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シュタイナーの弥勒菩薩の講義に
符合する出口王仁三郎の足跡
本章では、第二章のための足掛かりとして、1911年9月21日にミラノで開催された『弥勒菩薩の特徴』というシュタイナーの講義の一部を、邦語訳書 『仏陀からキリストへ』 (書肆風の薔薇)第七講から抜粋して考察を加えています。
『東方の星』は、インドの少年ジッドゥ・クリシュナムルティ(一八九五〜一九八六・当時十六歳)を「世界指導者(弥勒菩薩)」であるとして結成され、神智学協会の新たな活動の場ともなっていたのです。
しかし、シュタイナーは自らの霊的洞察からこれを全くの誤謬であるとして、秘教的な見地から「仏陀とキリスト」、「仏陀とクリスティアン・ローゼンクロイツ」、「仏陀と弥勒菩薩」といったテーマの講義を数多く行ないます。
勿論、クリシュナムティは非常に偉大な人物でしたが、後に『星の教団の解散宣言』を行い、弥勒菩薩や救世主メシヤとして期待された活動をすることはなく、シュタイナーの見解を証明する結果となったのです。
注:ルドルフ・シュタイナーと人智学協会(五)○神智学協会(三)
一方、この講義が行われた1911年の当時、大本の出口王仁三郎は40歳となっており、京都府綾部市を拠点に活発な活動を開始していた頃でした。
当時の大本内には王仁三郎が大本神諭で語られてきた「ミロク様」であることを信じる者は、ごく僅かだったのです。そして、王仁三郎に反抗してきた信仰者たちが開祖・出口直が顕真実を通してその真実に気付くのは、それから更に5年後の1916年10月4日以降のことです。
以上の時代背景を踏まえて、以下にシュタイナーの講義について考察を加えてゆこうと思います。
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