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宇宙の創めについても、その比喩的な表現方法は違っていても、シュタイナーと王仁三郎の言葉には非常に興味深い符合を見出すことができます。
シュタイナーは、一九〇九年四月十八日に行なわれた『宇宙のヒエラルキアと物質界におけるその反映』の連続講義の中で次のように語っています。
「すべてのものの出発点にあたる土星紀のあの球が回転したとき、一種の帯(環)が分離して現われてきました。それは卵全体を取り囲んでいるというよりは、一種の幅広いテープのようなもので、この帯の内側に、個々の形態が集まっています。帯の形成は、まったく一般的な宇宙法則のひとつです。宇宙全体も、一種の赤道もしくは帯に沿って、集まっています。
銀河はこの法則の結果生じたのです。銀河は外側の帯のように、ぐるりと宇宙空間を取りまいて現われて、その外のところでは、星々がまばらにしか見えないのは、回転が始まるやいなや、事物が帯状に集まってくるという法則の結果なのです。
私たちの宇宙は、本来この法則によって、一種のレンズ状になっています。よく考えられているように、球形をなしている、というのではなく、レンズ状になり、その外側に帯状をなして事物が集まるのです。個々の惑星の成立の際にも、この帯が生じます。
私たちが卵の上に何か模様を描く場合には、卵の上(表面)に例えば赤い色で、このような帯を描くべきなのです。卵全体を赤く塗ってはいけません。帯状に塗るのです。宇宙においてもこの帯に沿って一つの宇宙が形成されるのです。或る場所に点を描くとすると、そこからすべてが集まってくるのです。
このように、夜空に広がる星の分布は、本来ヒエラルキアの働きの結果です。巨大な広がりが収縮していくとすれば、それはおのずと生じるのではなく、高次のヒエラルキア諸存在の働きの結果なのです。」
(シュタイナー霊的宇宙論・第九講)
つまり、古土星(太陽系の過去世)、銀河、宇宙は、基本的には同じ法則性でヒエラルキア(神々)によって創造されていることが解ります。さらに、古土星に関してシュタイナーは、次のようにも語っています。
「もし私たちが宇宙空間を通って古土星の中に飛んで行けたとしたら、そこでは何も見ることができず、ただ熱さだけを感じたでしょう。まるで巨大な竃(かまど)の熱い内部を飛んでいるかのように、土星の中を飛んで行ったでしょう。しかし、そこには空気の動きがまったくないので、泳ぐことも飛翔する事もできません。空気も水も存在しなかったのです。」
(シュタイナー霊的宇宙論・第九講)
一方、出口王仁三郎が一九三四年(昭和九)八月五日に口述した霊界物語・第八十一巻・総説「天地開闢の極元」には、次のように記されています。
「至大(しだい)浩々(こうこう)飄々(ひょうひょう)恒々(こうこう)として撒霧(さんむ)たる
然(しか)れども気形(きけい)透明体(とうめいたい)なるが故(ゆえ)に人の眼(まなこ)には見えざるなり。見えねども此(こ)の連珠絲(サヌキ)が霊気(れいき)を保ちて初めて至大(たか)天球(あまはら)を造る時に、対照力(タタノチカラ)を以って至大(しだい)の外面を全く張(は)り詰(つめ)りて球(たま)と成りし也。
蓋(けだ)し極元の
然(しか)り而(しこう)して其(そ)の平輪分(へいりんぶん)の所に於(お)いて対照力(タタノチカラ)を起して其(そ)の外面を対照力(タタノチカラ)にて氷張(ひは)り、全(まった)く張(ば)り詰(つ)めて至大(たか)天球(あまはら)となりたる也 。
故に其(そ)の凸所(とつしょ)に居(ゐ)て局珠外(たまのそとら)と成りて鰭(ひれ)となりたる極微点(コゴコ)は、張(ば)り詰(つ)めたる其の珠(たま)を塗りて競(きそ)ひて球内に入(い)らむと欲し、東岸部(とうがんぶ) 、西岸部(せいがんぶ)に門を得て局中(きょくちゅう)に押入らむと欲し、自然の勢力を得て押入る。
こゝに於(お)て其(そ)の初めの対照力(タタノチカラ)に氷(ひ)張(は)り詰(つ)められて、既(すで)に球中(きゅうちゅう)に固有する所の極微点(コゴコ)の連珠絲(サヌキ)の気を中央に押す、その押されたる気は北極、南極に向ひて走り去る。
その走り去り出(いで)たる気は亦復球(またまたたま)の外面を塗りて、東岸部(とうがんぶ)、西岸部(せいがんぶ)に来りて亦復(またまた)又球中(またきゅうちゅう)に入(い)りつゝ、端(はし)なく循環(じゅんかん)運行(うんこう)しつゝ永世(えいせい)無窮(むきゅう)に、尾(お)なく果なく終わりなく本末もなくつらゝぎ居(ゐ)る也
。」
この総説は、すべて言霊の解釈によって書かれたとされているので、我々には難解な表現ですが、王仁三郎は、この説が真実であり、老子でさえも比喩でしか語ることのできなかった内容であることを強調し、断言しています。この老子の比喩とは「老子」の上篇・第十一章などであると思われますが、ここでは省略いたします。
この両者の見解を比較すると、シュタイナーは「そこでは何も見ることができず」とし、王仁三郎も「然れども気形透明体なるが故に人の眼には見えざるなり」としていることから、こうした様子は肉眼では見えない無色透明なものであり霊眼を通してしか見ることのできないものであることがわかります。
