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ここで、なぜキリストや弥勒菩薩とは関係のないと思われる秘密結社フリーメーソンについて取り上げる必要があるのかと思われるかもしれません。しかし、ゾロアスター教から分岐したマニ教とエジプトの秘儀とが結びついたことによって、道徳理念とその使命に貫かれたローゼンクロイツの神智学(人智学)だけではなく、人類を支配しようとする黒魔術的な勢力をも生じさせてきたことを知る必要があるのです。
そして、それは他でもない将来において弥勒仏に反抗するような勢力の流れといっても過言ではないからです。
一方、日本においても、一九二〇年(大正八)頃から大本神論の「悪の仕組み」とフリーメーソンの情報が一致していたことによって、フリーメーソンが悪の秘密結社であるという批判がなされました。そのため、日本においても決して無関係な事柄ではなく、非常に重要な関心事の一つでもあったのです。
では、シュタイナーが二十世紀のフリーメーソンをどう見ていたかを記す前に、フリーメーソンの結社としての経緯を「フリーメーソン西欧神秘主義の変容吉村正和著講談社現代新書」を基に簡単に追ってみることにします。また、「フリーメーソン」という言葉は、本来は結社内の会員のことで、結社全体を表現する場合は「フリーメーソンリー」と呼ぶのが正しいようですが、ここでは、「フリーメーソン」という言葉のみを使用して話しを進めることにします。
近代のフリーメーソンの活動は、イギリスでは一七一七年に居酒屋をグランド・ロッジの集会場として発足したことに始まったとされています。また、当時の会員数は、スコットランドとイングランドを合わせても七百人程度だったといわれます。
一七二一年になると、フリーメーソンの歴史・規約・目的に関する憲章作成の着手がはじまり、一七二三年には長老派教会の牧師ジェームズ・アンダーソンによる『ゴシック憲章』といわれる規約が出版されます。その「規約」では、天地創造を紀元前四〇〇四年の出来事とし、その歴史が聖書やソロモンの神殿伝説と結び付けられてゆきます。さらに、フリーメーソンの責務として、「すべての人が同意することのできる宗教」に従って、「真実で善良な人間」になることが求められたといいます。
そこには、自分と異なる信仰をもつ人々の立場を互いに認め合う「寛容」の精神が強く働いていたようです。
フリーメーソンは、こうした精神を基礎としながら、その組織を強化のために、次第に有力な科学者や貴族階級の人々、王族をも取り込みながら各地に分派してゆきます。しかし、有力貴族との結びつきは、その活動を保守化させてゆき、平等の精神は次第に形だけのものとなってゆきます。
やがて、イギリスの活動はフランスに波及し、一七二五年にパリに最初のロッジが設立され、一七四〇年には二十二のロッジに増加したとされます。
そして、一七七一年に設立されたグラン・トリアン(オリアンは、太陽の登る東の「光」意味するという)が創設され、ド・シャルトル公爵がグランド・マスターの地位に就きます。ド・シャルトル公爵は、居酒屋でのロッジ開催を禁止し、入会に一定の規定を設けたことで、貴族・富裕商人・知識人が集まるようになり、一七八七年にはパリに六十五、地方に四百四十二、殖民地に三十九、他、合計六百を超えるロッジに膨れ上がり、会員数は二万から三万にのぼったとされています。
同時に、ドイツ、オーストリアにもそうした活動は拡大していきます。そのため、フリーメーソンには、モンテスキュー、ゲーテ、モーツァルト、フランシス・ベーコンといった人物も登場することとなります。
こうした流れは、結社内を理性主義・啓蒙主義・科学主義といった合理主義的要素と融合させてゆくようになります。しかし、そうした唯物論的な科学的合理主義の混入は、本来の宗教的密儀に継承される本質とは相容れない関係であるため、次第に秘教的本質を失ってゆくことになります。
欧州で合理主義が混入したフリーメーソン結社の理想が、真の意味で現実化したのはアメリカでした。
フリーメーソンが当時イギリスの植民地であったアメリカに渡ったのは、一七二〇年代の後半のことで、一七三三年には「ファースト・ロッジ」が開かれます。
一七三四年にはジョージア州のサヴァンナ、一七三五年にノース・カロライナ州とサウス・カロライナ州、一七三六年にニュー・ハンプシャー州、一七三七年にロード・アイランド州、一七五〇年にはメリーランド州、コネティカット州へとロッジの拡大をつづけ、一七六〇年にはアメリカの十三植民地の隅々にロッジを見ることができるようになります。
また、そこに集まった会員は、政治家、将校、富裕商人など地元の有力者であり、そのメンバーの中には、一七三四年にベンジャミン・フランクリン、一七五二年にジョージ・ワシントンなど、アメリカの政治・経済の中枢を担う人材が次々と出現してくるのです。
