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                The agreement of Rudolf Steiner and Onisaburo Deguchi
                   ルドルフ・シュタイナーと出口王仁三郎の符合
                                                                   咲杜憩緩

■二■ ゾロアスター教のミトラ神話と三千年の経綸 



(一)ゾロアスター教

 先に弥勒菩薩の名前の意味について、サンスクリット語のマトレーヤの音写であり、その語源が味方とか友人を意味する「ミトラ」にあり、これは古代イランのゾロアスター教の有力な神ミスラの語源でもあり、ヴェーダ文献においてもミトラ神として登場すると解説しました。

 

 そこで、弥勒の語源となったゾロアスター教の経緯を知ることで、ゾロアスター(一般的には紀元前六三〇年頃とされている)や、釈迦(紀元前五二五年頃)の時代に出生した弥勒が、菩薩となった時代背景の一端を追ってみることにしましょう。

 

 ゾロアスター教は、今日ではあまり知られていませんが、実は仏教やキリスト教に深い影響を与えたとされ、シュタイナーの人智学とも深い所で結びついています。実際、シュタイナーは、ゾロアスター教の神であるアフラ・マズダを、太陽神キリストと同一の存在だとしています。

 

 ただし、シュタイナーは、通常ゾロアスターと呼ばれる人物のはるか昔に、原ペルシア文化(紀元前五〇六七 〜 二九〇七年頃)を創始した原ゾロアスターという人物が存在し、その存在をゾロアスターと呼んでいます。

 

 そして、この原ゾロアスターが、紀元前六世紀頃にカルディアにザタラス(ナザラトス)と呼ばれた人物として生まれ変り、再来したとしています。よって、今日一般的にゾロアスターと呼ばれる存在と、人智学の(原)ゾロアスターとをはっきりと区別する必要があります。

 

 ・人智学における原ペルシア文化を創始したゾロアスター
                  →  紀元前五〇六七年頃

 ・転生したゾロアスター(ザタラス、ナザラトス)                        →  紀元前六三〇年頃

 ゾロアスター想像画

 一般的な歴史におけるゾロアスター教は、原ペルシアで発生しササン朝ペルシアの国教になっていましたが、イスラムによって追放され、今はイランにごく少数残っているほか、インドのボンベイとその周辺で二十万人程に信仰されているだけであると伝えられています。

 

 紀元前六三〇年頃のゾロアスター教の創始者ザラタスは、ペルシア語ではザラトゥストラとよばれた人物で、西北イラン、現在のアゼルバイジャン付近に誕生したとされています。

 

 この時代のゾロアスター教は、ザラトゥストラが三十歳のころ法悦状態で善の光明神である唯一神アフラ・マズタに感応し、これを啓示として以後この神の教えを説いた事に始まります。

 

 彼は四十二歳の時バクトリアの太守を改宗させて以来、イランのみならずその周辺にも教えを広めます。しかし、七十七歳でバクトリアに侵入したトゥラン民族に殺されたと伝えられています。

この時代のゾロアスター教は、善の光明神である火を崇拝するところから「拝火教」とも呼ばれています。また、善の光明神に対立する悪の暗黒神をアンラ・マンユ(人智学におけるアーリマンと同じ存在)と呼んでいますが、これはミトラ神話が前提となっています。

 

 このミトラ神話は、下記のように一万二千年を四分割した三千年周期で語られています。

 第一周期の三千年間
     「光明神アフラ・マズダによる原初の創造期間」

 第二周期の三千年間
     「アフラ・マズダの意に即した時代」

 第三周期の三千年間
     「善神と悪神とが入り乱れて混合する時代」

 第四周期の三千年間
    「アフラ・マズダがアンラ・マンユに勝利を収める時代」 

 ただし、神話における周期の考え方は、その神話が受け継がれた教派によって解釈が異なるようです。
 例えば、アフラ・マズダとアンラ・マンユの起源を、ズルワーン・アルカナ(創造される時間)に遡るズルワーン教では、一万二千年という世界周期の内容を、最初の九千年をアンラ・マンユが統治し、最後の三千年をアフラ・マズダが統治するとしているようです。

