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                The agreement of Rudolf Steiner and Onisaburo Deguchi
                   ルドルフ・シュタイナーと出口王仁三郎の符合
                                                                   咲杜憩緩

 ■二■ 二十世紀におけるエーテル界へのキリストの出現




シュタイナーによる弥勒菩薩についての講義より



 「――前略―― 第四後アトランティス文化期に初めて、キリスト存在は宇宙の高みから下って、肉体の中に現われました。現在の第五文化期に於いて、人間は知力を強化することによってエーテル的形姿を見ることができるように進化した人々が、1930年代から1940年代にかけて地上に現われます

 今から後三千年の間に、多くの人々がエーテル的なキリストを見ることができるようになり、三千年後には、福音書やキリストの生涯の記録を必要としなくなります。その人たちは魂的生活の中に現実のキリストを見るからです。

 第四後アトランティス文化期には、キリストが肉体に受肉したので、人々は肉体的なキリストしか見ることができなかった、ということをはっきり理解する必要があります。現在の文化期において、紀元三千年にかけて徐々にエーテル的なキリストの姿が見られるようになります、キリストが再び肉体の中に現われることはありません

 キリスト衝動に深く結ばれた現代人が続開に入り、道徳の力を人格化したモーゼの形姿に悪行の責任を問われるという事実を心に留めれば、モーゼという個人の変容の過程を理解することができます。モーゼが私たちの罪の記録を手にして私たちの前に立ちはだかる、というのは何を意味するのでしょうか。モーゼは私たちの業(カルマ)の借りをあらわに見せるのです。

 今日私たちが仏陀の霊感を通して業の教義が理解できるというのは非常に意味深いことです。死後の業の働きは旧約聖書のモーゼによって私たちに示されます。死後の業の働きは旧約聖書のモーゼによって私たちに示されます。ところが、霊界からキリストの影響力が増大するにつれ、モーゼの形姿はキリストの形姿にとって代わられることになります。つまり、人類の業はキリス
トに結び付けられ、キリストが私たちの業と合体することになるのです。

 仏陀の教義に於いては、業は人格を持たない抽象的な概念でした。将来、キリストが私たちの業との結合をより密接にすると、業は一個の存在となり、もう一つの可能な人生という存在性を得ることになります。

 過去の進化段階における人類の生は「神から生まれる」という言葉に関連していました。もし、私たちが進化の道を真直ぐにたどり、死後、私たちの業に結びついていた存在としてモーゼの代わりにキリストに出会うようになると、人類の生は「キリストにおいて死す」という、十三世紀以来薔薇十字的キリスト教で使われてきたことば表現されることになります。


 仏陀の位階は物質界においてのみ到達し得るものです。死後キリストに出会うことのできる魂も、物質界においてのみ獲得できるものです。菩薩は物質界に受肉し、そこで仏陀の位階へと上昇します。そして、仏陀は再び地上に受肉する必要がなくなります。

 今まで話してきましたようなキリスト理解も、物質界においてのみ得られるのです。そして、今から三千年の間に、人類は霊的なキリストを見る力を物質界で獲得してゆくことになります。物質界において、キリストを理解する条件を作り、霊的なキリストを見る能力を用意するのが人智学の使命です

 今日、エーテル的キリストは人間界の中で働いています。物質界においてエーテル的形姿のキリストを見る能力を得ますと、地上に生きている間、あるいは死と再受肉との間の時期に、キリストを見ることができます。キリストのエーテル的形姿を見ることができないまま死んだにもかかわらず、物質界でキリストを理解した人は、死後キリストの姿を見ることができます。霊的生活から遠ざかり、キリストを理解しなかった人にはキリストは見えず、その理解を得るのに次の転生をまたねばなりません。」


 以上は、R.シュタイナーの邦語訳書『仏陀からキリストへ』(書肆風の薔薇)第七講より、『弥勒菩薩の特徴』の講義の一部を抜粋

  

(一)進化した人々が1930年代から1940年代にかけて地上に現われることについて

 シュタイナーは、第五文化期において、1930年代から1940年代にエーテル界に存在するキリストを見ることが出来る人々(高次の見霊者)が、地上に出現すると述べています。自身でもゴルコタの秘蹟を見霊できたシュタイナーが、どうしてこのように語ったのでしょうか。

 それは、第一に当時の神智学協会が新たな結社『東方の星』を結成し、インドの少年ジダ・クリシュナムルティを世界指導者(弥勒菩薩であるとする説もある)の再来であるとしたことが、まったくの誤謬であることを指摘するためであると考えられます。

 そして第二に、これとほぼ同時期に、もう一つ注目すべきことが日本で起っていることです。それが、出口王仁三郎の行動です。出口王仁三郎は、1928年(満56歳7ヶ月)に『みろく大祭』を行ない、1948年に(満76歳5ヶ月)昇天しています。

