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前回の■三■では、ゾロアスター教のゾロアスターとキリスト教との霊的な繋がりと、その後の中国・日本における仏教や弥勒信仰への影響、さらには弥勒信仰と出口王仁三郎の関連性をおおまかに辿ってきました。
そこで、この■四■では、ゾロアスター教と深い繋がりのあるマニ教を掘り下げることで、クリスティアン・ローゼンクロイツの創始した薔薇十字会とシュタイナーの人智学に至るまでの経緯をおおまかに辿ってみることにいたします。
三世紀にペルシアの人物、マー・マニ(二一六―二七六)によって開教されたマニ教と呼ばれる宗教があります。マニ教はゾロアスター教を母体とし、これにキリスト教の異端とされてきた神秘主義的な教派であるグノーシス派の影響を受けているとされます。
一般的な観点では、マニ教はゾロアスター教と同様、すべてに善悪、明暗といった二次元的対立を主張する二元論で、この現実世界は悪魔によって創造されたと考えていたとされています。
したがって、人間の肉体は穢れたものであり、そのなかから唯一の心的なものである霊魂を一刻も早く離脱させなければならないとし、この世界はやがて巨大な炎のなかで滅びると予言したともいわれています。
そのため、マニ教は、マニの生前からササン朝によって迫害され、最終的にマニは処刑され、その皮ははがされ、藁を中身に詰められ、城の門にぶら下げられたと伝えれています。
その後、歴史的には中世キリスト教の異端であるカタリ派(南フランス)やボゴミール派(バルカン半島)が、マニ教の影響のもとに成立したといわれています。また、中国の北宋末期の農民指導者である方臘(ほうろう)の反乱に参加した「喫菜事魔(きっさいじま)」という秘密結社も、マニ教の一派とされています。そして、マニ教は弾圧を逃れるために、明教と名を改めて中国にも伝えられます。
こうして、マニ教はミトラ神話を受け入れたゾロアスター教と似た形をとりながらも、秘教的な要素を強めながら、仏教やキリスト教といった諸宗教に影響を与えていったとされています。
シュタイナーの講義におけるマニ教の概要を記すと、おおよそ次のようになります。
西アジアの地方の博識な商人が、四巻の著作をペルシア人の夫人に託して他界してしまいます。それによって寡婦(かふ:未亡人)となった夫人は、身代金を払って自由にしてやった奴隷に、こられの著作を残すのですが、その奴隷が、マニであったというのです。また、マニはミトラ教の秘儀も伝授されており、こうした経緯から宗教活動をはじめることになります。
当時、人はマニを 「寡婦の息子」 と呼び、マニの信者を 「寡婦の子たち」 と呼んでいたといいます。
さらに、マニ自身は自らをヨハネ福音書の助け主(聖霊)を意味する「パレクレート」と名付けたとしています。
このパレクレートとは、新約聖書ではヨハネ福音書・第十六章で、キリストが遣わす弁護者のことであり、「父上から遣わされた者」という意味もあるとされています。
博識な商人(四巻の著作を残して他界)
↓
商人の妻(寡婦となり、奴隷に夫の著作を託す)
↓
寡婦の奴隷 → マニ自身
→ 寡婦の息子
マニの信者 → 寡婦の子たち
シュタイナーは、マニが「寡婦の息子」と呼ばれたことには、霊的に深く重要な意味が秘められているとして、次のように語っています。
「すべての秘教においては、魂は『母』と呼ばれました。指導者は『父』です。父と母、オシリスとイシスは、魂の中にある二つの力です。直接に流れ込む神的なものをあらわす指導者は、オシリス、すなわち父です。
魂自身であるイシスは妊娠し、神的なるものをみごもります。彼女は母です。
さて、第五根幹人類期の間に、父は退きます。魂は寡婦になります。寡婦になるべきだったのです。人類は自分自身に頼らざるをえないのです。人類は自己の魂のなかに、自分自身を導くための、真実の光を求めなければなりません。魂的なものすべては、以前から女性的なものとして象徴化されてきました。
ですから、この魂的なもの―――今日は萌芽状態にあり、やがて完全に発展するもの―――、この自分自身を指導する魂的なるものは、もはや神的な配偶者をもっていません。それでマニは(信者を)『寡婦の子』と呼んだのです。そして彼は自分自身を『寡婦の息子』と呼びました。」