 

   

(二)ミトラ神話(アフラ・マズダとアンラ・マンユの戦い)

 ゾロアスター教にけるミトラ神話の内容には諸説ありますが、ここでは、その概要を簡単に辿ってみることにしましょう。

 

○三千年紀・第一周期

 

 太初に善神であるアフラ・マズダは無限の光明に、悪神であるアンラ・マンユ(アーリマン)は無限の暗黒に住していました。アフラ・マズダはアンラ・マンユの存在を知っていましたが、アンラ・マンユはアフラ・マズダの存在を知りませんでした。

 アフラ・マズダはアンラ・マンユから世を守るために不可視の状態で霊的に天と地とその間にある万物を六段階により創造します。アフラ・マズダは三千年間創造物を不可視の状態に置きますが、やがて創造物は不可視の状態から可視の状態に移行し、物質的世界が創造されます。

 

○三千年紀・第二周期

 

 この頃、世界は肉眼では見えない霊的世界から、肉眼で見ることのできる物質界に移行してゆきました。それと共に、万物も霊体から物質体へと顕現するようになりました。その時、アンラ・マンユは、数々の悪魔の軍団を従え、世界を侵略しようとしました。しかし、この時はアフラ・マズダによって悪魔の軍団は撃退され、深淵に沈んでいったのでした。こうして、三千年紀の第二周も平和な状態を保つことができました。

 

○三千年紀・第三周期

 

 悪魔の世界では、敗北して意識を失ったアンラ・マンユが、再び地上を支配しようと魔軍を率いて攻撃を開始しました。そのため、世界は暗闇の世と化してゆき、アンラ・マンユは優位に立つことになりました。そして、真水を塩水に変え、大地を砂漠に変え、木々を枯らし、原人と聖牛を殺し、聖火を煙で汚し、天球にも攻撃を加え星座を乱しました。

 アンラ・マンユは魔軍を引いて故郷に帰ろうとすると、守護神ワラワシらが天空の道を塞ぎ、九十昼夜の激戦の末に守護神ワラワシらは、アンラ・マンユらを地獄に落し、天上に累壁(るいへき)を築いて天を攻撃できないように封鎖してしまいました。しかし、地上は陰陽の二元性を持つものへと変わっていったために、現界は善悪が入り乱れる世になったのでした。

 やがて、大地には植物を育む守護神たちの働きによって、豊かになっていきました。聖牛は、月にひきあげられて、清められました。聖牛の種子が再び大地に降ると、男女の原種となりました。やがて大地には、動物が溢れるようになってゆきました。

 人間の種子は、太陽に引き上げられ、そこで清められました。原人の種子は、一本の人間樹(リーワス)として生えました。人間樹は、四十年間は茎が一本だけでしたが、次の十五年間には十五枚の葉を付け、マトローヤとマトローヤオが腕を互いの方の後ろにまわした姿で地球から生えていましたが、両者は植物から人間へと変化していったのでした。彼らはアフラ・マズダが、水や大地、植物、動物、星々、月、太陽を創造し、その法則を源として繁栄する全てを創造されたことを最初に語りました。

 しかし、やがてアンラ・マンユの虚偽によって、彼らの精神は腐敗してしまい、邪悪な霊が全てを創造したのだと話すようになり、邪道に転落してしまうのでした。こうして、人類はアフラ・マズダという存在を忘れ、世の中に暴力と悪意が蔓延(まんえん)していったのでした。

 そこで、アフラ・マズダの命を受け、ミトラは救世神としてアンラ・マンユと戦うことを受諾しました。ミトラは援軍を率いて正義を基準とし、虚偽を罰し、世界に公正さと正義を打ち立てました。

 そして、ミトラは人間の一生を見守り、善者をアフラ・マズダの光の世界に、悪者を奈落の底に突き落としました。こうして、世界は秩序と平和を取り戻しました。しかし、アンラ・マンユは、再び魔軍を結成し、ミトラの援軍と闘うようになると、世界はミトラの援軍である神族と、アンラ・マンユの援軍の魔族との戦の場と化してしまったのでした。