こうして拡大し勢力を強めた植民地人によるフリーメーソン結社は、一七七三年、インディアンに変装して東インド会社の茶箱三百四十二箱を海に投げ捨て、これを火種として一七七五年にアメリカ独立戦争を勃発させると、軍隊の内部に「軍事ロッジ」を多数創設し、ここでワシントンが中心的な役割を担うようになってゆきます。
こうして独立したアメリカ合衆国には、当然のようにフリーメーソン組織の働きかけが色濃く反映されてゆくことになります。一七九二年に着工された大統領官邸(後にホワイトハウスと呼ばれることとなる)は、アイルランド生れの建築家ジェイムズ・ボーバンであり、彼もフリーメーソンだといわれます。
一七九三年のアメリカ政治の象徴となる議事堂の礎石を置く儀式もまた、フリーメーソンのロッジと提携して行なわれてまいす。さらに、一八八八年に完成したというワシントン記念塔においては、そのデザインを手掛けたロバート・ミルズがフリーメーソンであり、その着工式や落成式もフリーメーソンの儀式に習って行なわれたとされています。
その他、一八八六年に、アメリカ合衆国の独立百年を記念してフランス政府から贈られた「自由の女神」も、フリーメーソンであったフレデリック・バルトルディによって製作されているのです。
ワシントンに始まるアメリカ大統領は、その後三十八代ジェラルド・フォードに至るまでに、実に十三人がフリーメーソンであったことが判明しているといわれます。その他にも、メキシコ軍との戦いで勝利しテキサス共和国(テキサス州)を樹立した時の司令官サンミュエル・ヒューストンもフリーメーソンであったとされています。
このように、地域の柵(しがらみ)に関与し、その解決策に戦争を利用することで同盟国家への軍事的支配と、軍事産業や支配地域の資源の実権を握り、これよって生ずる巨額の利益を握ってゆくことで、さらにその勢力を拡大してゆくことになります。
日本においては、明治初期に西洋哲学の普及に努めた西周(にしあまね)、明治政府の法律制定に勤めた津田真道(つだまさみち)が、最初のフリーメーソンだったとされています。日本でのロッジの開設は、一八六四年に横浜に駐屯していたイギリス陸軍第二十連隊の分遺隊によって組織された、アイルランド系の「スフィンクス・ロッジ」(軍事ロッジ)に始まります。そして、一九三六年までに五つのイギリス系ロッジが開設され、他のスコットランド系、アメリカ系を含めて三百名程の会員となりますが、日本人はいなかったようです。
さらに、日本の占領軍総司令官ダグラス・マッカーサーも一九三六年にフィリピンのマニラにおいてフリーメーソンに加入していたとされています。その後、マッカーサーの支持を得て、佐藤尚武、槙原二郎ほか5人の国会議員が加入、一九五七年にはグランド・ロッジが設立され、近年までに十四のロッジ、約四千人の会員(内、日本人三百人)に及んでいると見られています。
しかし、こうしてフリーメーソンについて、表面的な歴史を追っても、結局、その内実はあまり良く見えてこないのです。実際、アメリカにおけるフリーメーソン員のように、科学技術の発展や慈善事業に尽くす人物も多く、その活動の真相は一向にはっきりしないのです。
例えば、エリー運河建設を指揮したデヴィット・クリントン、蒸気船の発明者ジョン・フィッチ、飛行機操縦士チャールズ・リンドバーグ、自動車の生産者ヘンリー・フォード、マラリア病院のジョン・ゴリー、他、アメリカの英雄とされる人物の多くがフリーメーソンであったとわれています。
ところが、シュタイナーや王仁三郎は、拡大していったフリーメーソン結社に霊的な意味での悪の作用を明確に洞察していたのです。
シュタイナーは、一九〇四年から神智学協会のドイツとオーストリア支部で、E・S(エソテリック・スクール=秘教講座)の総責任者として、数々の秘教講義を行なっています。そこでは、フリーメーソンの起源について、古代の「エジプトの秘儀」「ギリシアの秘儀」に遡り、「旧約聖書」や「マニ教」との関連について語られ、神秘的・秘教的な立場から詳細な解説が行なわれていました。
これは、シュタイナーの霊的使命を薔薇十字会の神智学にまで遡る時、薔薇十字会が「古代エジプトの叡智」と「キリスト教の救済思想」との間に深い関連があるためといえます。しかし、それは同時に、フリーメーソン結社の起源と重なる部分を明かすことにもなっていったのです。
シュタイナーの講義によれば、フリーメーソンの言い伝えの中では、エジプト・メーソンを初代王メネスにまで遡ることができるとされます。その初代王「メネス」の名はヘブライ語で「ミスラム」と呼ばれ、聖書のノアの子ハムと同一視されていました。さらに、「ミスラム」はエジプトの古名でもあり、メネス王に始まるエジプトの秘儀はアトランティス大陸に由来し、ここから一連の長い伝統が続いていると洞察していたのです。
この初代王メネスに始まるエジプトの秘儀は、その後、聖マルコによってキリスト教に改宗したエジプトの祭祀オルムスの手で、キリスト教に結び付けられます。そして、そこからエジプト・メーソンが始まったとされています。