また、シュタイナーの「レンズ」という言葉に対し、王仁三郎は「花形を如して凹凸として呼吸を保てり」としています。
さらに、「レンズ状になり、その外側に帯状をなして事物が集まるのです。」というシュタイナーに対して、王仁三郎は「張り詰めたる其の珠を塗りて競ひて球内に入らむと欲し」としていることも一致しているのです。
したがって、両者の見解を簡単にイメージすると、外から中心に向かって力が内側に集まってゆき、その力が中心から上下(南北)に向かい、上下に凸面を描くようにして外側に移動し、再び周囲(東西)から内側に力が循環してゆくということです。
その時、外見はコンタクトレンズの凹面を合わせた時のような円盤型になり、外から中心に向かう水平面には星々が集まってくるものと考えられます。
また、興味深い事にシュタイナーも王仁三郎も、この宇宙の創めを説く際に、同じような図「◎」を使って説明しているのです。
左:シュタイナー霊的宇宙論より 右:霊界物語より
そして、王仁三郎は言霊学でも登場する☉の印について度々語っていますが、シュタイナーも先の通り「或る場所に点を描くとすると、そこからすべてが集まってくるのです」と語っている点は、注目に値すると思います。
シュタイナーは、先の講義の中で「宇宙人間」についても語っており、極小の細胞の中で生じる受精の秘密を、この大宇宙の創めの状態と対比するようにして、次のようにも語っています。
「受精の秘密を解く鍵は、点と円周との中に存在するのです。ですから、古代の秘儀の導師は次のように語りました。―――『点を理解しようとするのなら、円周を求めなさい。そこに解答がある。』このことが大切なのです。円周を理解したときはじめて、点が理解できるのです。」 (シュタイナー霊的宇宙論・第九講)
一方、王仁三郎は、霊界物語・第七十三巻・第一篇「紫微天界」・第一章の冒頭で、言霊の解釈で次のようにも述べています。
「天も地もなく宇宙もなく、大虚空中に一点のゝ(ほち)忽然と顕れ給ふ。このゝ(ほち)たるや、すみきり澄みきらひつつ、次第々々に拡大して、一種の円形をなし、円形よりは湯気よりも煙よりも霧よりも微細なる神明の気放射して、円形の圏を描きゝ(ほち)を包み、初めて☉ (ス)の言霊生れ出でたり。此の☉の言霊こそ、宇宙万有の大根元にして、主(す)の大神の根元太極元となり、皇神国(すめらみくに)の大本(だいほん)なりと給ふ。」
シュタイナーは幾何学と数学に長けた人物であり、霊的な表象を科学的な論法を用いて「○
と ・」について表現しているのに対して、王仁三郎は言霊学の解釈によって「○ と ・」を表現している事がわかります。
さらに、シュタイナーは「治療教育講義」の中で、寝る前に「私の中に神がいる」というイメージとして「青色の○に黄色の・」を想い描き、朝起きた時に「私は神の中にいる」というイメージとして「黄色い○に青色の・」を想い描く、という瞑想方法を説いています。これなども、☉の一つの解釈方法であると考えられます。
一方、霊界物語・第一巻・第二十章では、先の言霊による天地開闢の極元とは異なった表現で、次のように口述しています。
見るまにその球い凝塊は膨大して、宇宙全体に拡がるかと思はれた。やがて眼もとどかぬ拡がりに到達したが、球形の真中には、鮮やかな金色をした一つの円柱が立つていた。……」
そして、この金色の円柱は後に金色の竜体と変化し、それが太元神である大国常立命であるとしています。(後に○である地球における・が自転倒島(おのころじま=日本)となる。)
すると、霊界物語を何度も読むことによって、『宇宙の中に金色の円柱である主神』を思い描くことと、シュタイナーの『青色の○に黄色の・』を思い描いて『私の中に神がいる』というイメージで瞑想することとは、霊的に同じような作用を及ぼすのではないかとも考えられます。
実際、王仁三郎の霊界物語を拝読することで、病気が治ったという信徒の声があったほど、治療的な癒しの効果があるとされているのです。
以上のことから、こうした説明の違いは、どちらか正しいとか誤りであるとかいった次元ではなく、何に比喩し、どのように解説をするか、という違いであることが理解できると思います。
ちなみに、王仁三郎は短冊や書画などに拇印を押していたのですが、その際、拇印が
そして、この拇印について、王仁三郎は次のようなエピソードを残しています。
「王仁の神業を知らずに『拇印を押してくれ』の『方位を見てくれ』のと言う。拇印一つ押すと涙が二つ出る。」
(新月の光 下巻 第六章)
「(危険なときには)拇印(出口聖師)を竹の先にはさんで振ってよい。」
(新月の光 下巻 第五章)
さらに、言霊学の解釈の中でも次のように述べています。
「言霊学(げんれいがく)の中興の祖中村孝道の言霊学は、一言一義に近いもので覚えやすい。大石凝真寿美になっては一言多義になった。本当の言霊学を用いたのは弘法大師くらいのもので、真言というのは言霊のことである。弘法大師は『ア』が元で、一切は『ア』から現れたというので、阿字本義を提唱したが、実際は☉ 「ス」から出てきたものである。」
(昭和八年三月・玉鏡)