 

○三千年紀・第四周期

  

 第四の三千年期は、ゾロアスター教の教祖であるザラトゥストラの出現に始まり、現代もこの三千年期に相当するとされています。この時期は善と悪とが混合・分解する時期とされ、各世紀に一人の救世主が現れるとされています。

 アフラ・マズダは、光の輪を作るとそれをドゥグダーウという名の若い女性に宿らせると、その子はゾロアスターとして誕生したのでした。ゾロアスターは二十歳になると出家し、肉を絶つ生活を送り、三十歳になった頃、川辺でアフラ・マズダの使者、バフマンに出会うと、ゾロアスターに対して天地創造の経緯と世の終わりについて教えられ、善なる宗教を樹立するように命を受けたのでした。

 世の中の人々は魔族を崇拝するものに溢れていましたが、ゾロアスターは苦難に立ち向かいながら良き教えを広めていったのでした。 

 ある時、ゾロアスターはアフラ・マズダに不死を願うと、アフラ・マズダはゾロアスターに未来の象徴として、黄金・白銀・黒鉄・合金の枝が一本ずつ生えた木を見せたのでした。それぞれの枝は、段階的にゾロアスターの教えが悪魔によって失われる様子を象徴していたため、ゾロアスターは不安になりました。そこでアフラ・マズダは、自分の智慧を水に変えて、ゾロアスターに飲ませると、ゾロアスターは七日七晩の間智慧をさ迷った後、世の終わりについての黙示を得たのでした。

 その黙示では、この三千年期の終わりに最後の審判が行われ、彗星が天から降りて地上の全てを溶かし焼き尽くしてしまいます。しかし、善人にとってはこの火の海は温かい牛乳の中を歩くようであり、三日三晩持てなされて天国に赴きます。一方、悪人は火の海のなかで三晩焼かれた末に地獄に落ちてしまいます。その後、善神と悪神の最後の決戦が行われ、悪は全滅し、地上は完全な状態に復旧してゆきます。

 

 こうして、最後の審判によって世の建て直しがなされ、善神アフラ・マズダのみが支配する義の王国が地上に建設されることになるのでした。

 

(三)ミトラ神話と三千年の仕組

 

 ミトラ神話は、キリスト教やイスラム教、マニ教などの多くの宗教思想に多大な影響を与えていますが、実はシュタイナーの人智学や大本神諭、出口王仁三郎の言動との関連性も多く見出せるのです。

 例えば、三千年周期で変化する善神と悪神の状況などは、王仁三郎の「三千年、六千年、九千年に実る桃の時代」、シュタイナーの「三千年後の弥勒仏の出現の時期」とも無関係ではないと思われます。

 実際、大本神諭には「時節まいれば、何事も出来て来るのであるから、時節程恐き結構なことは無いと申すのであるぞよ。」 (明治三十六年六月十七日)といった言葉が度々登場しており、こうした言葉も国常立尊の三千年の仕組とミトラ神話との関連性を感じさせます。

 さらに、この神話にはゾロアスターが見たとされる未来の象徴として、「黄金・白銀・黒鉄・合金の枝」が登場します。そして、ゾロアスター教の場合、第四周期の三千年間を次のようにも分けています。

 金の時代・・・教祖にゾロアスター教が啓示された時代

  銀の時代・教祖を保護した王がゾロアスター教に帰依した時代

  銅の時代・・・ゾロアスター教を国教にしたササン朝時代

  鉄の時代・・・今日までつづくゾロアスター教の衰退時代

 

 一方、出口王仁三郎の場合は著書『水鏡』の中で「人間の霊魂」と題して、次のように語っています。

 「人間には元はよい魂が授かってあったがだんだん悪くなった。黄金時代は元は美しい霊であったが、世がだんだん悪くなって、白銀、赤銅、黒鉄時代と成り下がり、今は早や泥海時代となって居るから、今の世の中に生まれて居るものは、魂(みたま)が既に外部的状態を混じた善悪混合のものとなって居る。」
                  (一九二六年十一月)
 

