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第一章■二■(二)では、『桃の実とは無花果のことである』という出口王仁三郎の言葉について、シュタイナーのキリストに関する文献から、無花果はエジプトのオシリス神を示していることを取り上げました。
では、エジプト神話のオシリス神とはどういった存在なのでしょうか?
エジプト神話の九柱の神々には、創造神アトムと、そこから三代下った曾孫たちに、オシリス(兄)、イシス(妹であり、オシリスの妻)、セト(弟)、ネフティス(妹であり、セトの妻)の四人の兄弟が登場します。オシリスは生産の神、豊穣の神として君臨し、人々に絶大な支持を得た神でした。
オシリスはエジプトの地を文明化したあとで、国の統治を妹のイシスに託し、自らは南方に赴き、その地のいまだ野蛮な人々に、農業と調和の法則と神を崇拝する方法とを教えることにします。
こうして、長期の不在の後、オシリスはエジプトに帰ってきますが、セトとその七十二人の共犯者は彼を待ち受け、オシリスの体躯に合わせて作った棺に彼を閉じ込めてしまいます。オシリスが閉じ込められた棺はナイルの支流のひとつに流されて地中海に運ばれ、北の方に漂ってゆきます。
レバノンのビブロスにビブロスの王はこの大樹を柱として用いていましたが、イシスは王妃からこの柱を譲り受け、再びエジプトに持ち帰ります。しかし、これを知ったセトはオシリスの体を十四の部分に切り刻みあちこちにばら撒いてしまいます。イシスはオシリスの体を集めますが、河に落ちで魚に食べられてしまった男根だけは戻りませんでした。
創造神アトム
↓
(曾孫)オシリス(兄)・・・生産・五穀豊穣の神として君臨 イシス(妹) ・・・オシリスの妻となる
↓
ホルス(オシリスとイシスの息子)
↓
× (敵対関係)
↑
セト(弟) ・・・オシリスに敵対する
ホルスとの戦いに敗れる
オシリスの死を悼むトビの姿のイシス(右)とネフティス(左)
イシスは山犬アヌビスに白布を使ってオシリスの身体を元の姿にもどします(これが神話の世界のミイラの起源とされる)。
ミイラにされて冥界に復活したオシリスは、息子ホルスに戦いの訓練をさせ、セトへの復讐を試み、ホルスはセトに勝利するのです。
この物語なども、艮の金神(国常立尊)が艮に押し込められた経緯を連想させます。
霊界物語において、国常立尊は地球を創造した後、地球の霊系の主宰神となります。また、須佐之男命は現界の主宰神となります。
地球神 = 大国常立命(霊系の主宰神) :妻神(豊雲野尊)
=須佐之男命(現界の主宰神)
国常立尊は地上が混乱し、邪悪な分子が発生したので、大国常立尊は坤の金神(豊雲野尊)を内助にその他の諸神と共に非常に厳格な規則正しい政(まつりごと)を行うと共に、天の律法を制定して、少しでも天則に違反する者に罰を与えることにします。そのため、地上はしばらくの間は立派に神政が治まります。
しかし、次第に世が開けてくるにつれて、神界、幽界、現界ともに邪悪分子が殖えたため、素盞鳴尊の霊系である大八洲彦命が和光同塵の神策を施してこれに対処するのですが、最終的には邪神たちが国祖・国常立尊の神政に反対するようになります。
そのため、国常立尊はやむを得ずして天に救援を請うと、天の三体の神【天照大御神・伊邪那岐尊(天の大神)・伊邪那岐尊(月の大神)】が地に降臨し、国常立尊の神政の手伝いをすることになります。
しかし、時節が悪神に有利に働き、天の大神様の説得も及ばず、悪神によって国常立尊は髪、手足、骨、筋を無惨に引き裂かれていまいます。国常立尊は宇宙の大元霊であるため、その体は元通りに戻るものの、結局、天の御三体の大神様は後日の再起を約束して国常立尊に隠退を命ずることを余儀なくされてしまいます。
同時に、須佐之男命も悪神たちに自転倒島(おのころじま:日本)の地を追われ、悪神を改心させるために世界へ漂流(さすらい)の旅をすることになります。そして、いつか地上を天下泰平に治めて天の御三体の大神様にお目にかけ、再び地上の主宰神となるよう活動することになったのです。そのため、地上においては須佐之男命が、救世主として活躍することとなったのです。
注:出口王仁三郎と大本(三)参照
大本神輸には 「今迄は、世の本の神を北へ北へ押し籠めておいて、北を悪いと世界の人民が申して居りたが、北は根の国、元の国であるから、北が一番に善くなるぞよ。」 (明治三十二年、月日不明)とあるように、オシリスと同様に北という方位に縁が深いのです。
さらに、エジプトの神オシリスは、五穀豊穣の善神であったのですが、悪神に裏切られて冥界に降り死者を裁く閻魔大王のような存在になっています。この五穀豊穣の神オシリスの働きは、伊勢神宮の外宮の豊受大御神を彷彿とさせます。
オシリス → 生産の神、五穀豊穣の神として君臨
→ 棺に閉じ込められ北へ北へと流される
→ 悪神にバラバラにされる
→ イシスがバラバラになった体を集めて助ける
→ 冥界に復活し、冥界の王・裁きの神となる
→ 冥界から息子ホルスを指導して悪神セトに勝利する
国常立尊 → 御饌の神=等由気大神(伊勢:外宮神道)
→ 北へ北へと押し籠められてゆく
→ 邪神に反対され体をバラバラに引き裂かれる
→ 体は元に戻るが隠退を余儀なくされる
→ 大王として根の国・底の国の監督することになる
→ 天下太平の世の実現を須佐之男命に託す
シュタイナーは、古代エジプトの神オシリスについて次のように語っています。
「オシリスは、人間が死の扉を通り抜けたときに見出される神です。オシリスは外的な感覚世界のなかには生きることのできない神です。
太古にはオシリスは感覚界のなかに生きることができたのですが、新しい時代が近づいてくると、オシリスは人間が死後歩み入る世界、つまり、ある人生から次の人生へと継続していく人間の不死の部分の中に沈潜したときに見出される世界のなかに生きています。
オシリスは人間の内面生活のなかに生きているのです。そのため、人々は自分の内面生活はオシリスに結びついている、と感じたのです。」 (西洋の光の中の東洋)
つまり、古代エジプト人は死後の幽冥界に五穀豊穣の神であるオシリスがいることを感じて崇拝していたということです。さらに、シュタイナーは、エジプトにおいては「シリウス暦」と「市民暦」が存在し、これらの暦が一四六一年周期で一致するとしています。そして、紀元前一三二二年が、暦の一致した時にあたっているとしています。
シュタイナーはこの時から人間は更に物質次元に下降し、神の叡智が物質的になっていったと洞察しています。そのため、それまでの人々は、イシスからオシリスが誕生するのを霊的に体験していましたが、それ以降、人々はオシリスを感じられなくなったのだといいます。(第二章■七■(四)・第二章■八■(八)参照)
そして、女神イシスは沈黙し、 「悲しみに沈む寡婦」となり、後の時代にはオシリスは生まれず、高次元の「宇宙の響き」や「宇宙言語」が知覚できなくなったというのです。
(注:第二章 ■四■(二) 参照)
実は、この「悲しみに沈む寡婦」と「宇宙言語」にも、大本の仕組や出口王仁三郎との強い関連性が見られるのです。
(第二章■七■(三)参照)
(一)で取り上げたオシリスと同じように、冥界で死者の霊を裁く閻魔大王のような存在は、新約聖書の中でも語られています。
ルカ福音書・第十二章『恐れずに説け』では、イエス・キリストは布教する弟子たちに次のように語っています。
「あなた達、私の友人に言う、体を殺しても、その後、それ以上には何もできない者を恐れるな。恐れるべき者はだれか、おしえてあげよう。殺したあとで、地獄(ゲヘナ)に投げ込む権力を持っておられるお方を恐れよ。ほんとうに、わたしは言う、そのお方(かただけを恐れよ。」
同様に、マタイ福音書第十章にも次のような記述があります。
「私が暗闇でこっそり話すことを、大胆に明るみで言え。耳うちされたことを屋根の上で宣伝せよ。体を殺しても、魂を殺すことのできない者を恐れることはない。ただ、魂も体も地獄(ヘゲナ)で滅ぼすことの出来るお方を恐れよ。」
つまり、死後の世界において人を裁くことができる存在とは、父なる主であることを示していることがわかります。
次に、マタイ福音書では、イエス・キリストは先の福音の続きとして、次のように力強く語っています。
「雀は二羽一アサリオン(三十円)で売っているではないか。しかしその一羽でも、あなた達の父上のお許しなしには地に落ちないのである。ことにあなた達は、髪の毛までも一本一本数えられている。だから、恐れることはない。多くの雀よりもあなた達は大切である。それだから恐れずに説け。
だれでも人の前で公然とわたしを主と告白する者を、わたしも裁きの日に、私の天上の父上の前で弟子と認める。しかしだれでも人の前でわたしを否認する者を、わたしも天上の父上の前で否認するだろう。」
ここで、まず最初に注目すべきは「ことにあなた達は、髪の毛までも一本一本数えられている」という言葉です。明治三十八年旧四月十六日の大本神諭には、次のように書かれているのです。
「この神一言(かみひとこと)申したら、何時(いつ)になりても、一分一厘間違いはないぞよ。髪の毛一本程でも間違うような事では、三千年かかりて仕組んだ事が水の泡に成るから、そんな下手な経綸(しぐみ)は、世の元から元の生神(いきがみ)は致して無いから、素直に神の申す事を聞いて下されよ。」
当時、文字の読み書きすら満足にできなかった無学の出口直開祖が綴った筆先の内容が、イエス・キリスが恐れよと語った父(主)の説明と同じ髪の毛一本という表現を用いていることは、非常に特筆すべきことです。
さらに、イエスは父上(主)を信じる者は、神に大切にされているのだから、他人を恐れることなく説きなさい・・・・・・と説いているわけですが、大本神諭では、次のように書かれています。
「ビクビク致す様な事では、モ一つ信仰(しんじん)が足らんのであるぞよ。確(しっか)り腹帯締めて信仰(しんじん)が固まりたら、世界の大峠に成りた折に胴が据りて、ビクとも為ずに御用が出きるぞよ。筆先の読み様がたらんと、其の時に恐くなりて堪忍(こばれ)んから、日々(にちにち)気を付けて知らしてあるぞよ。」
(大正三年旧九月十七日)
これは上記の福音の『恐れずに説け』に対して、『筆先を良く読んでおけばビクりともせずに御用ができる』としており、キリストの預言の成就のための心の準備を即していたと考えられます。
ただし、イエス・キリストの福音は、イエスが父上(主)について(客観的に)語っている内容なのに対して、大本神諭では父(主)自身が自ら(主観的に)福音を語っているように綴られているのです。
これには、どういう意味が隠されているのでしょうか……?
