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「今日は主に倫理学の領域に属する問題についてお話したいと思います。そして、そのことを通して、今日に於ける霊学の任務をよりよく理解したいと思います。
私たちは輪廻転生という偉大な真理と地上での人生を繰り返すことが地球の進化に於いて善なる目的を持っているということを理解しなくてはなりません。何故私たちは輪廻転生を繰り返すのかという問いに、神秘学は、様々な時代に生まれて、その時代を体験するために、と答えています。アトランティス大陸の崩壊のすぐ後に受肉した人々の魂は、後の前キリスト時代や現代の人間とは全く異なった体験を持ちました。
アトランティス大陸の崩壊直後、肉体に宿った魂には、ある程度の霊視能力が附与されていました。このかつては人間の通常の能力であった霊視力の大部分は、ギリシア・ローマ文化期を通じて徐々に失われてゆきました。それ以来、人間は物質界に於いて進化の過程を遂げてきました。そして、現在の後アトランティス時代に於いて、人間は再び霊眼を獲得しつつあります。
私たちは後アトランティス文化期に生きています。太古のインドが第一文化期、ペルシアが第二文化期、バビロニア・カルディアが第三文化期、ギリシア・ローマが第四文化期です。第六、第七文化期が現代に続き、アトランティス時代の終焉の時と同じく、地球と人類に大異変が降りかかることになります。
神秘学は後アトランティス時代の第一から第七までの各々の文化の特徴を明らかにしています。
第六文化期は、何が道徳的で何が不道徳かについて、明確な感情が人間の魂の中に生まれるとう特徴があります。同情的で親切な行為によって微妙な共感が生じ、悪意のある行為によって反感が生じます。これらの感情の強大な力について、現在は多くの人々はかすかな概念さえ持っていません。
第七文化期においては道徳生活は更に深められてゆきます。第六文化期では善良で高潔な行いを喜びとするのに対し、第七文化期にはそのような喜びの成果が一つの道徳衝動となるのです。
つまり、道徳的な行為を為そうという確固とした決意が生まれるのです。道徳的な行為を喜びとすることと道徳的な行為を行うことの間には大きな違いがあります。
現代は主知主義の時代、第六文化期は善に対する審美的快感と悪に対する審美的不快感の時代、第七文化期は積極的な道徳生活の時代と特徴づけることができます。
現在は、未来に於いて人間の一部となるものの種子が人間の中に含まれているにすぎません。ある行為に対する道徳的共感、反感の元となる知的な素質、知的な傾向は霊界と関係を有しています。どのような道徳的行為も霊界と明確な関係をもっているのです。私たちの理知的性質はアストラル界との超感覚的な結びつきを有しています。善悪に対する共感、反感は下位の神界と、魂の中の道徳的衝動は上位の神界と結びついています。従って、今日の人間の魂に浸透し、作用しているのはアストラル体の諸力だということができます。第六文化期に魂の中により深く浸透するのは下位の神界の諸力であり、第七文化期には上位の諸力が特別強く人類に働きかけることになります。
従って、先の第四後アトランティス文化期に人間の魂に最も強い影響を及ぼしていたのが物質界の諸力であったことが分かります。そのために、ギリシア文明は、物質界における人体の形姿の彫像にかくも見事な表現を与えることができたのです。ギリシア・ローマ文化期は、人間が肉体に受肉したキリストを体験するのに特に適した状態にあったのです。第四文化期にキリストを物質界に於いて肉体的形姿で見ることができたように、紀元四千年まで続く第五文化期に於いて、二十世紀以降、徐々に、人間の魂はアストラル界に於けるエーテル的形姿のキリスト存在を体験できるようになります。
第六文化期に於ける進化の本質を理解することによって、未来に受肉する魂の特性を考察することができます。今日の主知主義的な時代には、知性と徳性は魂的生活に於いてほとんど個別の領域を形成しています。賢明でありつつ同時に不道徳であることも、反対に、非常に道徳的でありながら愚鈍であることも可能です。
第四文化期にヘブライの予言者たちは、将来特性と知性が並置されるということを予見していました。ヘブライ人は特性と知性の間に人為的な調和をもたらそうとしました。ギリシア人にとっては、特性と知性の調和はずっと自然なものだったのです。この調和を確立するために、いかにヘブライの指導者たちが努力したかを、私たちはアカシャ年代記の中に読み取ることができます。ヘブライの指導者たちは象徴図形を使用しました。その象徴図形に注意を集中するとその影響を受けて、善と明敏さの間に調和が確立されるということを彼らは知っていたのです。ヘブライの祭司たちは、この象徴図形を僧衣の胸当てのところにつけました。徳の象徴はウリム、知の象徴はトムミムと呼ばれました。ヘブライの司祭たちは、ある行為が善でありかつ賢明なものであるかどうかを知りたい時、ウリムとトムミムの力を受ける状態に自らを置き、その結果、特性と知性との間の調和を生み出したのです。象徴図から魔術的な効果が生じ、霊界との結びつきが確立されました。私たちの未来の転生に於ける課題は、かつては象徴図の使用によって得られていた徳と知の調和を、魂の内的な進化を通して達成することにあります。