 「また黄金は相応によつて天国の善を表はし、最太古の人のをりし境遇である。また白銀は霊国の善を表はし、中古の人のをりし境遇である。赤銅は自然界の善を表はし、古(いにしへ)の人のをりし境遇である。

 更に下つて、黒鉄時代を現出した。黒鉄なるものは、冷酷なる真を表はし、善はこれにをらない時代である。これを思ふに、現今の時代は、全く黒鉄時代を過ぎて、泥土世界と堕落し、善も真もその影を没してしまった暗黒無明の地獄である。・・・・・・」 
       (霊界物語 第四十七巻 第二十一章 その二)

 

 また、「霊界物語 第四十七巻 第二十一章 その二」をまとめるとおおよそ次のようになります。

 

 黄金時代  太古の人間は天人とたがいに相交はり相語り、天界と世間との和合は、彼らを通して成就した。自然的事物は、天的人間の思索をなすところの方便に過ぎなかった。

 白銀時代  天界の住民は、地上の人間と共におり、人間と交はることを朋侶(ほうりょ)のごとくであった。しかし、されど、以前のようには親密ではなかった。

 赤銅時代  相応はしらぬにはあらざれども、その思索は相応の知識に由らなかった。善徳は自然的なものであり、前時代の人のように霊的ではなかった。次第次第に外的となり、肉体的となり、霊界の事項も理解しがたくなっていった。

黒鉄時代  人間次第次第に外的になり、ついに肉体的となりをへ、従って相応の知識なるもの全く地に墜ちて、天界の知識ことごとく亡び、霊界に関するあまたの事項、おひおひと会得しがたくなっていった。

 そして、シュタイナーの場合は、ゾロアスター教の時代区分とは異なるものの一九一〇年一月二十五日『エーテル界へのキリストの出現』の講義の中で、各時代を次のように定義しています。

 

   黄金時代(クリタ・ユガ)      ―― 
・アトランティスの破局以前の時代

・人間はまだ神的・霊的な存在たちと一体であった

     白銀時代(トレーター・ユガ) ――
・古インド文化期・紀元前七二二七から前五〇六八年頃

・霊的な事実と、低次の霊的存在たちをまだ見ていた

    青銅時代(ドヴァーパラ・ユガ)――
・内的な個我意識・人間意識が強く現われてきた時代

・神霊世界の名残のみが存在していた

    暗黒時代(カリ・ユガ)          ――
・紀元前三〇〇一年から紀元後一八九九年までの時代

・外的な感覚世界と感覚印象を処理する悟性に制限された
・神霊世界については、思考できるだけとなった

  西暦一九〇〇年以降     ――
・ゆっくりと新しい心魂能力を人間に準備する時代

 

 この点においても、シュタイナーと出口王仁三郎の時代認識は符合していると感じられます。 

 

 また、これらの言葉は、古代インドの宇宙観として使われてきたもので、現実界における三千前年という概念を逸脱していますが、シュタイナーはその時代区分を自己の霊的認識から具体的に示しています。

 そして、現代において、もしも人類が唯物論に捕らわれずに霊的な認識を受け入れることが出来れば、今後二五〇〇年の間に人々はエーテル界にキリストの存在を見る能力を獲得して行くだろうと述べているのですす。
 

 また、シュタイナーは次のようにも説明を加えています。

 「これらの表現を、もっと大きな時空についても用いることができる、ということに注意しましょう。たとえば、クリタ・ユガという名称は、もっと大きな時空について用いることができます。黄金時代のまえに、人間はもっと高次の世界に関与しており、もっと古い時代をクリタ・ユガという名で包括できるからです。しかし、それほど広大な時空を見渡さず、小規模な認識で満足するなら、いま述べたように分割できます。」    (エーテル界へのキリストの出現)

 したがって、王仁三郎の霊界物語で触れられている黄金時代などの場合は、こうした「もっと大きな時空」と捉えるべきなのかもしれませんし、ミトラ神話における三千年という単位も霊的な大きなスケールで捉える必要がるのかもしれません。