その疑問に対する一つの答えとして、出口王仁三郎は、霊界物語の第一巻・第六章「八衢の光景」の中で、高熊山の岩窟修行において霊的に芙蓉仙人に導かれて面会した大王(閻魔大王)との会話について、次のように述べています。
「上段の間には白髪異様の老神が、机を前におき端座したまふ。何となく威厳があり且つ優しみがある。そしてきわめて美しい面貌であつた。
芙蓉仙人は少しく腰を屈めながら、右前側に座して何事か奏上する様子である。判神さばきかみは綺羅星(きらぼし)のごとく中段の間に列んでゐた。 老神は自分を見て美はしき慈光をたたへ笑顔を作りながら、『修行者殿、遠方大儀である。はやく是に』と老神の左前側(さぜんそく)に自分を着座(つか)しめられた。 老神と芙蓉仙人と自分とは、三角形の陣をとつた。
自分は座につき老神に向って低頭平神敬意を表した。老神もまた同じく敬意を表して頓着したまひ、
『吾は根の国底の国の監督を天神より命ぜられ、三千有余年当庁に主たり、大王たり。今や天運循環、いよいよわが任務は一年余にして終わる。余は汝とともに霊界、現界において相提携して、以て宇宙の大神業に参加せむ。
しかしながら吾はすでに永年幽界を主宰したれば今さら幽界を探求するの要なし。汝は今はじめての来幽なれば、現幽界のため、実地について研究さるるの要あり。しからざれば今後において、三界を救ふべき大慈の神人たることを得ざるべし是非々々根の国、底の国を探求の上帰顕あれよ。汝の産土(うぶすな)の神を招き奉らむ』 ――後略――」
この中で判神(さばきがみ)である大王は、三千年余り幽冥界において、善と悪とを立て別ける仕事に従事しており、あと一年余りでその仕事を終え、宇宙の大神業に参加するとしているのです。
この霊界体験は、王仁三郎が二十七歳の時の事なので、一八九八年(明治三十一)ということになります。その一年後とは、王仁三郎が二度目の綾部訪問をした一八九九年であり、大本の神業を開始した年でもあります。
そして、この一八九九年とは第二章で取り上げたシュタイナーが洞察した『カリ・ユガ(泥海の時代)の終焉の時』でもあるわけです。
(注:第二章 ■二■ (4) 参照)
では、一八九九年から宇宙の大神業に参加される大王とは、どのような存在なのでしょうか。大本神諭には、次のように書かれています。
「太古(むかし)からの真相(こと)知しりて居るのは金神であるぞよ。此の世のエンマという神であるぞよ。」
(明治三十年旧十一月六日)
「神国の世になりたから、信心強きものは、神の御役に立てるぞよ。今迄は、カラと日本が立ち別れて在りたが、神が表に現われて、カラも天竺も一つに丸めて、万古末代続く神国の世に致すぞよ。艮の金神は、此の世のエンマと現われるぞよ。
世界に大きな事や変わりた事が出て来るのは、皆この金神の渡る橋で在るから、世界の出来事を考えたら、神の仕組が判りて来て、誠の改心できるぞよ。」
(明治二十六年)
「日本の天地の王の王の生神を下に見降(みくだ)して、モ一つ上へ上がりて、王の王に成ろうとの浅い目的、死物狂いを致そうよりも、一日もは早う往生を致すが結構であるぞよ。
素直に改心を致せば、亦仕様もあるなれど、何時までも敵対うて、天地の王よりも上へあがりて、王の王になろうとの初発(はじめ)からの目的を、天の至仁至愛真神(みろくさま)と地の先祖の大国常立尊が、根本の事から悪い企みは、帳面に付け止めている同様に、此の世の初まりの天地を拵(こしら)えた、世の本(もと)の末代その儘(まま)で居(お)る生神であるから、此の世の閻魔とも言われたのであるぞよ。
恐い斗りがエンマでは無いぞよ。此の世の根本からの事は、何一つ知らんという事の無い神であるぞよ。」
つまり、艮の金神は自らを、地の先祖の大国常立尊であり、悪い企みを帳面につけた閻魔であることを明言しているのです。そして、三千年の仕組によって、霊界と現実界を立替え立直す神として再び出現したのです。
さらに、王仁三郎は、霊界物語の第一巻・第七章「幽庁の審判」において、閻魔大王と対面した数ヵ月後に出会った出口直について 「また教祖をはじめて拝顔したときに、その優美にして温和、かつ慈悲に富める御面貌を見て、大王のお顔を思ひ出さずにはをられなかった。」とも語っています。
以上の霊界物語と大本神諭の内容から、閻魔大王とは、国祖・国常立尊が北(東北)に隠退し、艮の金神として化身した時の別名であると推測されます。
■六■(1)でも触れましたが、出口王仁三郎は、主なる神について、次のようにも口述しています。
「大宇宙の元始にあたって、湯気とも煙とも何とも形容のし難い一種異様の微妙のものが漂ひたり。この物はほとんど十億年間の歳月を経て、一種無形、無声、無色の霊物となりたり。
之を宇宙の大元霊といふ。我が神典にては、天御中主神と称へ又は天之峰火夫神と称し、仏典にては阿弥陀如来と称し、キリスト教にてはゴットまたはゼウスといひ、易学にては太極といひ、支那にては天主、または単に天の語をもって示さゐるなり。国によっては造物主、または世界の創造者ともいふあり。
この天御中主神の霊徳は、漸次宇宙に彌慢(びまん)し、氤氳化醇(いんうんかじゅん)して遂に霊、力、体を完成そ、無始無終、無限絶対の大宇宙の森羅万象を完成したる神を称して大国治立尊(一名 天常立命)といひ、ミロク大神といういふなり。」
(霊界物語・第六巻・第一章・「宇宙太元」)
つまり、キリスト教の父上(主)と、大国常立尊(霊界物語の中では、大国治立尊)とは共に大宇宙を完成させた創造神の御名(神名)であり、艮の金神とは大国常立尊が艮(東北)に隠退して冥界で判神(さばきがみ)として活動されている時の御名(神名)と考えられるのです。
一方、現代の西洋人が他界した後に現われる存在について、シュタイナーは次のように語っています。
「俗界(死後の世界)での人生の最初に、人間はある重要な体験をします。大抵のヨーロッパ人、あるいは近代文明人は次のようにこの体験をします。
俗界での人生の初めに、ある霊的存在が、私たちの利己的な動機からなされた行為をすべて記した表を見せます。私たちの物質的な人生の記録を見せられるのです。重要なのは、大抵のヨーロッパ人にはこの霊的存在がモーセに見えるということです。現代人においてなされた悪を総計するのがモーセであるというのは霊的な事実です
このことは中世以来、薔薇十字会の探求によって知られており、また近代の非常に入念な霊学研究によって確認されています。俗界での人生の初めに私たちは、人間を下界に引き込んだ前キリスト時代の諸力に対して非常な責任を感じるわけです。人間を再び霊的世界へ引き上げる力は二つあります。一つは智、もう一つは徳です。」
(仏陀からキリストへ)
シュタイナーは、現代人の生前の行為を全て表記した記録が存在し、その悪を総計する存在が西洋人の場合にモーセとして現われるとしています。
これは、日本における閻魔大王の姿と非常に重なります。そして、このモーセは、実在の人物ですがモーセを導いた神は主(ヤハウェ)であることから、冥界のモーセはヤハウェの化身として活動していると考えることができますが、これについては次の(三)で詳細に触れます。
ここまでのことから、オシリス、父上、大国常立尊、モーセ(ヤハウェ)は、いずれも幽冥界にあっては人間を裁く神(閻魔大王)の働きをされており、最も畏れるべき存在であるという点が共通していることが解ると思います。
次にモーセを導いたハウェを、違った観点から考察してみましょう。
旧約聖書において、モーセは少年時代にシナイ山においてヤハウェから 「ここに近寄るな。履き物を脱げ。おまえが立っているこの場所は、聖なる地である。」 と告げられ、つづけて 「わたしはお前の父祖の神、アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神である」 と言ったので、モーセは神を見ることを恐れて顔を隠します。
さらに、ヤハウェは、エジプトで虐げられている民をエジプト人の手から救い出し、あの地から、広々とした沃地、乳と蜜の流れる地(約束の地カナンを示す)に導き上がらせようと、モーセに神示を与えます。それから後の様々な奇蹟については、出エジプト記にある通りです。
このシナイ山におけるモーセについて、シュタイナーは次のように述べています。
「古代エジプトの秘儀の中でオシリスの誕生を体験できた時代と、ただ、無言で、沈黙し、悲しげなイシスに出会って、寡婦の子となった時代との境目にあたるのが、モーセの時代です。
モーセが単にエジプトの秘儀の秘密に参入しただけでなく、その秘密を持ち去ったことによって、エジプトのカルマは満たされたのです。モーセは自らの民をエジプトから導き出すことで、エジプトの秘儀からオシリスの秘密を持ち去ったのです。こうして、エジプト文化から旧約聖書の文化への移行がなされました。
モーセはオシリスの秘密、宇宙言語の秘密を持ち去ったのです。もし、モーセが虚脱状態のイシスを置き去りにしなかったら、彼は偉大な、 『私は<我在り>である』 という意味深い言葉を自らの民のために理解し、声高に告げることはできなかったでしょう。エジプトの秘密は古代ユダヤ人の秘密になったのです。」
(秘儀参入の道)
オシリスの誕生を体験できた時代
(魂の指導者を感じられた時代)
→ モーセの出エジプト時代
(エジプトの秘儀からオシリスの秘密・
宇宙言語の秘密を持ち去った)
→ イシスが寡婦となった時代
(魂の指導者を失い寡婦の子となった時代)
※注 : 第二章 ■四■(二)参照
一方、霊界物語には、第一巻・第三十四章「シナイ山の戦闘」、第三十五章「一輪の秘密」、第三十六章「一輪の仕組」という章があります。
そこでは、王仁三郎はエジプトのシナイ山について国常立尊が 「一輪の仕組」として 「三個の珠の体のみを、沓島(めしま:竜宮島)と冠島(おしま:別名、鬼門島※鬼は上に点のない漢字)に納めておき、肝腎の珠の精霊をシナイ山の山頂へ、何神にもしらせめずして秘(かく)し置かれた。」 としています。
冠島(右)と沓島(左) 冠島、沓島
京都府舞鶴市(若狭湾)
≪一輪の仕組≫
三個の珠→ 珠の体のみ→ 沓島と冠島に納めた
肝腎の珠の精霊→ シナイ山の山頂へ秘し置いた
霊界物語における、この「一輪の秘密」としてシナイ山に隠された珠の精霊と、シュタイナーのモーセがシナイ山から持ち出したとされる「オシリスの秘密(エジプトの秘密)」「宇宙言語の秘密」は、非常に強い関連性を感じさせます。