一般的に、フリーメーソンが謎めいた秘密結社とされるのは、第一に、こうした古代エジプトや聖書の密儀に関わる儀礼が、通常の人々には秘密にされていたために、まったく理解されなかったことにその一因があるようです。
第二に、本来の宗教的意味を秘めた儀礼が時代と共にその意味を失ってゆき、最終的に単なる結社内の伝統的な形式としての働きへと、その次元を低下させてしまったことにあると考えられます。
シュタイナーは、一九〇二年から一九一三年の間、神智学協会に在籍していましたが、特に一九〇四年頃のシュタイナーは、多くの文献と霊的認識から、E・S(エソテリック・スクール=秘教講座)に「認識・儀礼」部門を設け、古代エジプトの秘儀を神智学会員の中にもたらそうとしていました。
そうした時、シュタイナーとマリー・フォン・ジーフェルス(後のシュタイナー夫人)は、一九〇五年頃に、ある筋から結社の指導を任されることになったといわれています。
そして、一九〇五年十一月二十四日、こうした二つの経緯から、シュタイナーは高位のフリーメーソン的結社として知られるメンフィス・ミスライム系の結社に伝わるミスライム儀式を「独自に行なう資格」を取得するために、神智学協会の名誉会員であったジョン・ヤーカーを通じて、その証明書に著名をしたとされています。
イギリス人であるジョン・ヤーカー(一八三三―一九一三)は、イギリスのフリーメーソンに影響を及ぼしていた人物ですが、アメリカではメンフィス・ミスライム系儀礼の至聖者として任命されています。
さらに、スコットランド系のメンフィス・ミスライム系メーソンにおいては、イギリスとアイルランドの大総長となり、一九〇二年に、ドイツにグラン・トリアンを設けたとされています。また、十九世紀末に流布した雑誌「ネフ」の発行者でもあり、著書に『古代における科学と宗教の秘密』『アルカン派――フリーメーソンの歴史の中で』『ソロモンの神殿に関する古代の伝説』などがあるとされています。
しかし、シュタイナー自身は、 「歴史的な結合を求めて自ら象徴的・儀礼的活動をするうえで必要な、純粋に形式的な資格以外、この結社から私が得たものは何もない。」 と断言しています。また、証明書に著名している間、それが仕来(しきた)りであり、自分が設立しようとしている組織には、ヤーカーグループから受け継ぐものは何一つないということを明確に語っていたとしています。
そのことについては、シュタイナーの自伝に次のように記されています。
「人智学協会の中には、一般社会との接触を度外視した組織が作られているが、この部門につて語るのは本書(自伝)の趣旨を逸脱することになろう。しかし私は、この際この組織の性格を一言述べておきたい。なぜならこの面について私を指弾する動きがみられるからである。
神智学協会で活動し始めてから数年して、私とマリー・フォン・ジーフェルスはある筋からさる結社の指導を任された。その結社は「古代の叡智」を具現化している礼拝儀式や古代の象徴を学を継承することによって維持されてきた。私はこの種の結社を真似て活動する気はぜんぜんなかった。人智学的な要素はすべて人智学独自の認識と真理を源泉とすべきであると考えていたし、またそうでなければならなかった。
しかし私は歴史的に与えられているものに、いつも敬意を払ってきた。そこには人類の生成過程において発生する霊が躍動している。それで私は、歴史的に既に存在しているものと――もし可能なら――新たに発生してくるものとが結合することに賛成していた。
それ故私は、ヤーカー代表される思潮に属していた前述の結社の免許を取得した。この結社には、いわゆる上級(ハイグレード)のフリーメーソンの作法があった。歴史的な結合を求めて自ら象徴的・儀礼的活動するうえで必要な、純粋に形式的な資格以外、この結社から私が得たものはなにもない。 ・・・(後略)」 (シュタイナー自伝・U、第36章)
「(前略)・・・ その後、歴史的に伝統を守るヤーカー・グループと提携した際、マリー・フォン・ジーフェルスと私とが署名した証明書をあげつらい、私たちを中傷した人々がいる。しかしそれは、中傷の種を捻り出すために笑止千万な事柄を真面目くさった顔つきで論じるようなものであった。
私たちは「書式」に則って署名したまでである。私たちは世間一般の手続きを踏んだのである。署名をしている間、私は能う限り明確に、こう言った。これはすべて仕来たりなのです、私は設立しようとしている組織には、ヤーカー・グループから受け継ぐものは何一つないでしょう、と。
後日、中傷者たちから引合いに出されたグループと関わりを持たなかたことは、今にして思えば実に「賢明」と言うべきであった。・・・後略」 (シュタイナー自伝・U、第36章)
当時、シュタイナーはE・Sの秘教講義の中で、現代のフリーメーソン系の結社は、「神的な世界から直接霊感を得ていた古代」から「物質中心的な世界観となった現代」に至る間に、『正しい内容を失った殻』や『化石化された植物』と表現されるような状態になっていると指摘しています。