   

(四)一八九九年に終わった暗黒時代

さらに、シュタイナーは先の講義の中で次のようにも語っています。

 「古代の予言者たちがいった暗黒時代は、一八九九年に過ぎ去りました。私たちの周囲には霊的な世界があり、その霊的世界は自らを啓示しようとしています。この霊的世界を知覚し、その啓示を聞き取るのが私たちの課題です。そのことを人智学は指摘したいのです。人智学が提出しているものは、ただ人類の問題であるだけでなく、宇宙全体の問題なのです。」 
   
(輪廻転生とカルマ・三重の太陽と復活したキリスト)

 

 「私たちは、非常に重要な移行期に生きています。重要なのは、私たちが暗黒時代の終了する時代に生きている、ということです。人間が新しい能力をしだいに、ゆっくりと発展させる時代が、今始まっています。人間の心魂が、しだいに別様になる時代が始まっています。

 しかし、多くの人々がそれに気づいていません。そのことに驚く必要はありません。西暦紀元の始まりにおいても、多くの人々がキリスト事件に気づかなかったのです。一八九九年にカリ・ユガは終了しました。いま、私たちは新しい時代の中に生きています。ここで始まるものは、ゆっくりと新しい心魂能力を人間に準備します。

 この心魂能力の最初の兆候は、個々の心魂のなかで、比較的速やかに気づかれるでしょう。一九三〇年代なかばに、その兆候ははっきりと示されるでしょう。およそ、一九三〇年から一九四〇年の間です。一九三三年・一九三五年・一九三七年が、特に重要でしょう。特別の能力が自然な素質として、人間に現われるでしょう。大きな変化が生じ、聖書の預言が成就されるでしょう。

 地上にいる心魂、そして、もはや肉体のなかにいない心魂にも、変化が生じるでしょう。心魂は、どこにいるかに関わりなく、まったく新しい能力に向って生きていきます。すべてが変化します。今日の最も重要な出来事は、人間の心魂能力の決定的な変化です。」
           (エーテル界へのキリストの出現)

 

 さて、聖書の預言の成就の意味は、第二次大本事件と密接に関連しているのですが、それについては後で(第二章■六■(三)(四))詳しく取り上げます。
 ただ、ここで注目したいのは、 「一八九九年にカリ・ユガは終了したこと」と、 「地上にいる心魂、そして、もはや肉体のなかにいない心魂にも、変化が生じる」 という洞察です。

 一八九九年とは出口王仁三郎が出口直と二度目の再会をして大本に加わった時であり、国祖・国常立尊が陰の守護から日の出の守護に移った時でもあったのです(本章■七■(二)参照)。

  

 つまり、大本の三千年の仕組の幕が切って落とされた年であり、それ以前の大本神諭の 「三ぜん世界一同に開く梅の花、艮の金神の世に成りたぞよ。梅で開いて松で治める、神国の世になりたぞよ……」 という明治二十五年旧正月の言葉は、このカリ・ユガの終了を預言していると考えられるのです。

 

 また、シュタイナーは、この一九一〇年一月二十五日の講義の中で次のようにも語っています。

 「しかし現代、人類にとって最も重要なこの出来事を人々が把握できない、ということが容易にありえます。以前よりも今のほうが、ずっと容易にそうなりえます。まだ影のように鈍い体験なので、それが現実の神霊世界の洞察であることを、人々がそもそも把握できないということがありえます。たとえば、危険な唯物論が地上に広まり、多数の人間がわずかな理解さえ示さない、ということがありえます。そして、明視力を有する人が愚かだとみなされて、精神病院に入れられることがありうるでしょう。」
           (エーテル界へのキリストの出現)

  

 これに対して、大本神諭にも、次のようにも書かれています。

 「世に落ちて居る出口直のような、無学のものに言わすので在るから、今の学の蔓こりた世の人民の耳へは這らんぞよ。」
            (一九一六・大正五年旧十二月三日)

 「何事も人民の目に見えず、耳にも聞こえぬ神の仕組は、人民の利巧や学や考えでは譯りは致さんぞよ。」 
           (一九一六・大正五年旧十二月三日)

