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                The agreement of Rudolf Steiner and Onisaburo Deguchi
                   ルドルフ・シュタイナーと出口王仁三郎の符合
                                                                   咲杜憩緩

 ■一■ 血液と霊、菜食と肉食、酵素農法と    
               バイオダイナミック農法

 

第四章 序文

 

 一般的に、シュタイナーの人智学の内容が非常に難解と感じるのは、霊的な法則性や現象を、現実的な法則性や現象、歴史的史実に即した形式で表象することで、そこに深い関連性を示すことが試みられているからです。

 

 これに対して、王仁三郎の残した著書がにわかに信じ難い空想のように感じられるのは、軍事主義に拘泥していた当時の日本では言論の自由が阻害されていたという時代背景があったことと、時空を越えた広大無辺の神霊現の三界の関連性を老若男女を問わずどのような人々にも読み聞かすことができる形で表現しようと試みられているからだといえます。

 

 霊界物語にも 
 「  ――前略――         卑近な文句言の葉も  

    婦女子小児になるべくは   徹底させたき真心ぞ

    如何に名文卓説も        数多の人に解らねば

    夏木に囀る蝉の声        何の効果もあらざらむ 

       ――後略――」 
      (霊界物語 第二十六巻 巻末 跋)  とあります。

 

 そのため、王仁三郎独特の謎めいた足跡と著書の内容は、シュタイナーの人智学を通すことによって、その真実性をより確かなものにしてゆけるはずなのです。また、そうした違いに気付くことができると、弥勒菩薩に関わる事柄の他にも両者の語った内容に多くの符合点を見つけることができるのです。

 シュタイナーは、一九二二年にウィーンにおける東西会議に際して、次のようにも述べています。

 「東洋人には、『証明する』という感覚が全くない、彼らは観照を通して真理の内容を体験する。そして、知ったことを『証明しよう』としない。――西洋人はどんな場合でも『証明』を求める。彼らは外的反映から真理の内容を感知し、思考によってそれを解釈する。しかし、解釈したことを『証明』しなければならない。――

西洋人が、その証明によって真実の生命を採り出すならば、東洋人は彼を理解するだろう。東洋人が、真の目覚めの内に証明されえない真の夢(理想)を、西洋人の証明の限界の彼方に示すならば、西洋人は、人類の進歩の仕事における、自分のできないことができる協力者をとして、東洋人を迎え入れなければならないだろう。」
(ヨハネス・レーベン+アンドレイ・ベールィ著 シュタイナー入門・第六章)

 

 一方、大本神諭には、 「時節が近よりたから、一日も早く改心いたして、夢を醒(さ)まして下され。太初(もと)の地を拵(こしら)えた生神(いきがみ)は残念なぞよ。」 (一九一〇年・明治四十三年旧四月十八日)と綴られています。

 

 同様に、王仁三郎も霊界物語について、次のように私たちを諭しているのです。

 「夢ならば いつかは醒めよ 夢の世の 夢物語 聞いて目さませ」
                      (霊界物語 余白歌)
                  

 「――前略―― 瑞月霊界物語  厳の御霊の御諭を

   並べて一々読みゆけば  たちまち迷夢は醒めわたり

   瑞の御霊の世を救ふ  清き神慮を悟るべし――後略―― 」                                                 (霊界物語 第二十六巻 巻末 跋)

 

 以上の言葉を受けて、第四章では多くの符合点の中から現代の考古学、歴史、天文学、科学といった手段では証明が不可能な内容を抜粋し、両者の言葉から霊的な真実性を証明することを試みています。これによって、私たち東洋人は、『真の目覚めの内に証明されえない真の夢(理想)を、西洋人の証明の限界の彼方に示すことができる』のではないかと思うのです。

 

(1)血液と霊、菜食と肉食について

 出口王仁三郎は、三境の中で霊的な観点から、大本信者の病気や疾患の改善のために、当時の民間療法や養生訓ともいうべき数々の治療方法を述べています。その中で、ここでは特に 『霊と血液』 と題して、述べた内容について取り上げてみましょう。

 

 「霊は血液を機関として居る事は毎度云ふ通りである。水死者などが死後数時間を経過したる後、父母兄弟など身寄りの者の来る時は、鼻孔等より血液の流れが出づるものである。之は霊と霊との感応作用が起るからである。」 (昭和八年八月・玉鏡)

 