シュタイナーは古代にヘルメスの秘儀に参入した者が聞くことのできたこの「宇宙の言語」について、「イシスは一方ではイシス自身として参入者の前に立ち、もう一方では宇宙音楽、宇宙の言語という存在を生み出すものとして立っています。」としています。
これに対して、国常立尊の妻神である豊雲野尊(瑞の御魂)の働きをした王仁三郎は、「一厘の仕組みとは言霊であって、これを呼び起こすのである。大本では演習したのである。」 (新月の光・上巻・三章)と語っており、シュタイナーの「宇宙言語の秘密」と同じ事を示していると思われます。
人智学
モーセは、シナイ山から「宇宙言語の秘密」を持ち出す
霊界物語
シナイ山の山頂に三個の珠の精霊を秘め置く→一輪の秘密
また、霊界物語にも、登場人物の竜公の言葉に『もし先生、霊界の如意宝珠とは善言美詞の言霊ですよ。中間天国へ上る途中において、天津祝詞や神言を忘れたので、姫命様(木の花姫)がお気をつけて下さったのですよ。』 (霊界物語 第四十八巻 第十六章)と口述されています。
同様に、当時のエジプト死者の書には、中間的な霊界において邪霊から自分の霊魂を守るための呪文が数多く記されています。
例えば、「危険にぶつかった時にもっとも効果があるのは霊界では呪文や祈りである。これは霊界そのものがトートの言葉によって創造されたものであること、霊界がつまりは言葉の世界だからである。つまりいってみれば『初めに道(ことば)ありき』なのが霊界なのだといえる。」
(世界最古の書エジプト死者の書)
といったような言霊信仰を示す記述も残されており、上記の霊界物語の内容と同様、霊界での呪文や祈りの言葉、つまり言霊が極めて重要であることが解ります。
また、このトートはヘルメスと同一視されており、ヘルメスとモーセは、それぞれゾロアスターのアストラル体とエーテル体を受け取った人物であったことは先に説明した通りです。
さらに、人智学においては「オシリスの力は人体を女性に形成する。」「イシスの力は人体を男性へと形成する。」 (シュタイナー用語事典)とされており、これなども大本神諭の「変性男子(国常立尊が懸かった出口直)」と「変性女子(豊雲野尊が懸かった出口王仁三郎)」の関係と非常に良く一致しているのです。
オシリスの力
人体を女性に形成する ⇔ 国常立尊が懸かった出口直
→ 変性男子
イシスの力
人体を男性に形成する ⇔ 豊雲野尊が懸かった出口王仁三郎
→ 変性女子
さらに、第二章■四■(二)で説明したように「父と母、オシリスとイシスは、魂の中にある二つの力です。」(神殿伝説と黄金伝説)としているわけです。
これに対して、王仁三郎も「人間には日の大神と、月の大神の霊魂を賦与されて、肉体は国常立尊の主宰として、神の御意志を実行する機関となし給うた。」 (霊界物語・第一巻・第十二章)と口述しており、これも双方で一致するのです。
◆人智学 オシリス (父:太陽)
+ イシス(母:月) → 人間の魂の中にある二つの力
◆霊界物語 日の大神(厳の御霊)+ 月の大神(瑞の御魂) → 人間に賦与されている二つの霊魂
つまり、人間には、父神(オシリス・日の大神=国常立尊)と母神(イシス・月の大神=豊雲野尊)の分魂が賦与されていると考えられるのです。
このように、ヤハウェとモーセについても、人智学的解釈と霊界物語との間に多くの符合点が見出されるのです。
そして、シュタイナーはモーセを導いたシナイ山上の神について、次のように述べています。
「旧約聖書の告知を理解し、新約聖書を理解する者には、モーセに語りかけた神は、のちに人々の間を歩むことになるキリストであったことを知ります。」
(輪廻転生とカルマ)
「ヘブライの秘儀に参入した者たちは、自分たちがキリストを崇拝していることを知り、「私の民族にいいなさい。『わたしは「我在り」である』と」と語る神のなかに、キリストを見ました。」
(輪廻転生とカルマ)
つまり、キリスト存在は、アフラ・マズダ(ゾロアスター教)、オシリス(古代エジプト)、ヤハウェ(旧約聖書)として、各時代に各民族の預言者を通じて開示されてきたことになるのです。
(第二章■七■(十)参照)
大本神諭では国常立尊は、余りにも善に対して厳格過ぎたため、他の神々に裏切られ、艮の方位に隠退を余儀なくされ、三千年間陰で守護していたことを次のように明かしています。
「艮の金神は自信(が)もある神じゃ。負けることは致さん神じゃ。けれど時節には此の神でも叶わん事に成りて、余り天地のいいつけも聞かず、万(よろず)の神の御意見も聞かずして、艮へ押し込められて居りて、世界を構うて居りたのじゃぞよ。其の事情(こと)は、今の神様は御存じ無い勝ちじゃぞよ。色々に変化(ばけ)て、此の世の守護を致して居りたのじゃ。」
(一九〇〇年(明治三十三)旧四月七日)
「艮の金神は此の世を始めた神なれど、余り我が強うて、丑寅へ三千年と五十年押し込められて居りて、蔭から構うて居りたが、蔭からの守護は夫れ丈の事、神の威徳はチットも人民には判らんから、表に現われて、神の威勢の光を出して、世界を救けるぞよ。大謨(たいもう)な事であるぞよ。」
(一九〇〇年(明治三十三)旧四月七日)
これに対して、旧約聖書を紐解くとモーセを導いた神も、非常に厳格な神であったことが解ります。
また、モーセがシナイ山にいる間に、山の麓でモーゼを待ち続けていたイスラエルの民は、モーセの下山を待ちきれずに「金の牛」の像を作って崇拝してしまい、山頂から降りてきたモーセを深く落胆させます。
シュタイナーは、このことについて、 「イスラエル民族は神の像を作ってはなりませんでした。どうしてでしょうか。この存在には外的な名を付けることができなかったからです。『私は「我あり」である』という名でのみ、この存在を表すことができました。人間のなか以外のところに太陽霊の名を見出す可能性はありませんでした。人間のなかに自我として生きるものが、キリスト存在なのです。」と語っています。
この偶像崇拝された金の仔牛は、会話の中では「金の神」と呼ばれており、丑寅の方位を示す地に押し込められた「艮の金神」の名に通じるものが表象されているようにも感じられます。
これは、人間は「金の神」という偶像崇拝によってお蔭を求める信仰ではなく、自分自身の身魂を磨くことによってモーセのように魂に活神(いきがみ)の発露を見出すべきであることを示していると考えられます。そして、大本神諭でも、国祖・国常立尊は「世界中に元の活神(いきがみ)の神力を現わして、……」 (大正五年旧九月五日)といったように「活神」や「生神」であることを何度も告げているのです。
時が下って、紀元前一二五〇年から紀元前一二〇〇年頃、モーセの後を継いだヨシュアは、約束の地カナンに侵入し、遊牧生活から半農耕生活に移行してゆきます。
紀元前一〇二〇年から紀元前一〇〇〇年頃には、預言者サムエルが宗教的指導者(祭司)かつ政治的民族指導者(士師)としてイスラエルを指導していましたが、晩年になって民が王政を望むようになってゆきます。
このサウルは、イスラエルを率いてペリシテ人や周辺民族と勇敢に戦いますが、サウルはアマレク人との戦いで
「アマレク人とその属するものを一切滅ぼせ」という神の命令に従わなかったため、神の心は彼から離れてしまいます。
神の声を伝えていたサムエルもこれ以降サウルに会うことはなく、サウルをあきらめたサムエルは、神の言葉によって密かにエッサイの子ダビデに油を注ぎ、ダビデは次の王となってゆくのです。
モーセ
↓
ヨシュア
・・・
↓
サムエル
↓
サウル王
(神の命令に背いたためサムエルに見捨てられる)
サムエルは、ダビデに油を注ぐ
(サウルの死後、イスラエルの王となる)
一方、一九〇〇年(明治三十三)旧四月七日の大本神諭には、「艮の金神は此の世を始めた神なれど、余り我が強うて、丑寅へ三千年と五十年押し込められておりて、……」と綴られていることから、これを文字通り単純計算すると紀元前一一五〇年頃だという推測もできます。
そして、(一)で取り上げたように、シュタイナーは、エジプトには、「シリウス暦」と「市民暦」が存在し、紀元前一三二二年に二つの暦が一致した頃から、人間は更に物質次元に下降し、オシリス神の叡智が物質的になっていったと洞察しています。
このことから、現実界において国祖国常立尊が隠退した紀元前一一五〇年頃とは、紀元前一三二二年頃から人間の魂が神の叡智から遠ざかったことによって物質的な次元に意識が下降し、イスラエルにおいてはモーセが他界し、政治も神の声を聞く祭司から、民衆による王政に代わっていった時代に相当するということになります。
これは、イスラエルの民が厳格な神の命令を裏切った時代を示しているともいえます。
しかし、人間が物質次元に深く入り込んで神に逆らうことになった原因は、人智学的にはある意味必然的であったとことも、既に考察した通りです。
(第二章■四■(三)参照)
これは同時に、人間は悪によって三千年の間に「神の言葉通りに命令されて行動する存在」から「利己的自由によって道徳を顧みない存在」に落ち込み、三千年目に再び「自らの経験を基に、神の言葉の真実性を認識し、利他的博愛精神と道徳性を高めてゆく存在」へと上昇することを意味していると考えられます。
そのため、人間が物質次元の暗闇に入り込んだ三千年の間、創造神は、オシリス、モーセ(ヤハウェ)、艮の金神、閻魔大王といった神として化身し、陰から人類を守護し、幽冥界の全ての霊魂に対して善悪を明らかにする裁きの神の働きをする必要があったのです。また、だからこそ国祖・国常立尊は、大本神諭の中で、
「天の至仁至愛真神(みろくさま)と地の先祖の大国常立尊が、根本の事から悪い企みは、帳面に付け止めている同様に、此の世の初まりの天地を拵(こしら)えた、世の本(もと)の末代その儘(まま)で居(お)る生神であるから、此の世の閻魔(えんま)とも言われたのであるぞよ。恐い斗りがエンマでは無いぞよ。此の世の根本からの事は、何一つ知らんという事の無い神であるぞよ。」
(大正六年旧二月九日)
として、世界中の人民の身魂の因縁をすべて知っていると語ることができたはずなのです。
これが人類にとって、何を意味しているかといえば、全ての人間は死して後の世界でモーセや閻魔大王に会い、自らの行いを振り返り、その善悪を知らされるわけであり、この世でどんなに取り繕っても無駄だということです。