特に十八世紀以降のフリーメーソンに至っては、ヨーロッパ中の結社の会員にさえ、本来の神秘的な事実を知る者が誰一人として存在していないことを洞察しています。
一方、シュタイナー自身は、神智学協会の中においてE・S(秘教講座)を三段階に分けて、
第一段階:『神秘学概論』を理解する。
第二段階:『いかにして超感覚的世界の認識を獲得するか』
を内的に学ぶ。
第三段階以降:『エジプトに見られるような古代の叡智』
を伝授する。
それと共に、形式だけを残して荒廃してしまったフリーメーソン系の結社の中に、古代の叡智を復活させ、未来の人類の進化に相応しい形で軌道修正をする必要性をも感じていたようです。
そのことは、一九〇四年当時の秘教講義 「秘密結社の基礎をなす外展と内展」 (神殿伝説と黄金伝説)の内容から汲み取ることができます。
なぜなら、シュタイナーはそれから十年の間に勃発した第一次世界大戦(一九一四―一九一八)に関して、そこにフリーメーソン組織の政治的な利害打算による働きかけをも洞察していたからです。そのため、戦時中のシュタイナーは、フランス革命以降、民主化と共にその裏で組織された結社が、近代の西洋の世界を完全に支配していることを明かしたのです。
以下は、シュタイナーが一九一七年一月八日の講義でフリーメーソンについて語った内容の一部抜粋です。
「ひとつの流れが世界中に拡がっていくとき、常にもう一方の流れがあって、はじめの流れを補完しているのです。歴史の上に緑の流れと赤の流れとが並んで存在するとき、人びとは通常、その一方の流れだけをみるように、暗示にかけられているのです。ニワトリの嘴(くちばし)で地面に線を引けば、そのニワトリは線に沿って歩きます。そのように人びとは、特に大学の歴史研究者は、一方の側だけに寄り添って歩いて、歴史の歩み全体を洞察する余裕を失っているのです。
民主主義の流れの背後に、さまざまな結社の、特にフリーメーソン結社の、オカルト的な力を利用しようとする流れが見え隠れしているのです。オカルト的な力を利用しようとする動機は決して精神的であるとは言えないのに、一見精神的なふりをしている貴族主義が、フランス革命で大きな役割を演じたあの民主主義と、手に手をとって発展してきたのです。
私たちが現代人にふさわしく、社会に参加し、社会の仕組みに通じたいと思うのなら、民主主義の進歩についてのきまり文句に目を眩まされてはなりません。ロッジの儀礼とその暗示的な力によって、支配力を少数者だけのものにしておこうとする働きに、目をしっかりと向けなければなりません。……
西洋近代の世界は、ロッジの支配力から開放されたことが一度もなかったのです。常にロッジの影響が強力に作用していました。人びとの考え方を一定方向へ向けるにはどうしたらいいのか、ロッジの人びとはよく心得ています。
今日はそのようなロッジのネットワークの一つひとつの結び目のことを述べたに過ぎませんでしたが、このようなネットワークはすでに出来上がっています。ですから、自分の好む方向へ社会をもってゆこうと思ったら、ただテーブルのボタンを押しさえすればいいような体制が出来上がっているのです。」
(神殿伝説と黄金伝説)
以後、シュタイナーはこうした腐敗したメーソン系の結社のとの関わりの一切を断つと共に、政治や経済に対する新たな運動を展開することとなったのです。そう考えると社会有機体三分節化運動の中で、「政治(権利)」、「経済」、「精神(霊)」、という三領域が危機的に混淆している点を上げ、この三領域を独自に機能させる点を強調したことは、こうした民主主義の裏の支配体制の機能の分断を意図していたのかもしれません。
晩年のシュタイナーは、一九二四年六月四日に 「現代では、このような事柄はもはや時宜にかなっているとはいえません。なぜなら、このような事柄の何を拒否しなければならないのでしょうか。差別を、です。存在してはならないはずの精神的貴族主義が、すぐそこから立ち現われてくるからです。民主的な原則がますます重要になるのです。この原則は、フリーメーソン結社とも、特定の祭祀制とも、まったく両立しません。」 と語っています。
そして、こうしたシュタイナーの活動を追ってゆく時、第一次世界大戦の回避をするために、フリーメーソン組織に関わったと考えることもできるのです。それは、クリスティアン・ローゼンクロイツの転生した存在であるサン・ジェルマン伯爵が、フリーメーソンと関わる事でフランス革命を回避しようとしたことと同じような使命だったのかもしれません。
一方、出口王仁三郎に直接降ろされた筆先である「伊都能売神諭」には、次のように記されています。
「今に成りてからは、何程日本の守護神が焦慮(あせ)りたとて、最ふ上げも下ろしも成らん所(とこ)まで世が迫りて来たから、……世に出て居れる日本の守護神は、早く身魂(みたま)を研(みが)ひて、この結構な先祖から続いた国を守護いたさぬと、今度行(や)り損なうたら、万劫末代取り返しの成らん事になりて、世界は石屋(いしや=フリーメーソン)の自由にして仕舞はれるぞよ。今からでも日本の人民に気がついて……」