 さらに、『血』 と題して、次のようにも述べています。

 「血の色は心の色である。赤き心などと昔からいふが、赤血球は霊そのものである云うてもよい。心の変化は直ぐ血の色に影響するもので、羞恥心の念が起ると一編に顔色が赤くなり、心配事に遭遇すると蒼白色になる。其度毎に血液は色を変ずるのである。ふとした出来事より悪漢が善心に立ち帰ると云ふ事があるが、其時はパッと一度に血液が色を変ずるので、面が輝いて来るのである。」 (昭和八年八月・玉鏡)

 

 一方、シュタイナーは晩年、医学に対しても非常に大きな貢献を果たした人物です。特に、オランダの女医イタ・ヴェックマン博士の働きかけにより、ゲーテアヌム近くの村アルレスハイムに臨床医療研究所を設立するなどし、晩年の四年間は医学生を対象に専門的な講義も行なったほどでした。そして、最晩年には、イタ・ヴェックマン博士との共著 『霊学的認識による医療の拡充のための基礎づけ』 を出版しています。

 

 また、シュタイナーのこうした功績は、現在の株式会社ヴェレダA・Gの前進となる新薬の製薬所の設立にも大きく関わっています。そして、現在でも株式会社ヴェレダは、スイスのオーガニック化粧品やホメオパシー製品などを生産し、日本にも流通しています。

 

 次の血液に関する内容は一九一一年三月に、プラハで開かれた医学問題についての講義 『オカルトの医学』 の八回の連続講義、第五講の一部です。

 「……ここでは、人間のすべての他の組織ができ上がったときに、人体は血液循環を取り入れることができ、血液を持つことができ、自分の内部に自我の道具を持つことができた、と申し上げておきます。」

 

 「私は、通常の科学が羞恥心や不安感に際しての顔面の紅潮化や蒼白化について述べている空想的な理論をここで取り上げようとは思いません。ただ、恐怖や羞恥心のような体験には自我体験がその根底にあることに、そのような体験が血液に影響していることを示唆するだけに留めておこうと思います。

 

 恐怖に襲われるとき、私たちはいわば私たちに向かってくると思われるものに対して自分を譲ろうとします。ですから私たちの自我は急激に退こうとします。羞恥心を持つとき、私たちはできたらどこかへ出て行って、自我を消してしまいたい、と思います。

 表面的な事実だけに限れば、いずれの場合にも、肉体上の道具としての血液が物質的に、自我の体験に従おうとする働きを見せるのです。自分を脅かそうとするものからできるだけ離れて、自分の中に閉じ篭ろうとする恐怖心や不安の感情の場合、人間は蒼白になります。血液が内なる中心へ向かって退きます。

 恥ずかしさのあまり隠れたり、自分を消してしまおうとするとき、自分をなくしてどこかにもぐりこもうとするとき、血液は自我体験に従って周辺部にまで出ていきます。この点から見ても、血液が人間におけるもっとも規定されやすい組織であり、すぐに自我の体験に従う、ということがわかります。」            (オカルト生理学)

 以上のシュタイナーの言葉と王仁三郎の言葉は、非常によく似ている事がわかります。勿論、王仁三郎は「霊」、シュタイナーは「自我」という言葉を使用していますし、「血液の色が変わる」という王仁三郎に対して、「血液が退く」とするシュタイナーとのニュアンスの違いはあります。

 

 ただ、昭和初期という日本の時代背景と、王仁三郎が当時、綾部の大本信者に対して話していたことを考慮すれば、意図的に優しく述べたとも考えられます。仮に王仁三郎がシュタイナーと同じ認識をもっていたとしても、王仁三郎はシュタイナーのようには語らなかったはずだろうからです。

 

 これはシュタイナーにも言い得ることで、シュタイナーの講義内容は、聴衆にとって必要な霊的認識を、聴衆に理解できる範囲で行なっていたことを考慮すれば、聴衆のレベルによっては王仁三郎と同じように優しく述べていたはずなのです。

 

 また、病気や飲食物についても両者は多くの言葉を残しており、特に、肉食については両者とも非常に似た見解を示しています。

 「秘教的な修行をすると、肉食の地上的な重さを、ほかの人々よりも敏感に体験するようになるのです。そして、なにより、肉食は本能的な意志を燃え立たせるのが体験されます、無意識に情念のなかを流れる意志のいとなみが、肉食によって燃え立たされるのです。ですから、好戦的な民族は平和を好む穏やかな民族よりも肉食を好むというのは、まったく正しいのです。」   (シュタイナー健康と食事・イザラ書房)