だからこそ、死後の世界で神の前で、自分の本性を深く認識し、自分の行いを悔い改め、やがてそれを正すために自ら負荷(負のカルマ)を担って再び転生を望むことになるわけです。
そして、私たちは自分のカルマに相応しい人生を歩めるように、自らが望んで、自分に相応しい両親と宿命とを選んでこの世に再生してくるはずなのです。
神諭にも「神や親の業(わざ)のように申すなれど、世界の事は皆自分の心に移りて、其の心だけの事が出来きるのじゃぞよ。それで良き心を持てと、神が申すのであるぞよ。」 (明治三十三年旧八月十日)と記されています。
そのため、幽界の裁きの神とは、創造神の化身であり、決して無慈悲に人を裁くのではなく、人間に自分の本性と真実を認識させ、改心を諭し、少しでも早く楽に神に近づくようにという深い大慈大悲を秘めた存在であると考えるべきなのです。そして、シュタイナーは次のようにも述べています。
「キリスト衝動に深く結ばれた現代人が俗界に入り、道徳の力を人格化したモーセの形姿に悪行の責任を問われるという事実を心に留めれば、モーセという個人の変容の過程を理解することができます。
モーセが私たちの罪の記録を手にして私たちの前に立ちはだかる、というのは何を意味するのでしょうか? モーセは私たちに業(カルマ)の借りをあらわに見せるのです。今日私たちが仏陀の霊感を通して行の教義が理解できるというのは非常に意味深いことです。
死後の業の働きは旧約聖書のモーセによって私たちに示されます。ところが、霊界からのキリストの影響力が増大するにつれ、モーセの形姿はキリスト・イエスの形姿にとって代わられることになります。つまり、人間の業はキリストに結びつけられ、キリストが私たちの業と合体することになるのです。
仏陀の教義においては、業は人格を持たない抽象的な概念でした。将来、キリストが私たちの業との結合を密接にすると、業は一個の存在となり、もう一つの可能な人生という存在性を得ることになります。
過去の進化段階における人類の人生は「神から生まれる」という言葉に関連していました。もし、私たちが進化の道を真直ぐにたどり、死後、私たちの業に結びついた存在としてモーセの代わりにキリストに出会うようになると、人類の生は「キリストにおいて死す」という、十三世紀以来薔薇十字的キリスト教で使われてきた言葉で表現されることになります。
今まで話してきましたようなキリスト理解も、物質界においてのみ得られるのです。そして、今から三千年の間に、人類は霊的なキリストを見る力を物質界で獲得してゆくことになります。物質界において、キリストを理解する条件を作り、霊的なキリストを見る能力を用意するのが人智学の使命です。
今日、エーテル的キリストは人間界の中で働いています。
物質界においてエーテル的形姿のキリストを見る能力を得ますと、地上に生きている間、あるいは死と再受肉との間の時期に、キリストを見ることができます。キリストのエーテル的形姿を見ることができないまま死んだにもかかわらず、物質界でキリストを理解した人は、死後キリストの姿を見ることができます。
霊的生活から遠ざかり、キリストを理解しなかった人にはキリストは見えず、その理解を得るのに次の転生をまたねばなりません。」 (仏陀からキリストへ)
この「人間の業はキリストに結びつけられ、キリストが私たちの業と合体することになるのです」という言葉の解釈は難しく感じられますが、負のカルマを清算するために厳格に罰せられてきたモーセの時代から、他者を裁かずに赦すという断念と他者への施しによって清算するキリストの時代、あるいは「キリストにおいて死す」時代への移行とも考えられます。
また、そうしてキリスト的な人生を送った人々はそれによってキリストに業から救われることになり、結果としてキリストと業を共にすることになってゆくのかもしれません。
本章■六■(四)では、ルカ福音書第二十一章『来臨の日』における次のような言葉をご紹介したと思います。
「こういったあと、また一つの譬えをひいて彼らに話された。――『無花果の木をはじめ、すべての木を見なさい。すでに芽が出ると、それを見て、ひとりでにはや夏が近いと知るのである。そのようにあなた達も、これらのことがおこるのを見たら、神の国が近くに来ていることを知れ。……』」
シュタイナーは、この聖書の『無花果の木』とエジプトの神『オシリス』について、次のように述べています。
「――― エジプト各地で崇敬されていた種々の神々のなかで、オシリスが徐々に最も主要な、最も普遍的な神となって行く。他の神々の表象が、オシリスのなかに統合されて行くのである。
エジプト人の大部分が、オシリスについて、どのような観念を抱いていたかは別として、『死者の書』から窺(うかが)われるのは、神官の智に寄れば、オシリスなるものが、人間の魂自体の内部に見出し得る存在と見なされていた点である。―――
このことは、死や死者の肉体は地上的なものに与えられ、その地上的なものの内部に保管されるのだが、死者の永遠的な部分は、永遠的なものの根元への道を歩み始める。
そして、この永遠的な部分は、死者を裁く四十二人の裁判官を従えたオシリスの法廷へ出る。人間内部の永遠的な契約の運命は、これら死者の裁き手の判定で決まる。
魂が、その罪を告白し、永遠の正義と和解したと判定されると、眼に見えない存在が魂に近づき、次のように語りかける。
『オシリスなる某(それがし)は、ホテップの野の南、蝗の原の北にする池にて清められたり。この池にエジプトては、縁なすものの神々が、夜の第四時と昼の第八時とに、神々の心臓の姿形もて、夜から昼へ移りつつ身を洗うものなり』(『死者の書』一二五章)
つまり、永遠の世界秩序のなかで、人間の内部の永遠的な部分自体が、オシリスという存在として語りかけられているのである。
オシリスの名のあとには、当該の者の個人名が付加され、永遠の世界秩序と一体となったその個人も、自らを『オシリス』と称することになる。『われわれはオシリス某(それがし)である。オシリス某の名は、≪無花果の花≫の下で生長する』(ヌーの『パピュルス』)
つまり、人間がオシリスとなるのである。オシリスとしての存在は、人間としての存在の発展段階の完成にほかならない。永遠の世界秩序の内部で裁きを行なうオシリスにしても完成した人間以外の何ものでもないように思われる。人間としての存在と神としての存在との間には、程度の差、数の差が存在するのみなのだ。
このことの根底には、『数』を神秘的なものとする密儀的観照が存在している。宇宙的存在としてのオシリスは唯一者であり、したがって、どの人間の魂にも、オシリスは分割されることなしに存在している。個々の人間がすべてオシリス的存在である一方、唯一者のオシリスのほうも、個別の存在性をもつものと考えなければならない。
人間は発展的存在であり、その発展の歩みの終局に至れば、神的存在となる。このような見方からすれば、神とは、それ自体で完結し、独立した神というより、むしろ〝神格〝であると言わねばならない。」
(神秘的事実としてのキリスト教と古代秘儀 ・ 人智学出版社)
これについては、シュタイナー独自の解釈によるものではなく、「古代エジプト人の世界――壁画とヒエログリフを読む――」(村治笙子著 仁田三夫写真 岩波文庫)にも次のように述べられています。
「大神オシリスの守る国、黄泉の国は人間には見えないもうひとつの世界と認識されていたが、古代エジプト人は人間も大神のそばで大神と同じように再生し、若返りたいと考えた。そこで彼らは死後の自分の名前を刻む時に、自分の名の前にオシリスの名を置き『オシリス某』と記している。
私たちにわかりやすいのは『死んで仏になる』というニュアンスだとろう。誰もがブッダになるわけではないように、誰もオシリス大神自身になるわけではないが、死者の世界には大勢のオシリスが存在するのである。
こうした考えは古代王国時代のピラミッド内部に刻まれた最古の文字資料であるピラミッド・テキストの中にすでにあらわされているので、古代エジプト人の心の中に古くからあったと見てよい。……」
つまり、霊界に君臨するオシリス神とは別に、人間は誰でも自分自身の中にオシリスという名の「永遠なる魂の萌芽」を宿しており、オシリスの神格になるために無花果の花の下でその魂を生長させているのです。そのため、「無花果」とは人間の魂が高められた時の神格の象徴であり、オシリスの象徴でもあるわけです。
そのことについては、私たち人間の魂がオシリス(日の大神:厳霊)とイシスの力(月の大神:瑞霊)を魂に備えていることからも想像できます。神道的に解釈すれば、神の分魂(わけみたま)を授かっているということです。
神道には、人は様々な人生経験(修行)の中でその御霊(みたま)を磨くことで、神に近付く、あるいは神と合一するという思想があります。
この思想などは、「唯一のオシリス」と、「発展段階にあるオシリス」である人間との関係と、同じものを連想させます。
旧約聖書において、アダムとイヴは善悪を知る木の実を食べたことによって、二人の目があいて、彼らは自分たちが裸であることを知ります。そこで彼らは「無花果の葉」をつづって腰に巻くのですが、これは、蛇(ルシファー)による錯覚のために、物質界において人間に自我(個我)が芽生えたことの象徴とされています。
つまり、アストラル存在の集合魂として活動する動物とは異なる、「私」という個人の意識の覚醒ともいえます。
仏教においては、釈迦は菩提樹の下で悟りを開いたわけですが、この菩提樹の菩提とは悟りを意味しており、実際には「アジュヴァッタ樹」と呼ばれる「無花果の樹」であるとされています。これは、釈迦が現実界においてエジプトの秘儀に参入たことの霊的な証しであり象徴といえます。(文末、資料を参照)
これについてシュタイナーは、次のように述べています。
「伝説によると、旅の途中で彼は無花果の木の下に座し、悟りを開いて仏になりました。高次の位階に上昇したのです。」 (エーテル界へのキリストの出現)
菩提樹の木の下で修業する釈迦(手塚治虫:画)上下画像共
「ブッダ第4巻ウイルベーラの森」潮出版社より)
さらに、マルコ福音書「いちじくの木・宮清め」については、講義の中で次のように述べています。
「無花果の木とは何でしょうか。
なぜ、この話がここで物語られるのでしょうか。