(一九一九年・大正八年八月十一日)
また、王仁三郎はユダヤ人の境遇を尊重していた人物でしたが、昭和十九年六月九日には 「ユダヤの三分の一が良いので三分の二は○いので、これがフリーメーソンをやっているのである。今の戦はこれがやっている。」 (○は伏字)とも述べています。その他、霊界物語にも次のように詠まれています。
国々の経済界を掻(か)き乱し
猶太(ユダヤ)の邪神はほくそ笑(え)みつつ
国といふ国はことごとマツソンの
経済戦に艱(なや)まされをり
内外(うちそと)の国のことごとマツソンの
毒牙(どくが)にかかりて苦しみ艱(なや)める
ここでいう、マツソンはマッソンと読み、フリーメーソンの事を意味します。したがって、王仁三郎も日本に居ながらにして、十分にこうした危機的な情勢を理解していたことは確かなのです。
そして、シュタイナーが先の秘教講義においてフリーメーソンについて語ったのが一九一七年であることを考慮すると、大本神諭にある次のような言葉も、フリーメーソンの活動を暗示していたとも感じられます。
「がいこくはけものの世、強いもの勝ちの、悪魔ばかりの国であるぞよ。日本もけものの世になりて居るぞよ。」
(一八九二年・明治二十五年旧正月)
「天の王の大神よりモウ一つ上へ上がりて、王の王に成りて、我の自由に致す目的を、世の元の泥海の折から広大陰険(どえらい)大きな謀図(たくみ)を今に致して居るが、天地の先祖の生神の其の儘(まま)で末代の世を守護(かま)わねば、此の世は他のミタマに世を持たしたら、世が途中に乱れて、持ちも降ろしも成らん様に成ると申すのが、今の事で在るぞよ。」
(一九一六年・大正五年旧十月二日)
そして、この「世の元の泥海の折りから広大陰険大きな謀図」とは、フリーメーソン結社がアトランティス時代の流れを汲み、紀元前四〇〇四年に組織されたという経緯、もしくは、さらに神代にまで遡った場合は、太陽紀や月紀の隋天使が生じた経緯を示しているのかもしれません。
シュタイナーは、一九一一年に「黙示録の神智学」と題して著書を出版しています。シュタイナーによれば、666の野獣はキリストの敵対者であり、太陽悪魔とも呼ばれ、黙示録の筆者は、400、200、6、60をいう数字でこれを表現していたといいます。
666 → 400 200 6 60
400 を 【タウ・Taw(自我)】 → T
200 を 【レシュ・Resch(アストラル体)】→ R
6 を 【ヲウ・Waw(エーテル体)】 → W
60 を 【サクメ・Samech(肉体)】 → S
666 = SWRT = ソラト
シュタイナーは、このソラトを「人間を唯物論の中で作用するアーリマン的な悪魔であり、太陽系で最も強力な悪魔の一つ」であるとしています。
アトランティス時代には、人間は七つの段階を通過しながらエーテル的なものを凝縮する際に、集合魂に七つの頭と十本の角を形成してきたのですが、それはエーテル次元のことであるため現在の肉眼にはそれは見えないとしています。
こうした霊的な人間形成の内容については、信じ難いものですが、シュタイナー以外の文献との符合点がみられます。例えば、エドガー・ケーシーや、ジェームス・チャーチワードの文献にもそれと類似し興味深いた記述があるのですが、それについては、第四章■二■(ムー大陸・レムリア大陸・アトランティス大陸)で、詳細に考察してゆきます。
現在の人間は、キリスト原則を受け入れる時、それらの動物的な獣性を克服することが可能となるため、特に信仰が必要なのだといいます。しかし、現在の人々が神や霊の存在を認めることなく、キリスト原則を拒んだままであるとすれば、第六根幹人類期に地球がアストラル的な状態に移行する際、そうした人間は七つの頭と十本の角を持った獣として霊視者の前に現われるというのです。
そして、遠い未来に地球紀から木星紀への準備をする段階で、この七つの頭と十本の角を持ったアストラル的人間が、人間の精神の気高さを逆のものに変えてしまうことで、霊的な力が低次の自我原理に仕えるようになったとき、二本の角を持った666の野獣が人類に対して勢力振るうのだとしています。
簡単に言えば、時代が進むにつれて道徳性を欠如した人間は霊的に野獣性を露呈し、その人間たちがソラトという悪魔に魅入られて神や人類に敵対する存在になってしまう可能性があるということです。
シュタイナーは、この霊的な力を物質的次元に誤用するという過ちを、黒魔術と呼んでいます。そして、この傾向は、白魔術を使用する者と黒魔術に使用する者とに、人類を二分するだろうとしています。そして、白魔術派は地球紀の次の遊星紀である木星紀を準備することができるとしています。
さて、この666の野獣に狙われる、十本の角を持ったアストラル次元の人間の姿ですが、これは、大本神諭の 「今の世界の人民は、服装(みなり)ばかりを立派に飾りて、上から見れば結構な人民で、神も叶わん様に見えるなれど、世の元を創造(こしらえ)た誠の神の目から見れば、頭に角が生えたり、尻に尾が出来たり、無暗(むやみ)に鼻は斗(ばか)り高い化物の覇張(いば)る暗雲の世になりて居(お)るぞよ。」 (明治三十一年旧五月五日)という内容を想起させます。