(神殿伝説と黄金伝説)
シュタイナーは、こうしたマニの思想を人類の未来(第六根幹人類期)を準備するためのものであったとしています。しかし、それは当時のキリスト教にとっては受け入れ難いことであり、そのためにアウグスティヌスによってマニ教は弾圧され、マニ自身も処刑されたのです。
魂の指導者 → 父・オシリス
→ 第五根幹人類期の間退く
→ 母・イシス
→ 夫(指導者)を失って寡婦となる
→ 人間は寡婦の子(指導者を失った魂)となる
→ 自ら真実の光を求めなければならない
また、この 「父と母、オシリスとイシスは、魂の中にある二つの力です。」 というシュタイナーの見解は、王仁三郎が霊界物語の中で 「人間には日の大神と、月の大神の霊魂を賦与されて、肉体は国常立尊の主宰として、神の御意志を実行する機関となし給うた。」 (霊界物語・第一巻・第十二章)と口述した内容との関連性を感じさせます。
◆ R.シュタイナー
父(オシリス) と 母(イシス)
↓
人間の魂の中にある二つの力
◆ 出口王仁三郎
日の大神(厳) と 月の大神(瑞)
↓
人間の霊魂に付与されている
そして、日の大神の化身である国常立大尊は悪神によって引退を余儀なくされ、人類の指導的立場から退くという経緯も、人智学的なオシリスの洞察と一致しているのです。
父(オシリス;魂の指導者)
→悪神(セト)によってバラバラにされ、川に流される
→ 死後の世界の裁きの神となる
→ 現実界は「寡婦の息子」であるホルスに託される
→ 悪神によってバラバラにされ、艮に引退する
→ 現実界は素盞鳴尊に託される
そして、このマニ教における「オシリス」「イシス」「寡婦の息子マニ」という言葉は、大本における「大国常立尊(厳魂)」「豊雲野尊(瑞魂)」「須佐之男命(伊都能売)」という関係にも重なってくるのです。
(第二章■七■(三)参照)
(第二章■八■(三)〜(九)参照)
マニの教えは、光神に闇の神が反抗するという経緯を語っており、その意味では先にご紹介したミトラ神話に類似しています。
しかし、シュタイナーはマニ教ではこの世の起源は光の国の霊が自らの国の一部を取って、闇の物質の国に混ぜたことに起因するとしています。そして、この光の国の霊が闇の中に光を混ぜたことは、闇の国の悪霊にとっては、光の国を侵略しようとしたことによって生じた「マイナスのカルマを清算する目的」を兼ねているというのです。
それによって、闇の世界は、その中に絶えず自分を消耗し、自分を破壊する芽を担うことになり、それに伴って生と死が生じたのだとしています。そして、人類はその闇を克服するために、光の国から善悪が混ぜられた国に送られる存在となったわけです。
シュタナーはこのマニ教の物語について、次のようにも述べています。
「この物語の中に秘められている深い考えは、闇の国は光の国によって、罰によるのではなく、寛大さによって、征服されるべきだということです。悪を追放することによってではなく、悪と融合することによって、悪を開放するのです。光の一部が悪の中に入ることによって、悪自身が克服されるのです。」
マニ教ではなく、聖書においてもシュタイナーは、こうした悪の寛容について次のようにも述べています。
「レオナルド・ダ・ヴィンチの『最後の晩餐』に目を向けてみましょう。この絵を前にすると、地球の意識を目のあたりにしているようです。この絵にはキリストが描かれています。
『最後の晩餐』の意味を理解するために、マタイ福音書の次の言葉を思い出しましょう。
『供犠の死を避けて通ろうと思えば、私に全ての天使の長を呼び寄せられないことがあろうか。』(第二十六章・五十六)このとき、キリストが受け取ることができたものは断念されたのです。キリスト・イエスは断念を通して、裏切り者ユダを自分の領域に入らせました。ユダの中に見ることのできるものをイエスの中に見るとき、私たちは宇宙進化の中で供犠を断念した、断念を本性とする存在の似姿を見なければなりません。
―――神々が太陽紀に断念を通じて敵対者(アーリマン)を生起させたように、キリストはユダを使徒に加えていなければ避けられた死を、諦念のうちに受け入れるのです。断念という行為が繰り返されるのです。キリストは十二使徒とともにあり、十二使徒の一人ユダが裏切り者として立ち上がるのです。
(薔薇十字会の神智学)