秘められた文書を読み解ける者は、仏陀が『菩提樹』の下に座って、ベナレスの説法に至る悟りを聞いたと語れているのと同じものを『無花果の木』に認識します。
『菩提樹の木』の下というのは、『無花果の木』の下と同じことです。仏陀の時代は世界史的に人間の透視力に関して『無花果の時代』だったのです。
仏陀のように、人間が菩提樹の下、無花果の木の下で悟りを開いたのです。」 (マルコ福音書講義)
参考資料として『仏典の植物』(満久崇麿著 八坂書房)のより「インドボダイジュ」についての内容を抜粋させていただこうと思います。
**************インドボダイジュ******************
釈迦がさまざまな遍歴と苦行の末、ルビルバ村を流れるナイランジャナ河畔のアシュバッタ(ピッパラともいう)の木の下で菩提を得たので、以後この木を菩提樹と呼ぶようになったが、中国で、現在われわれが菩提樹と呼んでいるシナノキ科の木と間違えられ、そちらの方にお株をとられてアシュバッタの方がインドボダイジュと呼ばれるようになったが、本来シナノキ科の方がシナボダイジュまたは中国ボダイジュとよばれるべきである。
インドボダイジュは後年次第に神秘化され、巨大化され、偉大なる悟り、偉大なる悟りを得た者の象徴となり、また七宝作りの宝樹となって如来たちの悟りを祝福し、仏国土を飾る荘厳樹となった。尼拘律樹(にくりつじゅ、パンヤジュ)、多羅(たら、オオギヤシ)などもそうである。
たとえば、仏説無量寿経巻上に、
「又其国土 七宝諸樹 周満世界 金樹銀樹 …… 又無量寿仏其道場樹 高四百万里 其本周囲 五十由旬 …… 微風徐動 吹諸枝葉 演出無量 妙法音声 其声流布 偏諸仏国 其聞音者 得深法忍 住不退転 至成仏道 耳根清徹 不遭苦患 日親其色 耳聞其音 鼻知其香 舌嘗其味 身触其光 心以法縁 一切皆得甚深法忍 住不退転」
【口語訳】「またその国土に、七宝作りの諸樹、あまねく世界に満ち、金樹、銀樹……また無量寿仏の道場樹(菩提樹)は高さ四百万里、その根本の周囲は五十由旬(由旬は長さの単位、諸説あり、7.3~14.4㎞)である。……微風が静かに枝葉に吹くときその妙音は無限の世界に達し、これを聞くものは不退転に住し、耳の病を患うことなく、その色を見、その音をきき、その香をかぎ、その味をなめ、その光に触れるものはすべて深甚な悟りをえて不退転に住す。」
と表現している。
インドボダイジュはイチジク属であるから食用イチジク(無花果)と同じように花托につつみこまれて外部からは見えないので、「イチジクの木の林の中に花を求めてもえられないように、もろもろの存在のうちに堅固なものを見出さない修行者は、この世とあの世とを共にすてる」(中村元訳、スッタニパータ)。とたとえられる。
インドボダイジュ
―――中略―― 釈迦がインドボダイジュの下で最高の悟りを得仏陀になった前後のさまざまな物語は専門書にゆずり、そのうち植物に関係の深い部分をビナヤピータカや四分律などによってまとめると、悟りをひらいた釈迦は一週間インドボダイジュの下で神々の祝福をうけ、法悦にひたり、第二週目には瞑想から立上ってアジャパーラ(バンヤンジュ)の下に移り、ここで再び瞑想にふけり、第三週にはムチャリンダ(バーリングトニア)の木の下におもむき、さらに七日間座禅瞑想した後、ラージャダナ(ロネホ)の木の下に移って一週間結跏趺坐(けっかふざ)して解脱の楽しみをうけ、第五週目には再びアジャパーラの木の下におもむいている。――後略――」
『仏典の植物』(満久崇麿著 八坂書房)
*******************************************************
「……(ピリポの言葉)『わたし達はモーセが律法に書き、預言者たちも書いている人を見つけた、ヨセフの子、ナザレのイエスだ。』
ナタナエルが言った、『あのナザレから何か善いものが出るだろうか。』
ピリポが言う、『来なさい、そうすればわかる。』
イエスはナタナエルが自分の方に来るのを見て彼のことをこう言われる、『そら、あれは生粋のイスラエル人だ。少しもごまかしがない。』
ナタナエルが言う、『まあ、どうしてわたしを御存じですか。』
イエスが答えて言われた、『ピリポが呼ぶ前に、あなたが無花果の木の下にいるのを見た。』
ナタナエルが答えた、『先生、あなたは神の子であります。あなたはイスラエルの王であります。』
イエスが答えて言われた、『あなたを無花果の木の下で見たといったので、信ずるのか。信ずれば、あなたはもっと驚くべきことを見るであろう。』
そしてそこにいる人たちを見ながらナタナエルに言われる、『アーメン、アーメン、あなた達に言う、あなた達は天が開けて、人の子わたしの上に神の使たちが上り下りするのを見るであろう。』」
(福音書 岩波文庫)
シュタイナーは、この福音について次のように解説しています。
「さて、ヨハネ福音書によれば、イエス・キリストの最初の弟子たちの中に、ナタナエルもおりました。ナタナエルは、初めてキリストの前に連れてこられたとき、彼はキリストを霊視できるほどにまで、高次の段階の秘儀は伝授されていませんでした。
もちろん、キリストは広大な叡智の霊ですから、第五段階の秘儀を受けたナタナエルでは、まだその本性を霊視することができなかったのです。しかしキリストは、ナタナエルの本性を霊視します。そしてそのことが二つの事実によって示されています。
まずキリスト自身がナタナエルのことを、『これこそは真のイスラエル人である』と呼んでいます。ここでも民族名で呼ばれているのです。ペルシア人の場合、第五段階の秘儀参入者を『ペルシア人』と呼んだように、イスラエル人の場合は『イスラエル人』と呼んだのです。
ですから、キリストはナタナエルを『イスラエル人』と呼び、そして、『ピリポがあなたを呼ぶ前に、あなたが無花果の樹の下にいたのを見ました。』と彼に語ります。これは秘儀参入者に対する象徴的な表現なのです。
ちょうど、菩提樹の下に座す仏陀の姿が、象徴的に理解されたようにです。無花果の樹は、エジプト・カルディアの秘儀を象徴しています。キリストはこの言葉で、ナタナエルにこう言おうとしたのです。
『私はあなたが秘儀に参入して、特定の事柄が霊視できるようになったことを知っています、なぜなら、無花果の樹の下のあなたをみたのですから。』
そうすると、やっとナタナエルはキリストを認めるのです。
―――『ナタナエルは答えて彼に言う。「師よ、あなたは神の子であり、イスラエルの王です」』。王であるという言葉は、この場合、『あなたは私よりも偉大です。そうでなければ、「あなたが無花果の樹の下に座っているのを私は見た」と言うことはできなかったでしょうから』という意味です。
そうすると、キリストは次のように答えます。
―――『無花果の樹の下であなたを見た、と私が言ったので、あなたは私を信じましたが、あなたはこんなことよりも、もっと大切なことを見ることになるでしょう。』
『まことに、まことに』という言い方については、後で述べるつもりです。
次いでキリストは次のように語ります。―――『あなた方は、天使たちが人間の子の方に上り降りするのを見るでしょう』」
(マルコ福音書講義・アルテ) (マルコ伝・人智学出版社)
このように、イエス・キリストの霊的な眼差しにナタナエルが「無花果の木の下」にいることが映ったため、ナタナエルの魂が信仰深い生粋のイスラエル人のものであることを見抜きます。
そして、「無花果の木の下で見た」と言われ、イエスを「イスラエルの王」であることを信じたナタナエル自身も「無花果の木」を見ることのできる見霊者であることの証明をしているのです。
従って、イエスは霊的な眼差しがあるのなら、その能力によって「人の子わたしに神の使たちが上り下りするのを見るであろう」と預言されたのだ、と解釈できるのです。つまり、見霊者にとって「無花果の木の下」にいる魂として見える人物は、父なる主神に忠実な信仰をしている印であり、秘儀に参入している証明でもあるわけです。
一方、大本神諭には、「余り大望たいもうな御用で在るから、三体の大神が東と西の新宮(あらみや)に降り昇がりを成されて、天からの御手伝いを成さる実地(しょうまつ)が、歴々(ありあり)と出口直の眼には見えるぞよ。」 (大正六年旧十月十六日)と記されており、キリストがナタナエルに預言したのと同じように、出口直は神様が上り下りされている姿を霊眼で見ているのだと、艮の金神は明かしているのです。
次に、マルコ福音書には、「無花果を呪う・宮清め」という一節があります。
「あくる日、弟子たちとベタニヤから出てくるとき、イエスは空腹であった。それで葉のしげった無花果の木を遠くから見て、何か実がありはしないかとそこに行かれた。が行ってみると、葉ばかりで何もなかった。まだ、無花果の季節ではなかったのである。
イエスはその木に言われた、『もはやいつまでも、だれもお前の実を食べることのないように!』弟子たちはこの呪いの言葉を聞いていた。」
そして、翌日にはこの無花果の木は根元から枯れてしまったのですが、シュタイナーはこの福音について、もはや古代の認識の木としての無花果は存在せず、それは枯れ木である十字架となり、ゴルゴタの秘儀によって今やキリスト自身が永遠に実をつける「生ける果実」となったとして、次のように述べています。
「キリスト・イエスは弟子たちと一緒に、ベタニアからエルサレムに行きます。そのときに、特別に強い感受・力が弟子たちのなかに呼び出され、その力が弟子たちの心魂のなかに透視力・イマジネーション的な力が目覚めます。彼らは菩提樹、無花果の木を透視します。
そして、キリスト・イエスは、もはや菩提樹から認識の果実は実らないという認識を、彼らのなかに生じさせます。もはや無花果の時期ではない、つまり、古い認識の時期ではないのです。永遠に、この木は枯れ、新しい木が生えねばなりません。
その樹木は、十字架の死んだ木材からできます。古い認識の果実は実らず、ゴルゴタの秘儀から熟す果実が、新しい象徴として、ゴルゴタの丘の十字架に結び付きます。仏陀が菩提樹の下に座った世界史的なシーンに代わって、べつの木、十字架の木が立てられます。
その木に自らを開示する人間神という生命的な果実が掛けられます。この存在から永遠に果実のなる木の新しい認識が放射します。」
(マルコ福音書講義・アルテ)(マルコ伝・人智学出版社)
無花果の木 → もはや無花果の木(菩提樹)からは認識の果実は