これは、高次な霊的視点に立つと、悪に染まった人間は獣のような形相に映るという人智学的な解釈と一致しているともいえます。これについては、日本の伝統芸能である能における般若(はんにゃ)の面、また昔話の鬼や天狗の風貌などでも、容易に想像できるかと思います。
一方、出口王仁三郎は、 『牛頭天皇と、午頭天皇』と題して、次のように述べています。
「牛頭天皇は素盞鳴命の御事であり、午頭天皇はマツソンの事である。牛頭とはソシモリと云う事であり、ソシは朝鮮語の牛の事である。モリは頭と云う事である。頭はまん丸くもり上がって居るから、さういふ意味でもり?と云う。牛頭(ソシモリ)これは前云ふ通り素盞鳴の大神の事であるが、マツソン(フリーメーソン)は大神様の名を僭(せん)して、まぎらはらしい午頭天皇などと云ふたのである。牛と午との違いである。」 (大正十五年五月・水鏡)
これを読んでも、フリーメーソンは、西洋の薔薇十字会の神秘学や東洋における宗教に似せた手法を組織の統制に利用しているように感じられます。
しかし、本来、素盞鳴尊の活動とは、国家や組織の間の「出雲八重垣」という柵(しがらみ)を、言霊によって和合させる(言向和す)ことにあるといえます。つまり、霊性や道徳性を重んじることで精神的調和と物質的な柵を取り除く霊主体従のやり方です。
これに対して、フリーメーソンはその柵(しがらみ)を巧みに利用し、これを武力によって制圧することで、自己の利益と地位を得て支配体制を確立することにあるわけです。つまり、武力や経済といった物質的な力よって、柵を取り除いて標的とする土地に寄生し、支配しようとする体主霊従のやり方なのです。
そのため、体主霊従の組織の支配にとっては霊的な認識は非常に邪魔になるため、霊的真実を物質主義的な学問によって消し去るよう画策しているという動きも見られます。
実際、一七二八年に刊行された『チェインバース百科事典』と一七五一年から七二年にかけてフランスで刊行された『百科全書』は、共にフリーメーソン員によって作成されたものとされているのです。つまり、民衆を物質的な唯物論に意図的に洗脳することで、世論を物質的に操りやすく誘導してきたとも考えられるのです。
王仁三郎は『六百六十六の獣』として、 「バイブルに六百六十六の獣と云う言葉があるが、これは三六(みろく)様に抵抗すると云う事である。○○○○の如きがそれである。もし其通りになつたら宗教は滅びる。宗教が滅ぶれば反乱が起る。六という字は神と人とが開くと云う字なので、即ち、ゝはカミ、一はヒト、八は開くと云う事である。」 (昭和二年四月・水鏡)とも述べています。
王仁三郎の孫であり、王仁三郎研究の第一人者でもある出口和明氏によれば、○○○○とは、王仁三郎と浅野和三郎を不敬罪ならびに内乱罪で告発し、当局を刺激した人物の名前とされます。それは、理屈を並べた法律を悪用し、霊的真実の普及を阻もうとする人間の象徴であると言えます。仮にそうだとすれば、素盞鳴尊が退治した八又大蛇とは、現代においては科学的な唯物論を広めたフリーメーソンのような結社といえるのかもしれません。
もちろん、フリーメーソンの結社のみが、666の獣と結ばれているわけではありません。ただ、現実界においてのフリーメーソンという秘密結社には、霊的な次元でアーリマン、ソラトといった悪霊の働きかけがあることは、王仁三郎やシュタイナーの言葉から十分に感じ取ることができるのです。
実際、先の 「民主主義の流れの背後に、さまざまな結社の、特にフリーメーソン結社の、オカルト的な力を利用しようとする流れが見え隠れしているのです。」 というシュタイナーの言葉は、自身は黒魔術を駆使して霊的にも物質的にも実権を得ようとし、民衆にはこれを覚らせないように物質主義的学問を普及させることで洗脳し、その支配体制への反発を欺(あざむ)く行為であると解することができるのです。
そして、現代においても貧困層の人々の住む途上国の資源に目を光らせ、地域内の問題に軍事力を持って荷担し、聖戦の勝者としてその国の資源と武器による莫大な利益を握ってゆくという、巧妙な手段を利用する国家は存在しているはずなのです。
また、こうして得た膨大な利益は、国家ではなく一部の貴族的な富裕層の手に渡り、それが選挙運動やマスコミの抱え込みに強い力を発揮し、その地位を確固たるものにし、富の循環をさせているわけです。
しかし、こうした手口は、現在の日本においても一部の政界、財界、官僚の間の親密な癒着関係にも見られる傾向(型)であり、日本人はフリーメーソン結社や諸外国を悪く言えるような立場にはないのかもしれません。
フリーメーソンのような結社の過ちは、ルシファー的な支配欲と、アーリマン的な物質至上主義とが結びついたことによって、神霊に対する秘儀を誤用していったことにあるとも言えます。つまり、組織のためにルシファー的な黒魔術を駆使し、対外的にはアーリマン的唯物論を普及させ、そこで生じた対立に武力を用いるというわけです。