知性と美意識と徳性が人間の魂的生活の中に現われてくる過程を把握するために、もう一度、第五、第六、第七後アトランティス文化期について考えてみましょう。
現在の第五文化期において、道徳的な行為に喜びを感じないとしても、知力が損われることはありません。第六文化期においては様子は全く異なってきます。紀元三千年頃から、悪徳は知能を崩壊させるようになります。知的でありながら不徳である人間の心的能力は、どんどん退化してゆきます。道徳を顧みない人間は全く知力を失った人間になります。知が全く徳に基づくものになるからです。第七文化期においては徳を有しない知は存在することができなくなります。――後略――」
以上は、R.シュタイナーの邦語訳書『仏陀からキリストへ』(書肆風の薔薇)第七講より、『弥勒菩薩の特徴』の講義の一部を抜粋
シュタイナーによれば、「現代」とは、遊星の七段階における地球期の、七小循環における後アトランティス時代の、七区分における第五文化期に当たります。
■遊星の7段階■
【1】土星紀 (過去)
【2】太陽紀 (過去)
【3】月紀 (過去)
【4】地球紀 (現在) ☆(下記、7小循環)
【5】木星紀 (未来)
【6】金星紀 (未来)
【7】ヴルカン星紀(未来)
■地球紀の7小循環■
@ポラール時代 (過去)
Aヒェペルボレイオス時代(過去)
Bレムリア時代 (過去)
Cアトランティス時代 (過去)
D後アトランティス時代 (現在)☆(下記、7区分)
E第六根幹人類期 (未来)
F第七根幹人類期 (未来)
■後アトランティス時代の7区分■
(1)インド文化期
〔紀元前7227〜前5068年〕(過去)
(2)ペルシア文化期
〔紀元前5067〜前2908年〕(過去)
〔紀元前2907〜前 748年〕(過去)
(4)ギリシア・ローマ文化期
〔紀元前 747〜後1412年〕(過去)
(5)第五アトランティス文化期
〔紀元後1413〜後3572年〕☆(現在)
(6)第六文化期(ロシア文化期)
〔紀元後3573〜後5732年〕(未来)
(7)第七文化期(アメリカ文化期)
〔紀元後5733〜後7892年〕(未来)
さらに、一つの文化期は約2160年単位(黄道十二宮が春分点を通過する周期)で、進んでゆくとしており、第四文化期(牡羊座文化)から第五文化期(魚座文化)に移行したのは西暦の1413年頃だとされています。よって、次のように表すことができます。
(5)第五文化期(魚座文化) は、1413年頃からの約2160年間
(6)第六文化期(水瓶座文化)は、3573年頃からの約2160年間
(7)第七文化期(山羊座文化)は、5733年頃からの約2160年間
シュタイナーは、こうした文化期の移行と共に、人間の知は道徳を意味するものとなってゆくとしているのです。
※シュタイナーの哲学体系【C】地球と人類の進化過程 参照
次に、シュタイナーの洞察によると、各文化期の特徴は次のように表すことができます。
◆第五文化期
【主知主義の時代】
【道徳的な行為に喜びを感じなくとも、知力が損われない時代】
◆第六文化期
【善に対する審美的快感の時代】
【知的でありながら不徳である人間の心的能力が急速に退化してゆく時代】
◆第七文化期
【積極的な道徳生活の時代】
【道徳を顧みない人間は全く知力を失った人間になる時代】
一方、出口王仁三郎は、著書の中で『ミロクの世』について、次のように述べています。
「善い事をすればよくなり、悪いことをすれば悪くなる世を称してミロクの世と云うのである。今までの世は悪いことをしても旨く世間を胡麻化ごまかすことが出来れば立身出世も出来るし、善い事ばかりをして居ても、虐しいたげられ苦しめられ悲惨な境遇に泣かれなければならぬものも数多くあった。
これは悪魔の守護する世であったからである。ミロクの世になってからは最早もはやかかる不合理は許されない。善い事をすればどんどんよくなり、悪い事を企つれば片端から打ち砕かれ、悪の思わくは一つも立たぬ正しい世の中になるのである。」 (昭和三年四月・水鏡)
さらに、『ミロク三会』の説明の中では、 「ミロクの三会の世は、言心行一致の神の表わるる聖代を云うのである。」と語っています。
つまり、「ミロクの世」の世界観については、「言葉と精神と行動が伴った道徳に貫かれた世界である」という点で、双方の観点は非常によく一致していることが解るのです。それは同時に、「嘘、偽りの存在しない真実の世」であることを意味しています。
ちなみに、通常、『弥勒三会』とは竜華三会(りゅうげざんね)ともいわれ、釈迦の入滅後五十六億七千万年の後、勒菩薩がこの世に出て、竜華樹の下で悟りを開き人々を救済するために説法するという三回にわたる法
さらに、王仁三郎は、1871年旧暦7月12日(新暦・8月27日)生まれで、新暦1928年3月3日、満56歳7ヶ月に『みろく大祭』を行なっています。
そして、新暦1948年1月19日、満76歳5ヶ月で昇天しています。
これは、1928年から1948年の間に出口王仁三郎が弥勒菩薩として神業の型を示したものであるとされています。また、仏教において、弥勒菩薩は五十六億七千万年後に弥勒仏となるとされていることから、弥勒が菩薩から仏の階位になる型として、五・六・七という数字は、深い霊的意味を秘めています。実際、王仁三郎は、五六七と書いて「ミロク」と読んでいます。
このように、五・六・七の数字の示す意味は双方では全く違いますが、双方共に弥勒菩薩と五・六・七という数字に、深い意味を暗示しているのです。