 つまり、王仁三郎が弥勒として活動したとされるみろく大祭から昇天するまでが、シュタイナーのエーテル次元に存在するキリストを見るとされる1930年代から1940年代という区切りにほぼ一致しているのです。


1928年(満56歳7ヶ月)→1948年に(満76歳5ヶ月)昇天

1930年代        →1940年代この間にキリストを見る


 したがって、シュタイナーが予告した一九三〇年代から一九四〇年代に地上に現われる進化した人々とは、出口王仁三郎とその仕組みを担った人々を示しているとも考えられるのです。

 実際、王仁三郎は大本での初期の活動において、鎮魂帰神法によって大本の信者に霊聴や霊視の能力を伝授し、後に多くの宗教家を輩出しています。

 鎮魂帰神法とは、通常、二人一組となり、一方の霊媒役の人間に神霊を降臨させ、もう一人の審神(さにわ)者と呼ばれる役の人間がその神霊に質問を行うことで、その霊の正邪や霊的次元の高低を判断すると共に、霊存在と人間との会話(通信)を可能にしようとするものです。

 そうした、神法を伝授された人物には、生長の家の創始者である谷口雅春氏の存在もあります。

浅野和三郎と多慶子夫人

 さらに、英文学者の浅野和三郎という人物がおり、浅野氏は出口王仁三郎の下、綾部で五年間の修行を行い、鎮魂帰神法や大本神諭に関する文献も残しています。

 彼は当時の大本教においては悪者の型として扱われましたが、その後、自ら鎮魂帰神法の審神者となり、妻の多慶子夫人を霊媒として多慶子夫人の前世霊である小桜姫との霊的対話を行なっています。

 そして、それを著書 『霊界通信 小桜姫物語』 として残した他、多くの霊に関する文献を執筆しています。また、英文学者という立場からイギリスでスピリチュアリズムを学び、日本に「心霊主義」として初めてスピリチュアリズムを広めた人物でもあります。

 ※ 【霊界通信 小桜姫物語】 公開サイト
  1 インターネットの図書館、青空文庫
  2 神霊学研究所 


 この浅野和三郎の妻である多慶子夫人に可愛がられた人物に、佐藤永郎氏というスピリチュアリストがおり、その佐藤英郎氏に師事した人物に江原啓之氏がいます。

 ご存知の通り、江原啓之氏は、スピリチュアル・カウンセラーとして現在テレビや雑誌で注目を浴びている人物です。                    

その他にも出口王仁三郎は、神道天行居教祖の友清歓真、世界救世教教祖の岡田茂吉、三五教教祖の中野与野之助といった指導者にも多大な影響を与えており、こうした流れの一つひとつを辿っても、出口王仁三郎が残した霊的偉業の一端がうかがえます。

大本神諭には、 「鎮魂帰神の道を言霊彦命が引き添うて授けたのは、三千世界の神、仏、人民の為であるぞよ。」 (大正六年六月六日)と書かれており、鎮魂帰神法が人類が霊の存在を知り、学び、理解し、信じることへの「型」を示していることが解ります。

 その後、「神様は大正十年から神界の大本陣で、一切の神がかりを禁止されているから、その後の神がかりは聞きはつったのをいうのであるから、そんなものは言ってやっても判らぬから、相手にせずホッておいたほうがよい。」 (新月の光 下巻 『神がかりは禁止』)としており、王仁三郎自身は、大正十年以降の神がかりは一切禁止しており、この点においても出口王仁三郎と浅野和三郎の方向性が違っていたことは確かです。

 

(二)『今から三千年後』の文化の違いについて

 

 ここでは、〝三千年という言葉が非常に多く出てきますので、多少補足しておきたいと思います。シュタイナーは紀元三千年、つまり現代から約千年後の第五文化期の終わり頃には、「悪徳は知能を崩壊させてゆく」としています。

 一方、今から三千年後とは、講義のなされた1911年頃から三千年後のことなので、紀元4911年ごろ(五十世紀)ということになり、第六文化期の中期を示すことになります。

 これは、人智学的な洞察では、この五十世紀とは弥勒菩薩が弥勒仏として涅槃する時とされています。

 一方、霊界物語・第十五巻・第二十章では「五十世紀」と題して、霊界における天国を地上に移写する時代としています。

 さらに、王仁三郎は『三千年に実る桃』と題して、次のように述べています。

 「三千年に初めて実る桃と云うのは、艮の金神様の事である。」

  「三千年に一度実る桃の実と云うのは、無花果(いちじく)のことである。桃の事ではない。 優雲華(うどんげ)の花咲くというのも同じ意味である。優雲華は印度語であって、無花果のことである。