実らなくなった
→ ゴルゴタの丘でキリストは十字架に磔となる
→ ゴルゴタの秘儀によってキリスト自身が生命的
果実となる
このことは、艮の金神が桃の実であり無花果であるという王仁三郎の見解とも一致していますが、その詳細は、次の(六)で触れようと思います。
また、イスラム教においては、聖クルアーン(コーラン)の第九十五章・無花果章(アッ・ティーン)では次のように記されています。
一、無花果とオリブにおいて、
二、シナイ山において、
三、また、平安なこの町において(誓う)。
四、本当にわれは、人間を最も美しい姿に創った。
五、それからわれは、かれを最も低く下げた。
六、信仰して善行に勤しむ者は別である。かれらに対しては果てしない報奨があろう。
七、なぜそれでも、おまえは宗教(真実)を否定するのか。
八、アッラーは、最も優れた審判者ではないか。
イスラム教のイスラムとは、「神への絶対の帰依・服従」を意味しており、創始者ムハンマド(マホメット・五七一―六三二)は、元来、旧約・新約聖書を重視した人物として知られています。
そして、大天使ガブリエルに啓示を受けたムハンマドは、最後の預言者として唯一神アッラーによる審判の日が近いことを告げたわけです。その聖典である聖クルアーンにも、こうして無花果が登場し、シナイ山が登場し、創造神であるアッラーが審判者であるとしているのです。
先に、菩提樹(インドボダイジュ)と呼ばれる釈迦が悟りを開いた木が無花果の木であることを取り上げましたが、仏陀は法華経の中で次のような預言を残したとされています。
妙法蓮華教 方便品第二 には次のように記されています。
「―――前略――― 世尊が、このように語った。
『あるとき、あるところで、如来はこのような説教をするのだ。例えば、あるとき、あるところで、ウドゥンバラ(優曇華)の花(注釈を参照)が見られるように、如来も正にそのように、あるとき、あるところで、このような説教をするのだ。シャーリー=プトラ(舎利弗)よ、余を信ぜよ。――後略――』
(法華経 上 岩波文庫)
「―――前略―――『いつか、どこかに、なんらかの方法で、人間の雄牛(仏)たちのだれかが現われる。無限の眼を持つかれらは、この世に出現して、いつか、このような教えを教示するであろう。このような最勝の教えは、幾千万億劫を経ても、得がたいであろう。最勝の教えを聴いて信ずる者たちも、同様に得がたいであろう。
いつか、どこかで、なんらかの方法で見られるとはいえ、ウドゥンバラ(優曇華)の花のように、それは得がたいのだ。それは、人を魅了する姿であり、神とともに住む世界の驚異であろう。
余は、それよりも一層驚異すべき教えを語ろう。余の語った教えを聴いて、喜んで一言でも教えの言葉を語るなあば、それはすべての仏たちに供養したことになろう。この点について疑念と疑惑を去れ。―――後略―――』
(法華経 上 岩波文庫)
上記をふまえた上で、出口王仁三郎の言葉の深意に近づこうと思います。
霊界物語では、三五教の宣伝師である治国別と竜公は、言霊別命に第一天国のさらに最奥天国の中心点である大神の御舎(みあらか)に案内されます。
そこには、西王母という女神(伊邪那美尊の御分身である坤の金神の別名)がおり、庭園の桃畑に二人を案内する場面が次のように口述されています。
「ここには三千株の桃樹(もものき)が行儀よく繁茂している。
さうして前園、中園、後園と区劃され、前園には一千株の桃樹があって、美はしき花が咲き、かつ一方には美はしき実を結んだものも尠なくない。この前園の桃園は、花も小さくまたその実も小さい。さうして、三千年に一度花咲き熟して、これを食(くら)ふものは、最高天国の天人の列に加へらるるものである。さうしてこの桃の実は、よほど神の御心にかなつたものでなければ与へられないものである。
西王母は二人に、一々この桃の実の説明をしながら中園に足を踏み入れた。ここにもまた一千株の桃樹があり、美はしき八重の花が咲き充ちまた甘(うま)さうな実がなつてゐる。これは六千年に一度花咲き実り、これを食ふものは天地と共に長生きし、いかなる場合にも、不老不死の生命をつづけるといふ美はしき果物である。
西王母はまたもや詳細に桃畑の因縁を説き諭し、をはつて後園に足を入れたまうた。ここもまた一千株の桃樹が行儀よく立ち並び、大いなる花が咲きに匂ひ、実も非常に大きなものが枝も折れむばかりに実つてゐる。この桃の樹は、九千年に一度花咲き実り、これを食ふものは、天地日月とともに生命を等しうするといふ重宝至極な神果である。
西王母に扮した
出口王仁三郎
西王母はこの因縁を、もつと詳細に治国別に諭したまうた。しかし、この桃の密意については容易に発表を許されない。しかしながら、桃は三月三日に、地上においては花咲き、五月五日に完全に熟するものなることは、この物語において示されたるところである。これによって、この桃にいかなる御経綸があるかは、ほぼ推知し得らるるであろう。
西王母は一度地上に降臨して、黄錦の御衣を着し、数多のエンゼルとともに、これを地上の神権者に献げたまふ時機あることは、現在流行する謡曲によつてもほぼ推知し得らるるであろう。」 (霊界物語・第四十八巻・第十二章)
霊界物語 第四十八巻 第十二章 『西王母』の神劇
中央が西王母に扮した王仁三郎。
左側の二人の役者は、治国別と竜公か?
●前園 三千年に一度花咲き実る桃
【花も実も小さい】
→ 最高天国の天人の列に加えられる。
●中園 六千年に一度花咲き実る桃
【八重の花が咲き、甘そうな実】
→ 天地と共に長生きし、いかなる場合にも
不老不死の生命をつづける
●後園 九千年に一度花咲き実る桃
【大きな花が咲き匂い、実も非常に大きい】
→ 天地日月とともに生命を等しくする
この霊界物語の内容は、大正十二年一月十三日に口述されたものですが、王仁三郎はその三年後の大正十五年と、七年後の昭和五年には、第一章で触れたようにこの桃の実(無花果)についてそれぞれ次のように語っています。
「三千年に一度実る桃の実と云うのは、無花果のことである。桃の事ではない。優雲華(うどんげ)の花咲くというのも同じ意味である。優雲華は印度語であって、無花果のことである。大本神諭の煎豆(いりまめ)にも花が咲くと云うのと同じ意味であって、稀有(けう)の出来事の謂(い)ひである。」 (大正十五年十月・水鏡)
注:(一説によると、優雲華は、フサナリイチチジクのことで、「金光明経」の中に書かれており、ここでも三千年に一度花が咲くとされているようです。)
(優曇華の木と果実については、文末の参考資料を参照)
「三千年に初めて実る桃と云うのは、艮の金神様の事である。しかして、其の教えを聞いたものは天国に入る事を得るのである。桃の実の味、即ち神の道である。九千年に実る桃、六千年に実る桃とあるのは、第一天国、第二天国の比喩であって、三千年の桃は即ち第三天国に相応するのである。」
(昭和五年十二月・玉鏡)
つまり、三千年に一度実る桃とは、無花果であり、艮の金神ということになり、オシリスと艮の金神が同一存在であることが解ります。
一方、シュタイナーは、地上に3年間降ったったキリスト存在とエジプトのオシリスを同一視しており、このキリストが無花果に代わってゴルゴタの丘で十字架の生ける果実となったとしているわけです。
すると、三千年に初めて実る桃(無花果)である艮の金神様と、人智学におけるキリスト存在とが同一存在であるかのように符合してくるのです。
◆人智学 オシリス = 無花果の木
十字架においてキリスト自身(オシリス)が
生ける果実となった
◆霊界物語 艮の金神 = 三千年に一度実る桃の実
= 優曇華(無花果)
↓
桃の実の味、即ち神の道である
其の教えを聞いたものは天国に入る事を得る
◆法華経 仏・輪転聖王 = ウドゥンバラ(優曇華)の花
↓
幾千万億劫を経ても得がたい最勝の教えを教示する
このように、三千年目にその教えを聞いた者は、霊的に天国に入ることを許可されるのだと王仁三郎は述べているのですが、これは先の法華経の方便品における釈迦の預言を成就することをも意味していると考えられるのです。
そして、三千年目にその教えを聞いた者は、霊的に天国に入ることを許可されるのだと王仁三郎は述べているのです。
また、『神の経綸』と題して王仁三郎は、「神は大全宇宙を創造し、宇宙の一切の花とし、実として人間を造った。人間は神の聖霊を宿し、神にかわって地上の世界はいうも更なり、宇宙一切霊界までも支配せしむることとしたのである。」 (昭和三年七月・水鏡)と述べていることからも、人間自身もまた『花』や『実』に象徴される存在であることが解ります。
このことは、古代エジプトの死者がオシリス某として『無花果の花』の下で生長する、という内容や、キリストの弟子ナタナエルが無花果の木の下にいたこととも一致しています。
つまり、オシリスや艮の金神が無花果であると同時に、神の分魂である私たち人間も、無花果の木の下で(神への信仰の下で)宇宙の花や実として成長しているということです。
(第四章■五■(四)参照)
ちなみに、中国で信仰されてきた西王母は、漢の武帝に仙桃七顆を与えたと云われ、西遊記の孫悟空もこの実を食したとされているようです。
また、古事記に登場する伊邪那美命とその軍勢が現世と黄泉国の境にある黄泉比良坂で、伊邪那岐命から桃の実を三個投げつけられる場面があります。
そして、西王母も『死の世界の女神』であり、伊邪那美命も『黄泉国の女神』であるなどの共通点があることからも、『西王母』が『伊邪那美尊の御分身である坤の金神の別名』であるという、出口王仁三郎の口述の意味も理解できると思います。
参考資料として『仏典の植物』(満久崇麿著 八坂書房)のより「ウドンゲノキ」についての内容を抜粋させていただこうと思います。
*********希有にそて会い難きこと如来の如きウドンゲ*******
ウドンゲの華という言葉は仏教を介して、日本人にずいぶん親しまれているが、さてそのイメージをえがこうとすると花はもちろん、葉についても、木についても出てこないのが現実である。そのウドンゲノキと思われるのがイチジク属のこの木で、環境が良ければ挿図(下記画像)のように樹幹直径三メートル以上に達する常緑の大木となる。
ウドンゲノキ
ウドンゲは梵語のウドンバーラからきたもので、ウドンバーラの花すなわちウドンゲだからウドンゲノキ、とくにウドンゲノ花という表現はおかしい話だが、ここはやはり慣用にしたがうべきであろう。