また、多くの著名人がフリーメーソンに加入していたことが世間一般に知られるという事実は、秘密が漏洩したのではなく、公に対してその正当性を誇示する手段であるとも考えられます。いうなれば、悪神の本性を隠す善神のマスクといえます。それはちょうど、通常なら見向きもされない商品でも、テレビや雑誌で有名タレントが使用していることが知れ渡ると、その商品の印象が良くなり、需要が急増するのと同じことです。そのため、フリーメーソンの末端の会員は、その本質を知らないで利用されているという可能性も十分に考えられます。
さらに、ゾロアスター教に由来するアーリマンという言葉や、ユダヤ教やキリスト教に由来するルシファーという言葉を日本の霊学に照らせば、ルシファーは金毛九尾の悪狐、アーリマンは八面六臂の悪鬼や大蛇に相当するのではないかとも考えられます。これは個人的な推測の域を越えませんが、ロシアでアーリマン的な唯物論が発生したことと、大本神諭の中でロシアが日本の領土を狙っているとしていることなど、符合する点があることは確かなのです。
ただし、こうした悪魔の手法はフリーメーソン的秘密結社のような大規模なものでなくとも、多かれ少なかれ私たちの日常の信仰心の中にも潜んでいるのです。実際、宗教やその宗派を問わず、布施や玉串といった金銭の額によって信仰心を計り、その度合いによって御蔭や秘教的内容を伝える傾向が強い教団や、地位が上昇してゆく教団も存在しています。
また、団体に芸能人や政治家を招待し、その教団の正当性を世間に誇示する教団もあります。ことろが、政治家も選挙の投票を集めるために、宗教団体を利用しているために双方の利害関係が一致しているので、この強い関係を切ることは非常に難しいのです。その意味でも、政治、経済、精神(信教を含めて)は、明確に三分節化するべきなのかもしれません。
しかし、宗教における呪術的な力を、多額の玉串や賽銭を積んだ信者や、地位のある政治家だからという理由だけで施すとすれば、もし、仮にその富者や政治家の人格に問題があった場合には、その宗教団体は悪に荷担する黒魔術的組織だといわれても仕方がないはずなのです。
また、個人においても金銭の額が信仰心の強さの目安となり、お布施の額によって信仰心を満足させてしまう恐れがあります。もし、そうであれば、高額な神具や仏具を複数手にすることによって救われたと思い込むようになり、最終的には詐欺だと感じて、神や教祖を怨んだり呪ったりすることのないように注意すべきです。
人智学に照らせば、秘教的内容の伝授は人間の魂的修行の段階に応じて為されるはずのものであり、金銭の額や信仰の年数に応じて霊的な向上を計る秘儀を伝授するという趣向は、どう考えても真に霊的な導師とは言い難いのです。大本や人智学協会においては、その真実の大部分は公開されている書物に書かれているわけであり、何より重要なのはその真意を掌握するために「自己の身魂を研くこと」であるわけです。
一方、大本神諭にも、 「今度の大峠を越すのは、金銀では越せんぞよ。」 (明治四十一年旧八月十四日)と書かれていますが、こうした身近なことにこそ、私たちは心すべきはずなのです。また、私たちは切ない恋愛の願いを叶えようと、自分と意中の相手の仲をお守りや霊符に託すこともありますし、ギャンブル運を良くするために呪(まじな)いや風水や気学といった方位術を使うこともあると思います。
もちろん、どんな願望を持つ事も人間には自由なのですが、それによって他人が束縛され、他人が損をするような結果を招くとすれば、それは一種の呪(のろ)いであり黒魔術だといえるはずです。もちろん、気学や風水とは、天地自然の理に沿った生活を送ることでもあるので、それ自体が一つの信仰ともいえます。
実際、エジプトの死者の書においても、「霊は原則として霊界のどこにでも行くことができる。しかし、ある特別の時には東へ行くな西へ行くなといった禁忌(タブー)がある。これをおかすと自分自身もひどい苦しみに会ったりするばかりか、周囲への秩序がこわれて他の霊にも被害を及ぼすことが少なくない。」 (世界最古の原典エジプト死者の書)とも記されていることから、こうした法則性は古来からあるものと考えられますし、また自分自身だけではなく他人のために利用するべきものであることがわかります。
ただし、出口王仁三郎は、方位学に心を囚われないように忠告しているます。
そのため、呪術や方位学とは陽の意味では自己の魂を祓い清め、神の内流を強めることによって、周囲に良い影響を及ぼし徳を積むことで運を良くし、陰の意味では先祖への供養によって感謝を示すことで厄災を避け、周囲に迷惑を掛けないために活用するべきなのかもしれません。