 大本神諭の煎豆(いりまめ)にも花が咲くと云うのと同じ意味であって、稀有(けう)の出来事の謂(い)ひである。」
 
                 (大正十五年十月・水鏡)

 また、大本神諭にも「艮の金神が三千年余りて世に落ちて居りて……」「三千年余りての仕組であるから……」といった言葉が要所々々に見られるのです。


 つまり、王仁三郎は三千年毎に、無花果である艮の金神の仕組が成就することを暗示し、今から三千年後の五十世紀には、地上天国である「みろくの世」になるとしているのです。

 では、三千年の桃の実は、どうして無花果なのでしょうか。

 シュタイナーは、著書『神秘的事実としてのキリスト教と古代秘儀』における「エジプトの蜜儀的智」の講義の中で、「エジプトの神オシリス」と「人間の永遠的な部分」について語っています。

 そこには、私たちの中の永遠的な部分(魂)を古代エジプトではオシリスと表現し、それは無花果の花の下で生長し、やがて人間はオシリスそのものとして完成されて行くことを意味していると洞察しています。

 勿論、この段階でオシリスとは艮の金神であるという結論を下すつもりはありませんが、王仁三郎が何故三千年に実る桃を「無花果」としたのか、という解釈の一つになると思います。(これについては、第二章■七■で詳細に触れてゆきます。)

 このように、双方共に三千年という周期で神霊的に大きな節目が展開されることを洞察していることが解ります。ただし、三千年周期の仕組といっても、大本においてそうであったように、神霊界における数十万年前の太古に起きた出来事が、三千年周期で現実界に移写すると捉えるべきなのかもしれません。

 ちなみに、王仁三郎の言葉の「優雲華(うどんげ)の花咲く」 とは、『法華経・妙荘厳王本事品』の中で、二人の王子が母親に出家を許してもらうために発した言葉の中に、次のように書かれています。

「如優曇波羅 値佛復難是」
=「優曇波羅の如く 仏に値いたてまつること復(また)これよりも難し。」
=「ウデュンバラ(優曇華)の花の咲くように。仏にはまことに会いがたいのです。」
                 (岩波文庫・法華経・下巻)


  

(三)キリストが再び肉体の中に現われることはないことについて

 

 シュタイナーは、キリストは第四文化期に肉体を持ったナザレのイエスに三年間貫いた存在としており、第五文化期にはエーテル界、第六文化期にはアストラル界、そして第七文化期には人類の偉大な魂の集合体の如き力強い宇宙自我の中に出現すると語っています。

 一方、出口王仁三郎は、『キリストの再来』と題して、次のように述べています。

 「(ナザレのイエスに対する酷評を述べた上で)……大本人の中には自分をナザレのイエス、キリストに擬するものがままある様だが、実に迷惑千萬である。自分が嘗(かつ)て霊界物語に説いたキリストとナザレのイエスとは全然別人であることをここに言明しておく。」 (昭和五年九月・月鏡)

 これを読む限り、王仁三郎は自身とイエス・キリストがまったくの別人であることを断言すると同時に、イエス・キリストを侮辱し、キリストを否定しているようにすら感じられます。

 ところが、実はこの「霊界物語のキリスト」と「ナザレのイエス」が別人であることは、二つの重要な意味が秘められているのです。

 一つは、新約聖書の預言を証しするためなのですが、これは第二章■六■で説明をしています。

 もう一つは、王仁三郎は、霊界物語で説いた「神息統合(キリスト)」と、新約聖書の「キリスト」とを、本当に全然別の存在として語っていたということです

 。そして、これには神素盞鳴尊や弥勒菩薩の働きに関する深い意味が込められているのですが、それについては第二章■八■で明確に考察を加えてゆきます。

(四)死後にキリストを見る能力について

 
シュタイナーは、今世で見霊者としてキリストを見ることができた人だけでなく、霊的にキリストを理解した人々も、死後の世界でキリストに出会うことができるとしています。

 そして、それこそがシュタイナーの活動する人智学の使命だとしているのです。これは、私たちのような霊的な盲目者にとっては非常に重要な点であるといえます。

 しかし、それが出口王仁三郎や大本と何の関係があるのか、ということになるのですが、実はそれを深く明確に説明することが、本書の大きなテーマの一つでもあるのです。

 そして、霊的なキリストを理解するためにも私たちは、王仁三郎とシュタイナーの数々の符合点を探し出す必要があるのです。




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制 作:咲杜憩緩

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     ルドルフ・シュタイナー
        の人智学に学ぶ


著書:ルドルフ・シュタイナー
   と出口王仁三郎の符合