果実は幹生で右画像のように、ちょうどブドウの房がいくつも太い幹にぶら下がるような形でつき、温帯の果樹を見なれているわれわれ日本人には珍しい風景である。果実は直径約三センチで、甘くて食用になる。
イチジクと同じように花托そのものが果実を形成して、その中にたくさんの花をつつみこみ外からは見えないので、仏教では三千年に一度咲くとされ、非常に珍しいことの比喩に用いられている。
それとともに釈迦入滅後、三千年を周期として人間の寿命はしだいに短くなり、人心は煩悩に満ち、道徳は乱れ、この世は飢餓と疾病と戦乱に満ちた五濁の悪世となり、再びウドンゲのはなが開くとき仏陀や輪転聖王(神通力と徳をもって治める神話上の帝王)が現われて世直しをするという思想や、あるいは千年~千五百年をへてこの世は乱れ、このままではすまない、何かが起こるだろうという末法末世思想が一部に生まれてきた。
今や釈迦入滅後二千五百年、わずかに得た智識で自然を征服したと思いあがり、わがもの顔に自然化に汚濁をまき散らし、その調和を乱してとどまることを知らなかった人類が、征服したはずの自然から思いもかけぬ手痛い打手替(うつてがえ)をうけ、その代償がいかに大きいかを思い知らされて、自らの読みの浅さに愕然とした。たしかに「何かが起った」のである。これからも起るかもしれない。あと残された五百年、人類がその智恵(?)によって、よくこの火宅から脱出しうるや否や。――後略――
『仏典の植物』(満久崇麿著 八坂書房)
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以上のことから、霊学的に無花果の秘密を知ることによって、創造神は 「古代エジプトにおいてのオシリスを信仰していた人々」、「旧約聖書のヤハウェを信仰する人々」、「仏教の阿弥陀如来を信仰する人々」、「新約聖書のキリストを信仰する人々」、「イスラム教のアッラーを信仰する人々」、「神道の天之御中主神を信仰する人々」・・・・・・といった人々に対して、『創造神を信じるすべての人々に無花果の木に象徴される共通の神の道』を開き、『死後の世界においては裁きの神として活動してきた』 ということが解るのです。
したがって、「無花果の霊的秘密を知る時、諸宗教の主神とは、出現された時代と言語による呼び名、また霊的表象(仮の姿)が異なるだけで、すべて同じ働きをされている」 ということが導き出されるのです。そして、私たち人類は、それぞれの民族や宗教で「異名同一の創造神を信じてきた」ということなのです。
霊界物語には、「・・・ここにおいて、神は時期を考へ、弥勒を世に降し、全天界の一切をその腹中に胎蔵せしめ、これを地上の万民に諭し、天国の福音を完全(うまら)に詳細(つばら)に示させたまふ仁愛(みろく)の御代が到来したのである。されど、大神は、預言者の想念中に入りたまひ、その記憶を基礎として伝へたまふがゆゑに、日本人の肉体に降りたまふ時は、すなはち日本の言葉をもつて現はしたまふものである。・・・」 (霊界物語 第四十八巻 第十二章 「西王母」) とあります。
つまり、神霊は預言者の想念の中に入り、その予言者自身記憶を基に教えを説くために、日本人の預言者の場合は日本語でその時代の日本人に理解できる比喩で真実を伝えることがわまります。そのため、他国の他の時代の預言者においても、同様の真実を別の比喩や表現方法で伝えてきたはずなのです。
そのため、御神名はもちろん、植物の名、果実の名、等もその時代、その土地の民族に理解できる比喩で教えが示されたと考えられるのです。
そして、大本神諭には次のようにも書かれています。
「谷々(たにだに)の小川の水も大河(おおかわ)へ、末で一つに為る仕組(しぐみ)。」 (明治二十五年正月)
「艮の金神は、二道ありては表面(おもて)にはならんから、一筋の道になりて仕舞わんと、物事成就は致さんぞよ。」
「是迄の布教師(とりつぎ)も、何(ど)の教会も、皆が神を松魚節(かつぶし)に致して居るから、……」
「お照らしは一体、七王も八王も王が世界に在れば、此の世に口舌が絶えんから、日本の神国(しんこく)の、一つの王で治める経綸(しぐみ)が致して在るぞよ。」
(明治二十六年)
そうであれば、私たちは、地球の創造神であるオシリスや国常立尊を松魚節のようにバラバラにして、七王も八王もいると考えずに、統一した全知全能、至善至愛の主として理解し、信仰することができることになります。また、それによって、古代エジプトの信仰、ユダヤ教、仏教、キリスト教、イスラム教、神道の全ての神々にも対立する必要がなくなるのです。
同時に、他教の神々を否定したり、罵倒したりしたとすれば、それは自分自身の信仰する神を否定し罵倒することになるのです。そうして、霊的には諸教が同根であることを理解できれば、世界は宗教的な認識の違いによる対立や戦争を避けることができ、和合できるはずなのです。
(第四章■五■(三)でも別の観点から考察)
そうであれば、「此の筆先は先に成る程、結構な世界の宝となるのであるぞよ。」 (明治三十七年旧八月三日)という神諭の言葉も、非常に説得力が増してくるのです。
シュタイナーも、次のように述べています。
「人智学の使命は諸宗教を総合することです。宗教の一つの型を仏教に、もう一つの型をキリスト教に見出すことができます。時代が進むにつれ、仏陀とキリストが私たちの心の中で結びついたように、様々の宗教が結びついてゆきます。この人類の霊的進化の展望から、その進化の過程に於ける文化及び諸事象の理解を用意するものとして人智学衝動の必要性が了解されると思います。」
(仏陀からキリストへ ・ 弥勒菩薩)
出口王仁三郎は『世の終末と立替え』として、次のように述べています。
「キリストの本当の教が伝わらぬようになった時、仏法においては釈迦の誠の教が伝わらないようになった時、それが世の終わりである。 すなわちキリスト精神の滅亡、仏法精神の滅亡を意味する。 この時にあたって、ほんとうの耶蘇教(キリスト教)、まことの仏法を起こすのが、世の立替である。」
(大正十五年九月・水鏡)
イエス・キリストは、「無花果の木をはじめ、すべての木を見なさい。すでに芽が出ると、それを見て、ひとりでにはや夏が近いと知るのである。そのようにあなた達も、これらのことがおこるのを見たら、神の国が近くに来ていることを知れ。」という福音を残しました。
そして、無花果そのものでもある艮の金神は、暗黒時代であるカリ・ユガの幕開けに出口直を通し、「三ぜん世界一同(いちど)に開く梅の花、艮の金神の世に成りたぞよ。梅で開いて松で治める、神国(しんこく)の世になりたぞよ。」と筆先に綴り、日の出の世の到来を告げました。
同時に、この『梅の花』とは人類に対して、人々が霊的に花を咲かせ実を結ぶことができる春の到来(時節)を告げる言葉でもあったはずなのです。
ちなみに、霊界物語には、言霊別命の化相身である五三公(いそこう)が、宣伝師である治国別(はるくにわけ)と竜公(たつこう)の二人を連れて天国を案内する様子が描かれており、第二天国にある公園の樹木や花卉(かき:花の咲く草)について、次のように口述されています。
「これらの美しき樹木は、正しき神の知識にをるものの愛の徳いかんによりて、花を開き実を結ぶものです。厳の御霊の神諭にも『一度に開く梅の花、開いて散りて実を結び、スの種を養ふ』とあるでせう。開く梅の花とは、智慧と証覚とに相応する情態の謂いであります。
かくなる時は、天国の園亭や楽園に、実を結ぶ樹木および花卉は神の供へ物として、また天人各自の歓喜の種として、各自の徳によつて現前するものです。高天原には、かくのごとき楽園のあることは聞いてはをりますが、ただこれを実際に知る者は、ただ神よりする愛善の徳にをる者および自然界の光とその偽りとによって、自己の胸中にあるところの天国の光を滅ぼさなかった者にかぎつてをります。
ゆゑに高天原に対して目末(いまだ)見えざるもの、耳末(いまだ)聞こえざるものは、現にそのばに近づきをるといへども、この光景を見ることも、またかくのごとき麗しき音楽の声を聞くことも出来ませぬ。」
(霊界物語 第四十八巻 第十章 天国富)
そして、イエス・キリストの預言の通り、無花果の木をはじめ、霊的な意味ですべての木を洞察できたシュタイナーや王仁三郎は、カリ・ユガ(泥海時代)が終わり、霊的に木々に芽が出ていることや、夏が近いことを知ったはずなのです。また、それでだけでなく艮の金神は永遠に葉を落とさない松の世の到来を宣言したのです。
このことを告げるかのように、マルコ福音書第四章の『種の譬』には、次のように記されています。
「また言われた、『神の国はこんなものだ。
――ある人が地に種を蒔き、昼夜、寝起きしていると、種は芽生えて育ってゆくが、本人はその訳を 知らない。
すなわち、地はひとりでに実を結ぶので、初めに茎、次に穂、次に穂の中に熟しきった粒ができる。
実が熟すと、すぐに“鎌を入れる。刈り入れ時がきたのである。”』」
これに対して、明治三十七年旧八月十日の神諭には次のように綴られています。
種蒔きて苗が立ちでたら出て行くぞよ。
刈り込みになりたら、手柄をさして元へ戻すぞよ。
元の種、吟味致すは、今度の事ぞよ。
胤(たね)が宣(よ)ければ、何んな事でも出来るぞよ。」
麦の種まき(右)と刈り入れ(左)
この神諭の内容も上記のキリストの福音の比喩と密接な関連性があるように感じられます。つまり、これらの譬は人類の全てがキリストの預言の通りに、神の国、つまり天国に入れる時代が到来したことを告げているものと考えられるのです。
王仁三郎は、霊界物語の中で次のようにも口述しています。
「 ・・・・・・・
この物語永久(とこしえ)に
天地と共に極みなく
神の御苑(みその)の花となり
果実(このみ)となりて五六七神(みろくしん)
胎蔵したる五種(いついろの)
味はひうまく調合し
霊魂(みたま)の餌とならしめよ。」
(霊界物語 第四十一巻 第七章)
ここまでの取り上げた接点から、王仁三郎が語った「無花果である艮の金神・国祖国常立尊」と、シュタイナーの語った「生きた果実であるキリスト存在」とはどのような関係にあるのか、という疑問が生じてきます。シュタイナーは人智学におけるキリスト存在について、次のように語っています。