 「獣肉をたしなむと情欲がさかんになり、性質が獰猛(どうもう)になる、肉食する人は、本当の慈悲の心はもたない。神に近づくときは肉食してはよくない。霊覚を妨げるものである。」(昭和七年二月・玉鏡)

 私たちは、霊学や道徳的知識によって周囲への認識を変えてゆくことも大切ですが、その向上のために食生活を少しずつ改善してゆくことも有効だといえそうです。そして、シュタイナーは、霊的な側面から「肉食・ミルク・菜食」の三種に大別して次にようにも述べています。

 

○肉食をすると人間は地上に束縛されます。肉食をすると、人間は地上の被造物になるのです。『肉食の作用が身体に浸透すると、地球から解放される力を失う』と、いわなければなりません。肉食をすることによって、人間は地球と強く結びつきます。

 

○肉食への意思は、『天界を断念し、地球存在に没頭する』ということを意味します。

 

○ミルクを飲んでいると、自分が進化するための通過場所としての地球に属しているのを人間は感じます。

 

○ミルクを飲もうと決意することは、『わたしは地上に滞在し、地上で私の使命を果たそう。しかし、地上のためだけに存在するわけではない』ということを意味します。

 

○菜食をすると、人間を宇宙に結びつける力が刺激されます。植物を消化するときにおこなわなければならないことが、太陽系全体に含まれている力を刺激し、人間の物質体は太陽系全体の力に関与するようになります。菜食にすると、物質体は太陽系から疎外されないのです。

 

○人智学(アントロポゾフィー)的に努力している人は、熱狂的に地上的――人間的なものとの関係を取り除きたいと思うようにならないように注意するのが良いのです。ただただ魂の発展にむけて努力する変人にならず、人間的な感情、人間的な衝動から疎遠にならないために、ミルクおよび乳製品の摂取によっていくらかの重さを担って地上の旅人となるのが良いのです。

 

いつも霊的世界に生きることのみを願うのではなく、それと平行して地上での課題を果たし、地上から疎遠にならないようにしようとする人にとって、たんに菜食主義者であるのではなく、ミルクと乳製品も摂取するのはよいトレーニングになります。そうすることのよって、物質体は地上と縁続きのものになります。しかも、肉食の場合のように地上に束縛され、地球存在の重さを背負い込むということにもならないのです。       (上記全て: シュタイナー健康と食事・イザラ書房)

 ○ 「菜食しつつも、精神を高めようとしない人は、かえって不調和を招く」 と、シュタイナーは言う。精神性を高めるつもりがないのに菜食にしているのはどこかに無理があるというわけだ。 

        (シュタイナー式 優律思美な暮らし・西川隆範著)

 

 そして、シュタイナーの場合、飲食物については規制や禁止することはなく、その飲食物が人体や魂にどういった作用を及ぼすかという点を強調しています。一方、王仁三郎は、物品の少ない戦時中に、身近にある植物などを利用した民間療法的な視点で、疾患や病気を改善する方法を多く残しています。

(ちなみに、これはどうでも良いことですが・・・・・・私個人はできるだけ野菜や穀物を多く摂るようにしていますが、魚や鶏肉も良く食べています。また豚や牛等の肉は控えめを心がけていますが、ハム、ソーセージ、等の加工品、カレーや餃子などに混ざっているものも含めて多少は食べています。また、特に霊的な本を集中的に没頭して読み込もうとしているような時は、肉食をすると胃や後頭部などに重さを感じて体の具合が悪くなることが多いので、自然と肉を食べたくなくなってきます。逆に、仕事で体力勝負の日々が続くような時には、肉食を欲するようになるので、そういう時はハンバーガーや牛丼も時々食べることがあります。また、酒は飲めない体質なので飲みませんが、緑茶・抹茶が好きで、ブレンド茶、時々コーヒーも飲んでいます。タバコも全く吸わないです。最近は、健康と成人病予防のために、特に油に注意するようにしており、亜麻仁油を摂ることを習慣にしています。その他、体力勝負の仕事とスポーツが好きなので、ビタミン剤やミネラル、アミノ酸、EPA・DHA、アスタキサンチン・・・等々のサプリメントも交互に飲んでいます。)