このように、マニの教えは悪に屈するのではなく、キリストがユダの裏切りを断念し受入れたように、悪を寛容し受け入れることによって悪を克服することを意図していたのです。
では、キリストが敵対者を作り、悪を受入れることによって導入することができる 「人類の進化にとって非常に価値のあるもの」 とは何でしょうか。それは、神の光という恩恵を受けながらも、悪によって個我に自由を与えられ、その自由の中で悪に対する寛大さ、つまり「愛」と「赦し」を学ぶことであるはずです。同時に、悪を克服して「愛」と「赦し」を獲得できるまで人間が無制限に悪に落ち込まないようにするためにカルマの法則があるといえます。
シュタイナーは次のようにも述べています。
「自由がなければ、愛の行為が崇高な在り方を示すことはできません。無条件的に衝動に従わねばならない存在は、まさにそれに従って生きています。勝手なことを行うことのできる存在にとって、従わねばなぬ衝動はただ愛だけなのです。自由と愛は、互いに結び合うことのできる両極です。
(霊的宇宙論・進化の目標)
そうして、人間は善悪、正邪、美醜、真偽といった多様性を保持しながらも、自らの意志によって善悪を理解するようになり、自分の意志で善を愛し、道徳を重んじるようになり、最終的には善悪を超越した存在としての「大愛」なる神に近づいてゆくのだと捉えることができます。
それでは、悪とは何なのかと問うならば、シュタイナーは悪に対する認識を次のようにも語っています。
「ある時には非常に優れた善であるところのものが、さらに自己を保持し続けるならば、それは硬化したものになり、進歩を妨害することで善に反抗し、疑いもなく悪になってしまいます。
たとえば、月紀の指導的な諸力が、その活動を排他的に行なうならば、その諸力は、その後の発展にも介入し、そのことによって地球紀の発展の中で、悪を現すことにちがいないのです。
そのように、悪は神的なるもの以外の何ものでもありません。なぜなら、場違いな時の悪は、かつての時代においては、完全なるもの、神的なるものの表現であったものだからです。」
これによって、月紀には進化から取り残された霊が出現し、その霊が地球紀のレムリア時代から堕天使ルシファーという悪魔の働きをするようになったのです。同様にアーリマンも、太陽紀において堕天使となった存在なのです。
一方、霊界物語十三巻の「モノログ」には、 「仁慈無限なる神様の方より、天地間の万物を御覧になった時は、一さいの神人禽獣虫魚草木にいたるまで、一として善ならざるはなく、愛ならざるはないのであります。ただ、人間としての行為の上において、誤解より生ずる諸多の罪悪が不知不識のあいだに発生しそれが邪気となり、天地間を汚濁し曇らせ、みづから神をけがし道を破り、自業自得的に災禍を招くにいたるものであります。」 としています
そう考えることができるなら、ディナミス(運動霊)以上のヒエラルキアにとっては、こうした悪的存在は人間の個我を成長させ、愛と赦しによって真の自由を獲得させるための存在であり、究極的には至善至愛の神意が秘められているともいえるのです。
それは、第一章で取り上げた素盞鳴尊の多様性が善であることをも意味しているはずなのです。王仁三郎は、昭和十九年三月に、 「神は偽悪だ。悪に見せて大善をなす。」と語ったといいますが、この言葉もこうした洞察によるものから発せられたのかもしれません。
実際、シュタイナーも神と悪の存在について、次のようにも語っているのです。
「神々が断念していなかったらなら、ルツィフィル(ルシファー)は神々に反逆することができなかったでしょう。
――中略――
悪の原因は悪魔の中にではなく、神の中にあるのです。神が断念を行うことによって初めて、悪を世界にもたらす霊が出現したのです。――中略――
神々は悪を斥けませんでした。悪のみが自由を与えることができるのです。神々が悪を斥けていたなら、世界は単調な、変化に乏しいものになっていたでしょう。自由を賦与するために、神々は世界に悪を出現させねばなりませんでした。そして、悪を再び善に戻す力を獲得しなければなりませんでした。この力は断念によってのみ得られるです。」
(薔薇十字会の神智学)
そして、シュタイナーは、黙示録の講義の中で、マニについて次のように語っています。
「いつか偉大な教育の課題を解決するために、このような教えによって魂の準備をされた者たちが、マニ教という精神の方向の弟子たちです。