「秘儀のなかでは、キリスト存在は常に知られていました。
古代インドの七人の神仙たちはキリストをヴィシュヴァ・カルマン(毘首羯磨)と呼んでいました。
ゾロアスターはキリスト存在をアフラ・マズダと名付けました。
エジプトではキリスト存在はオシリスと呼ばれました。
ユダヤ民族はキリスト存在をヤハウェと呼びました。
そして、第四文化期にこの存在は三年間地上に生きました。」
(輪廻転生とカルマ)
「キリストはナザレのイエスの肉体に三年間だけ留まり、その後は地上に受肉することはありません。第五アトランティス文化期にはキリストはエーテル体に、第六文化期にはアストラル体に、そして第七文化期には人類の偉大な魂の集合体の如き力強い宇宙自我の中に出現します。
人間は死ぬと肉体、エーテル体、アストラル体から脱し、自我が次の受肉へ向けて霊界における旅を続けます。地球についても同じことがいえます。地球紀の終わりに地球の物質的部分が脱落し、人類の魂全体は、次の惑星の転生状態である木星紀へと移り行きます。
人間個人の進化の中心が自我であるように、人類全体にとっては、人間のアストラル体とエーテル体の中のキリストの自我が木星存在を魂から生み出す中心となります。
地上における肉体的形姿のキリストは、エーテル的キリスト、アストラル的キリスト、自我キリストへと発展し、地球の霊となって人類全体とより高次の存在状態へと上昇してゆくのです。」
(仏陀からキリストへ 「弥勒菩薩」)
以上とシュタイナーの講義の内容から、秘儀参入者の間ではキリスト存在は、歴史の中で次のように語られてきたことになります。
(1)インド文化期
〔紀元前7227~前5068年〕
ヴィシュヴァ・カルマン ――― 太陽
(2)ペルシア文化期
〔紀元前5067~前2908年〕
アフラ・マズダ ―――――― 太陽
(3)エジプト・カルディア文化期
〔紀元前2907~前 748年〕
オシリス ――――――― 日没の太陽
ヤハウェ ――――――― 月に反射された太陽
(4)ギリシア・ローマ文化期
〔紀元前 747~後1412年〕
キリスト(イエス)――― 地球
(物質界に三年間のみ顕現)
(5)第五アトランティス文化期
〔紀元後1413~後3572年〕
キリスト(再臨)――― 地球(エーテル界に出現)
(6)第六文化期
〔紀元後3573~後5732年〕
キリスト ――――――― (アストラル界に出現)
(7)第七文化期
〔紀元後5733~後7892年〕
キリスト ――――――― (宇宙自我に出現)
一方、霊界物語では、厳の御魂の神は
「霊の元祖たる高皇産霊大神は、一名神伊邪那岐大神、またの名は、日の大神と称へ奉り、・・・・。」、 「高皇産霊大神は霊系にして、厳の御霊 国常立大神と現れたたまひ・・・・・・。」(第四十七章・総説)としていることから、「高皇産霊大神=日の大神」ということになります。
「大国常立命は、太陽、太陰の主宰神が決ったので、ご自身は地上の神界を御主宰したまふことになり……。」 (第一巻・第二十章)として地球に降り、地球における霊系の主宰神として活動するようになっています。
つまり、厳の御魂の神とは、地球の霊系の主宰神となる前段階では日の大神としての活動をしていたことになります。
霊界物語における
○火の御祖神(霊系の元祖・厳) 高皇産霊大神
=神伊邪那岐大神
=国常立大神
=日の大神
=厳の御霊(荒魂・和魂) → 主宰神・国常立命
◇太陽神(太陽・厳)〇霊界の主宰神・伊邪那岐命
〇現界の主宰神・天照大御神
□地球神(地) △霊系の主宰神・国祖国常立命(厳)
また、シュタイナーは、キリストのゴルゴタの秘儀を予告する祭りとして、ギリシアにおけるアドニス崇拝と小アジアにおけるアッティス崇拝を上げています。
「前アジアのさまざまな地域、ヨーロッパにも、キリスト事件、ゴルゴタの秘儀を予告する祭りが祝われたのを、私たちは見ます。アドニス崇拝、アッティス崇拝は、正にゴルゴタの秘儀の予言・予告です。」
(聖杯の探求)
これらアドニス神とアッティス神とは、共に穀物神であるとされているのです。これは、エジプトのオシリスや伊勢神宮の豊受大御神とも一致する働きであり(第二章■七■(一)参照)、霊的には太陽の象徴とされていることがわかります。
さらに、シュタイナーは、ヤハウェについて次のように述べています。
「古代ヘブライの識者は、地球進化に属するヤハウェ神に依拠しました。ヤハウェは地球進化のみを促進させるために、月神になりました。『神秘学概論』に書いたように、ヤハウェは月神の機能を引き受けたのです。ユダヤの月の祭においては、「地球の主」の面影が象徴的に月から現われます。」
(聖杯の探求)
また、預言者の一人であり、ヤハウェ神に仕えたエリアについては、次のように述べています。
「キリストに貫かれたヤハウェをエリアは告げたのです。しかし、キリストはヤハウェに反射されて生きていました。月光が日光を反射するように、ヤハウェはキリストのなかに生きた存在を反射します。キリストは自らの本質を、ヤハウェ(エホヴァ)から放射します。」
(聖杯の探求)
つまり、「ヤハウェとは月神であり、この月神が太陽神キリストを反射していたのであり、これによって地球の主の面影が月の象徴として現じた」 ということなのです。
これに対して、大本神諭には「艮の金神、元は月の象徴(かたち)じゃぞよ。日に日に変わるぞよ。」 (明治三十三年旧八月五日) 「此の世にはモウ変化けることの無い所まで、何んな事にも変化けて、茲へ成りたのであるから、……。」 (大正五年旧十一月八日)と綴られているのです。
霊界物語においては、月神は瑞御霊である神素盞鳴尊とされていますが、厳御霊の艮の金神が「元は月の象徴じゃぞよ」と自ら語っているのは、もしかするとこの月神ヤハウェに反射されたキリスト存在を意味するのかもしれません。
◇月神 (太陰・瑞)
〇霊界の主宰神・伊邪那美命
〇現界の主宰神・月夜見命=神素盞鳴尊
また、シュタイナーは旧約聖書の天地創造の神エロイムは七柱おり、その中の一柱がヤハウェ(エホバ)だとしており、これは、古事記の神世七代の内の二柱が国之常立尊と豊雲野尊でることとも関連性があるかもしれません。
また、シナイ山においてエジプトの秘密を持ち去ったモーセの働きと、国常立尊の一輪の秘密との関連性、イエスの示す父なる主の働きと大本神諭や霊界物語の国常立尊との関連性は既に説明の通りです。
内容が煩雑になってしまいましたが、これまでの符合点から、大本神諭や霊界物語における厳の御霊の神の働きは、人智学におけるキリスト存在として、次のように顕現してきたのではないかという、“一つの仮説”を、ここで立てて置こうと思います。
○【ヴィシュヴァ・カルマン】 太陽・・・・・・・日の大神
「此の世の根本からの事は、何一つ知らんという事の無い神であるぞよ」と
○【アフラ・マズダ】 太陽・・・・日の大神
「三千年余りての経綸であるから」
「時節まいれば、何事ごとも出来きて来るのであるから、時節程恐き結構なことは無いと申すのであるぞよ。」 という言葉で、三千年周期のアンラ・マンユ(アーリマン)との契約を表現。
○【オシリス】日没の太陽・・・国祖国常立尊(豊受大御神)
「世の本の神を北へ北へ押し籠めて」という言葉で、オシリスの対するセトをはじめとする悪神の反逆を表現。
○【ヤハウェ】 月に反射された太陽・・・艮の金神
「元は月の象徴じゃぞよ」という言葉で、ユダヤの月の祭を表現。
○【キリスト】 地球・・・艮の金神
「髪の毛一本程でも間違うような事では、三千年かかりて仕組んだ事が水
「三ぜん世界一同に開く梅の花」という言葉で、聖書の「無花果の木をはじ
つまり、国祖国常立尊は様々な神に化身し、 『私は<我在り>である』 と語った神としてモーセに十戒を授け、釈迦に仏法を授け、イエスにはキリストとして福音と預言を残し、ムハンマドにはガブリエル天使を通してコーランを授け、再臨の日まで幽界に降って人々が十戒、仏法、福音、コーランなどの内容に誠実であったかを、髪の毛一本に至るまで事細かに調査してきたということです。
そして、霊界物語第四十八巻第九章にあるように、出口直には稚姫岐美命や国武彦尊らを通して、自らが創造神であると共に、冥界に引退していた三千年間の思いを筆先(大本神諭)に全て書き綴ったと考えられるのです。
このように推測すると、「日本の国に一輪咲いた梅の花、三千世界を一つに丸めて、一つの王で治めるぞよ。」、「あとになりたら、この仕組は皆ビックリ致すぞよ。」 (共 大正六年旧二月九日)という神諭の言葉も非常に納得がゆくのです。
また、そう解釈した時、シュタイナーが霊的に洞察したキリスト存在や福音書の解説が大本神諭や霊界物語と符合するのは、ある意味当然のように感じられてくるのです。
同時に、霊界物語に詠み込まれている
「釈迦孔子 エスキリストや マッホメット
あななひ教の先走りせし」
という言葉の真意も理解できるのです。
出口王仁三郎画(右から:釈迦 孔子 イエス マホメット)
つまり、仏教、キリスト教、イスラム教といった諸宗教が信仰の対象としてきた創造神は、同一神であり、さらに大本の大国常立尊とも同一存在であるという解釈もできるのです。
さらに、大本神諭においては、「天理、金光、黒住、妙霊、先走り、とどめに、艮の金神が現われて、世の立替えを致すぞよ。」(明治二十五年旧正月)という神諭があります。
これについても、太陽から、月に反射し、地球に降りるというこのキリストによる宇宙規模の一連の活動が古代エジプトの信仰やゾロアスター教、仏教、キリスト教、イスラム教といった世界の諸宗教となった経緯を、大本以前の天理、金光、黒住、妙霊、といった一連の活動の中に『型』として表現しているとも考えられるのです。
そして、大本に至ってイエス・キリストの予言が成就したと考えるのが、道理に適うのではないでしょうか。
もちろん、これも一つの仮説にすぎませんが、では、もしそうでなかったとしたら、「天理、金光、黒住、妙霊、といった宗教が、なぜ大本に先走りする必要性があったのか?」、そして、「どうして、大本においてとどめに艮の金神が現われて世の立替えをする必要があったのか?」、という問いに対する答えも見つからないように思えるのです。
■八■(1)からは、この仮説を基に、「霊界物語における神息統合(キリスト)」と「人智学におけるキリスト存在」との違いについて考察してゆきます。