(2)酵素農法とバイオダイナミック農法について 

 出口王仁三郎は酵素農法についても次のような言葉を残しています。

○ 『何も知らずに酵素をやっておるが、天恩郷の草が花の咲かない前に刈って酵素堆肥を作ってくれ』と(王仁三郎が)申されましたのでそのとおり致しました。
    
 (新月の光・下巻・第七章・「酵素堆肥」・昭和ニ十一年)

○ 大本農園に昭和二十一年酵素研究所がありまして、今日から申しますと、とても未熟な酵素肥料などを作っていましたら、聖師(王仁三郎)がおいでになって『酵素は天国の肥料だからしっかり研究するように、研究費は王仁が出してやるから』とまで激励されました。  
       (新月の光・下巻・「酵素は天国の肥料」・第七章)

○ 終戦直後すっかり生活に窮した愛知県の神官の人が、聖師に『どうしたらよろしいでしょうか』と御相談にみえますと「酵素を氏子に教えてやったらよい、ここで研究して帰りなさい」と申されましたので、研究室で数日勉強しまして、氏子の農民の人に酵素を教えましたので、産土様へ氏子が喜んで参拝するようになりましたので生活が成り立ちますし、その村は農業の改善が出来て、まったく一石二鳥でした。
         (新月の光・下巻・「神官と酵素肥料」・第七章)

 

 この農法に関しては、下記のHP【社団法人 愛みずほ会】に詳しいです。

社団の沿革   http://www.aizen-mizuho.or.jp/enkaku.html

愛善酵素農法 http://www.aizen-mizuho.or.jp/kousonouhou1.html

 

 近年、日本国内では特に「万田酵素」が有名で、特に農作物の育ちが飛躍的に高まることは、TVなどで度々放送されて話題になっていますし、ご存じの方が多いのではないかと思います。(私も万田酵素を購入して時々ですが観葉植物や花に与えています。ちょっと高価ですが1000倍希釈用なので長持ちしています。)

 

 一方、シュタイナーは、一九二四年六月七日から同六月一六日に、農業講座を開催しており、日本では「シュタイナー農業講座」として、序言の中で次のように語っています。

 「――前略――みなさんはここで一つのことを考えてみなければなりません。それは今日、実際には誰も、肥料を与えることについて、その本当の意味を理解していないということです。もちろん施肥は古い時代からの伝統にしたがって、直観的に行われています。しかし施肥の本質を理解するということは、今日、本当の意味では誰ひとりしていないのです。

 肥料が農業にとって何を意味するかを――霊的な立場からこれを把握する人を除いては――誰も知っておらず、また肥料がなぜある土地に不可欠であるか、そしてどのように扱われなければならないのかを知っている人もおりません。

 たとえば、私が話をしましたあの農作物の退化、ないしは品質の下落に決定的な役割を果たしたのが鉱物性肥料(化学肥料)であることを知っている人はおりません。なぜならば今日、だれでもごく単純に『植物の成長には、一定量の窒素が必要だ』と考え、この窒素がどのようにして作られ、どこから得られるかということにはまったく無関心でいるのです。

 ところが窒素がどこから得られるかはけっしてどうでもよいことではなく、じつは空気中に酵素とともにある生命のない窒素と、もう一つ別種類の窒素との間には、大きな違いがあるのです。みなさんは、生きて歩き回っている人間と、死骸つまり人間の死体との間にちがいのあることを、否定なさりはしないでしょう。一方は死んでおり、もう一方は生命をもち生き生きとした魂に満たされています。

 同様のことが、例えば窒素についても、またその他の元素についてもいえるのです。死んだ窒素というものが存在するのです。これは私たちを取りまく空気の中にあり、酵素と混ざり合っているそれであって、この窒素は私たちの呼吸作用、ならびに私たちと空気との共存の営みに、一つの役割を果たしています。 

この窒素は生命(いのち)をもってはいけないのですが、その理由は簡単で、もし私たちが生きている空気の中で生活することになれるとすれば、わたしたちはつねに失神状態でいることになるからです。空気が死んでいるということ、つまり酵素が死んでおり窒素が死んでいるということは、人間が空気中に住んで呼吸し、しかも意識をもち明晰に思索することできるための条件なのです。

 肥料とともに地中に入らなければならない窒素は、全宇宙の働きかけのもとで形成されねばならず、生命をもった窒素でなければなりません。

 このようにして相異なった二種類の窒素が存在します。一つは地球の表面より上にある窒素であり、もう一つは地球の表面より下にある窒素です。前者が死んだ窒素であり、後者が生きている窒素です。