マニ教は普通は誤って理解されています。マニ教について聞いたり、読んだりすると、紋切り型の話しを聞くことになります。マニ教徒たちは世界の初めから善と悪という二つの原理があったと信じていた、というのです。そうではありません。
マニ教は未来において、悪を善に変えるためのものであり、マニ教の弟子たちは、将来の受肉において、その課題をなしとげることができるのです。マニはくりかえし地上に受肉する高次の人物であり、悪を改心させるために存在する人々の指導者なのです。人類の偉大な導師たちのことを語るとき、悪の改心という課題を担ったこの人物のことも考えねばなりません。
現在では、霊的なことがわずかしか理解されていないので、マニの原則は背後に引っ込んでいますが、精神生活に対する理解が深まれば、この偉大なマニ教原則は多くの弟子たちを獲得していくでしょう。」
(黙示録の秘密)
この講義では、後アトランティス時代から、次の第六根幹人類期に移行するまでの間、霊的に善人が道徳性に貫かれ、悪人が内面的悪を外的な容貌として露呈させる時代が到来するとも語られています。
さらに、マニとその弟子たちに代表される者たちは、この時代に「悪を善に改心させるための準備」をしている存在であるとしているのです。こうしたシュタイナーのマニに関する洞察は、霊界物語の中で善と悪が繰り広げる一連のストーリーを連想させます。実際、霊界物語では神の教えを人々に伝える宣伝使の言葉は、悪を善に変えるために改心を即すのです。
シュタイナーは、薔薇十字会の起源について興味深いことを語っています。ここでは、「薔薇十字会の神智学」の「あとがき」として日本の人智学者・西川隆範氏がまとめた内容を基に説明してゆきたいと思います。
西暦四世紀、後アトランティス時代の菩薩たちの叡智すべてを人類の未来に流し込む計画について話し合うために、霊的な次元でマニはスキティアノス、ゾロアスター、仏陀の三人を呼び集めます。
シュタイナーは、彼らについて邦語訳書「仏陀からキリストへ」の講義の中で、次のように述べています。
@ スキティアノス: 「アトランティス時代の人々は霊視力をもっており、理解を見ることができました。この霊視力は発達を続けることができず、西洋人は霊視力を失ってゆかねばなりませんでした。霊視力は当時、世間から隠れて生きていた人物に管理されていました。この偉大な秘儀参入者が弟子たちと共に世間から隠れて、アトランティスからもたらされたものを後の時代に保管していたのです。この高次の秘儀参入者、肉体の秘密を伝えるアトランティスの太古の叡智の保持者は、中世初期、スキティアノスという名前で知られました。ヨーロッパの秘儀の本質を知っている者は、スキティアノスとう名前が地上の最高の秘儀参入者を指すものであることを知っています。」
A ゴータマ仏陀: 「霊的な観点から観察すると、地上には菩薩と呼ばれる存在が昔から生きていたことが分かります。この菩薩は西洋に於ける任務を果たした後、紀元前約六百年にゴータマ仏陀に受肉しました。人類の師として東洋に赴いた存在は既に高度に進化を遂げていまいた。この菩薩が第二の偉大な導師、秘儀の封印の管理者、ゴータマ仏陀となった存在です。」
B ゾロアスター:「第二章 ■二■・■三■を参照」
C マニ : 「第四の人物も良く知られていない人部分が多いのですが、スキティアノス、仏陀、ゾロアスターの三人よりも大きな存在がマニです。マニは、マニ教徒が考えた以上に偉大な、キリストの使者です。」
この四人の会合で、後アトランティス時代の菩薩の叡智のすべてを薔薇十字の秘儀の中に保管伝、伝承されることになりました。
「薔薇十の秘儀には常にスキティアノス、仏陀、ゾロアスターが行き来しました。彼らは薔薇十字会の学童の導師となり、叡智を地球に送りました。彼らの伝授する叡智を通して、キリストの本質が把握されるのです。」
そして、十三世紀に、アトランティス時代の「土星神託、木星神託、火星神託、太陽神託、金星神託、水星神託、ヴルカン星神託」という、それぞれの神託を担った七人の人物と、後アトランティス時代の五文化期それぞれの叡智を代表する五人の人物が集まり、一人の子供を育てることになります。