その反対に、自分に降りかかった災難を全て他人の責任として、霊的な呪術で恨みを返そうとする場合もあるかもしれません。しかし、その災難が自分の前世で犯したカルマが原因で起きたとすれば、その恨みは「人を呪わば穴二つ」というカルマの法則によって、再び自分に返ってくるはずです。つまり、たとえ現実的に相手が悪かったとしても、それをいつまでも恨み呪うとすれば、それも一種の黒魔術だということです。
結局、霊的認識の無い無知な人間同士が、双方の被害を全て恨みで返していたら、最終的には殺し合いになり、双方共に死後も成仏できずに相手の家系を崇る祟り霊や、物質的執着による自縛霊となり、共に苦しむだけなのです。そして、前世の負のカルマと人間関係の問題の解決を全て来世に持ち越すことになるはずです。
このように、一見すると神仏に対する熱心な祈願や信仰と思えるもにの中にこそ、実は最も恐ろしい悪魔を呼び寄せる念を発している場合があることが解ります。シュタイナーは一九一〇年五月二十八日の「個人のカルマと共同体のカルマ――人間のカルマと高次存在のカルマ」の講義の中で、次のように述べています。
「たいていの人は、一種の宗教的な利己主義に安住しています。宗教を通して、ひたすら我が身の平穏無事を祈っているのです。その利己主義は、それを祈る人には全く意識されていませんが、最大限の欲望がその中に働いています。私たちが情熱や欲望から神を求めるとき、そして認識の光で神を照らそうとしないとき、ルツッィフェル(ルシファーのこと)が私たちの感情に働きかけるのです。」
(カルマ論・第十一講)
さらに、1907年のベルリン出の講義の中で、シュタイナーは次のようにも述べています。
「さて、今日しばしば祈りとみなされているものは、原始キリスト教的意味で、そして少なくともキリスト教的宗教の創始者であるキリスト・イエス自身の考える意味で、祈りとみなされうるものでは全くないということを、まずはっきりさせなければなりません。
もし誰かが、自分の個人的で利己的な願望をかなえるような何かを自分の神に乞い求めるならば、それは真のキリスト教的意味では決して祈りではありません。もし個人的な願望の成就を懇願し、乞い求めるならば、当然ながらその人はまもなく、祈りをかなえるためにあたっての普遍性と広がりを無視するようになります。その人は神が自分の願望を特別にかなえると決めてかかります。
果実を栽培する農夫は多分日照りを必要とします。一人は雨を祈願し、もう一人は日照りを祈願します。さて、『神的な宇宙秩序と配慮』はどうしたらいいのでしょうか? もし二つの軍勢が対決していて、それぞれ自分たちに勝利を授け給えと祈り、それぞれ自分たちの勝利が唯一正当であると考えるなら、神的な宇宙秩序と配慮はどうしたらいいのかと問う場合も同じです。
このような個人的願望から発した祈りが普遍性と一般的な人間性をどれほどわずかしかもっていないか、そして神の側としても乞い願う者たちのどちらか一方しかかなえてやれないということが、すぐにわかるでしょう。
このようなやり方で祈るとき、人はキリスト・イエスが全ての祈りにおいて支配的になるべき基本的気分を示したあの祈りを無視しているのです。それは「父よ、この杯が私のかたわらを通り過ぎるようにしてください。しかし、私のではなく、あなたの意志が行われんことを」という祈りです。
これがキリスト教の基本的な祈りの気分です。何を懇願し乞い求めるにせよ、もしキリスト教的に祈ろうとするならば、この基本的気分が明るい色調として祈る人の魂の中にいきていなければなりません。・・・後略」
(主の祈り R・シュタイナー 輿石祥三 訳 涼風書林)
そして、この「父よ、この杯が私のかたわらを通り過ぎるようにしてください。しかし、私のではなく、あなたの意志が行われんことを」という祈りを、日本の神道の言葉で表現すれば、「惟神霊幸倍坐世(かんながらたまちはえませ)」といえるのではないかと思います。
一方、大本神諭でもこうした傾向について、次のように記されています。
「神を拡めると申して、何を拡めるのじゃ。神が見て居れば、我身の田へ水引ひく信心斗(ばか)りじゃぞよ。慾信心じゃ。何時つも申す通り、信者の奪り合い致して、修羅らを燃やして、我身の為の慾信心じゃ。それでは綾部べの元が御苦労じゃ。」
(明治三十三年旧九月六日)
「我身の心で、霊主体従になろうと体主霊従に覆ろうと、それは我心であるぞよ。心が恐いと申してあるが、何卒悪の鏡にならん如(よ)うに、善一つに心を揃えて下されよ。」
(明治三十六年六月十二日)
「何もお筆先通りに、世界が廻(せま)りて来たから、向(この)后(さき)は各自(めんめ)に吾身の心を考えて見て、心の事を、自己(わ)れが審判(さにわ)を致すように成らんと、お陰は取れんぞよ。神は何程でもお陰は渡すから、お陰取とるのは、自己れの心で取るのであるぞよ。」
(大正七年旧三月十五日)
つまり、まずは我が身、我が心を審判(さにわ)しなければ、知らず知らずに悪に荷担しているかもしれないということです。私たちはフリーメーソン結社の問題点について知った時、同時に自分自身の心の中にも同様の危険性が潜んでいることに気づく必要がありそうです。