 同様のことが、すべてに当てはまります。自然を養い続けていくために不可欠なものは、物質主義的な時代の進行とともに、完全に無知の領域の中に沈み込んでしましました。もっとも大切な事柄は、すべて知られていないのです。

 ざまざまな事柄はたしかに正しい本能のはたらきのおかげで伝承されてきてはいますが、この本能のはたらいはしだに消え去ろうとしています。伝統が消えていくのです。人びとは科学によって農場に施肥するでしょう。そうしてジャガイモも穀物もすべて、しだいに品質が悪化していきます。

 作物の品質が悪化していることは既に知られており、人びとはこれを統計的に認識しています。それにもかかわらず今日見られるのは、霊的な観照によってのみ得られる認識から出発している具体的、実践的な対策に対しての拒否反応のみなのです。――後略――」
         
 (シュタイナー「農業講座」・序言にかえて)

 このような認識を前提にして、シュタイナーは「バイオダイナミック農法」を提唱するのですが、(当方は勉強不足のため)ここでは『シュタイナー用語辞典』(西川隆範著 風濤社)の内容をそのまま転記させていただきます。

 「シュタイナーが1924年にコバ―ヴィッツで教授した農法(上記「農業講座」のこと)。雌牛の糞を雌牛の角に詰め、土に埋めて一冬越させ、それを水に入れて、ゆっくりと掻き混ぜたものを調合剤にする。

 石英や珪石の粉を水で練って牛の角に入れたもの、ノコギリ草を雄鹿の膀胱に入れたもの、イラクサを枯らして圧縮したもの、樫の樹皮を細かく砕いて家畜の頭蓋骨の中に入れたもの、タンポポの花を乾かして、牛の腸間膜に入れたものなども、一定期間寝かせておいて堆肥に混ぜる。そうして、星の位置を見ながら、種を蒔く日や 収穫の日を決める。

 

 ミミズなどは、大地の生命力を適度に調整するので大事な虫であり、鳥も、大気の雰囲気を適度に広めるので大切である。鳥がよい働きをするためには針葉樹林が必要だし、哺乳類には潅木が必要である。湿地性の草原があると、湿地草原に生えるキノコが有害寄生生物を引き付けて他所に生かせないので、有益である。

 

 黒穂病や落葉病の予防には、スギナ茶を薄めて撒く。害虫に関しては、捕まえておいた害虫を太陽から雄羊座(牡羊座)にあるときに、焼いたり腐らせたりして土に撒く(鼠は、金星が蠍座にあるときに皮をはいで焼き、その灰を土に撒く)。」  (シュタイナー用語辞典)

 

 この農法は講義の後に徐々に普及し、現在まで継続されているのですが、それについては『シュタイナー農業講座』(ガバーのそで)に書かれている内容を以下に転記させていただきます。

 

 「――前略――シュタイナーの『農業講座』が行われた1924年当時に結成された実験グループは、その後普遍アンドロポゾフィー協会本部ゲーテアヌムの自然科学部門と共同作業を続け、バイオダイナミック農法の理論と実践とを深めていきました。

 

 戦後再び世界各国で発展していったこの農法は、現在世界各地で営まれ、多数の実践団体・センター・研究施設が存在し、技術者養成コース・実践農家によるガイダンス等も常時行われています。日本でも熊本県阿蘇山麓でぽっこわぱ耕文舎が、バイオダイナミック農事暦ともいうべき『種まきカレンダー』を毎年翻訳出版し、日本の風土に合ったバイオダイナミック農法を実践されています。

 

 オーストラリア、ニュージーランド、アメリカ合衆国、ヨーロッパの農法はすでに良好な実績をあげており、ドイツやオランダなどでは環境を保全する農業として、公的機関の賛同を得て積極的に推進されつつあります。」 (シュタイナー農業講座)

 

 こうした実践的な取り組みついては、「シュタイナーのい学校・銀行・病院・農場」にも紹介されていますが、ここでは省略いたします。

 農薬や化学肥料の問題はずいぶん前から指摘されてきましたが、こうした問題を既に予見して、シュタイナーは1924年に農業講座を行い、王仁三郎も1946年に酵素の研究を指示していたことは、非常に興味深いことです。みろくの世の農業は酵素やホメオパシーの理論が活かされ、農業だけでなく自然環境の保全・再生にも役立つものになるのではないでしょうか。



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制 作:咲杜憩緩

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