という日本独自の神器と言霊を駆使し、『仏説弥勒下生経』を霊的に解します。そして、「現在の日本は『弥勒経』に釈迦が預言されたとおりであり、弥勒下生の地は大日本国である。いまや行を成就した大神人に弥勒が顕現する時期となった。」と断言したのです。
(第一章■四■(一)参照)
(第四章■二■(六)参照)
(第四章■三■(二)参照)