この子は、過去世においてソロモン神殿の建築者ヒラム、後に福音史家ヨハネとして転生した人物で、ヨハネ福音書においてはラザロとして登場しており、ラザロはイエスによって秘儀に参入したとされています。(シュタイナー・ヨハネ福音書講義・参照)
こうした過去世を経て転生した子供は、ある日、仮死状態に陥り、十二人の人物はそのまわりに集まって自分たちの有する叡智のすべてを語り聞かせますが、この少年の人生は、若くして終わることになってしまいます。 しかし、この少年は十四世紀に、クリスティアン・ローゼンクロイツとして再受肉するのです。
クリスティアン・ローゼンクロイツ(1378―1484)として転生した少年は、二十八歳のとき東洋の秘儀と西洋の秘儀の均衡を見出すために東洋を旅し、旅の途中、再びダマスクスでパウロの体験をします。
その後、この旅の成果として十五世紀前半、かつて十三世紀の前世の時に自分のまわりにいた十二人の人物(七つの惑星神託と五つの文化期の叡智を修めた存在)を集めて薔薇十字会を創設します。
また、ローゼンクロイツの自我の中には、キリストの自我のコピーが織り込まれており、彼はカインとアベル、ヒラムとソロモンの物語という形で秘密を語ったとしています。
(「神殿伝説と黄金伝説」を参照)
当時、秘儀参入者たちの認識では、中世から近代にかけて火星領域にある死者たちは険悪な状態に陥っていたといわれます。そのため、ローゼンクロイツは、仏陀の霊と話し合い、仏陀は平和の王子として戦いの星、火星に向かうことになります。また、これは同時に、この地球上の人類が、霊的方向にのみに向う人間と、物資的な事にのみ向う人間とに、二分する危険を回避するためのものでもあったのだといいます。
そうして、一六〇四年以降、仏陀はキリストが地上で十字架に処されたのと全く同じように、火星の贖主としてその使命を果たします。そのため、仏陀は現在でも地上で薔薇十字的行法を修行する人々に力を送り与えているとされています。さらに、これによって、地球上では世俗を捨てずに(出家しなくとも)修道生活が送れるような、新たな可能性が開かれたとシュタイナーは洞察しています。
それから後に、ローゼンクロイツのエーテル体に込められた叡智は、ヘレナ・ペトロヴナ・ブラヴァツキーの『ヴェールを剥がされたイシス』の中に結晶したとされています。さらに、ローゼンクロイツは、次の転生ではサン・ジェルマン伯爵として活動し、フランス革命の時代を生きたといいます。
このときサン・ジェルマン伯爵は、秘教的な深い洞察から革命を必然的な結果とみながらも、未来を予見して「人間はこの世的な文化から、キリスト教の真の文化へとゆっくりと導かれるべきであろう」という考えを主張することで警告を発します。しかし、結果的には当時の世の中は自由を暴力的に、しかも物質的なやり方で獲得する道を選び、フランス革命という歴史を刻んでいったのです。(「神殿伝説と黄金伝説」を参照)
その際に、サン・ジェルマン伯爵は、1748年、当時のドイツのフリーメーソン員のひとり、ヘッセンの領主の宮廷で亡くなりますが、その後もダデマール伯爵夫人の前に現れ、1790年にもウィーンで数名の薔薇十字会員の前に現れたといいます。
そして、彼は85年間東洋に引きこもり、85年後の1875年に再びヨーロッパで活動するだとうとい残したとされています。そして、この1875年は神智学協会が設立された年だとシュタイナーは述べており、その関連性を示唆しています。
シュタイナーの人智学は、このクリスティアン・ローゼンクロイツの組織した薔薇十字会の神智学とも共同しており、そこには霊的次元でマニやゾロアスター、仏陀らが深く関与し、ブラヴァッキー夫人の神智学とも源流を共にしているのです。その意味では、シュタイナーが神智学協会に導かれたのも必然的だったといえます。
こうした経緯からローゼンクロイツの転生は、次のように示すことができます。
◆ヒ ラ ム → カインの子孫で、ソロモン神殿の建築者。
◆ラ ザ ロ → ヨハネ福音書第十一章「ラザロの死」の
登場人物。
福音書家ヨハネと同一人物。
◆ヨ ハ ネ → ヨハネ福音書第十一章でキリストによっ
てラザロは生き返り、福音書家ヨハネと
なる。
◆少 年 → 7つの惑星神託と5つの文化期の叡智を修
めた人物らに叡智を伝授される。
◆ローゼンクロイツ→ 7つの惑星神託と5つの文化期の叡智
を修めた人物らと薔薇十字会を設立。
◆サン・ジェルマン → フランス革命の前後を生きた人物。