 「神界の経綸を知らぬ世界の人民は、色々と申して疑えども、今度の大望は、人民の知りた事では無いぞよ。……」
           (一九一四・大正三年旧七月十一日)

 これを見ても、当時の日本の人々が、神霊的な明視力をまったく信じておらず、世の中が唯物論化していたことがよく分かります。この出口直の帰神は一八九二年(明治二十五)に始まったことを考えると、カリ・ユガの終了する七年前から、既に艮の金神、国祖・国常立尊は、何度も何度も繰り返し、人間の身魂を磨くことや、神が表に現われることを強調していたことになるのです。

 そして、シュタイナーが 「明視力を有する人が愚かだとみなされて、精神病院に入れられることがありうるでしょう」 と語ったように、出口直はその言動が警察や娘夫婦にさえも理解されず、明治二十六年(一八九三年)には放火魔と疑われ、四十日間座敷牢に閉じ込められて過酷な日々を送ったのです。

 

 さらに、シュタイナーは一九一〇年に 「地上にいる心魂、そして、もはや肉体のなかにいない心魂にも、変化が生じる」 とも語ったわけですが、一九一五年(大正四年旧六月八日)の大本神諭には、目に見えない心魂存在である「守護神」に対して次ように書かれています。 

 「何かの時節が参りて来て、御三体の大神様がお加護をやらんと、物事が遅くなりて居るから、守護神人民に分からんから、皆揃うて身魂を磨かんと、結構な事が目の前に見せてありても見えもせず、実地の事を、大出口直の手で大国常立尊が書く筆先を読みきかしても、耳へも入らんから、これから天の御三体の大神様の、直接のお加護が厳しくあるから、日本の守護神よ、改心を致して、日本の人民の性来を、元の大和魂に致さねば、日本の内には置かんことに規則を決定めるから、今度の規則は、上代(むかし)の規則よりも、モ一つ厳しくなるのであるから……。」

 こうして、今のうちに魂を磨いておかなければ、人間だけではなく肉体を持たない守護神までもが後々苦労することになると警告しているのです。

 シュタイナーは自伝の中で当時を振り返り、 「世紀の転換が人類に新しい霊の光をもたらすに違いないという確信が、当時、私の心をよぎった。私には、人間の思考と意志を霊から切り離そうとする機運が最高潮に達している、と思われた。人類発展の生成過程に激烈な変化が現われるのは、不可避であると思われた。」と綴っています。

 このことから、カリ・ユガの終わりとは、人間も守護神も共に霊的な日の出の時代の幕開けによって、今迄は黙認されてきた魂の穢れをや不道徳な行為が、露見されて許されなくなることを意味していると考えられます。

実際、ゾロアスター教の言葉には、 「フラショークルティ」 という言葉があり、これは通常「再編成」 とか「世界改新」と訳されるといいます。これなども、大本教の国常立尊の「立替え立直し」に通じるものがあるのです。

 

(五)シュタイナーの「魂の大樹」と、出口王仁三郎の「足魂・生魂」

 

 出口王仁三郎は、 「人間は木からうまれた」として、次のように語っています。

 「足魂(たるむずび)から生魂(いくむずび)が出る。大きな木が腐って人間が生まれた。恰(あたか)も小豆に虫が発生し、椚(くぬぎ)に甲虫(カブトムシ)が出来、また栗の木から栗虫ができるようなものである。」(一九二七年六月・水鏡)

 これなどは、現代的な常識で考えれば、到底信じることの出来ない内容ですし、通常は簡単に読み過ごしてしまう内容だと思います。

 しかし、ゾロアスター教に由来するミトラ神話では、三千年期の第三周期で、原人の種子が一本の人間樹(リーワス)として生え、そこから二人の人間が生れたという経緯があります。
※第二章 ■二■ (二)を参照。

 よって、ここにおいても霊的な次元で、王仁三郎とゾロアスター教の思想の符合が見られるのです。

 その反面で、出口王仁三郎はこうしたゾロアスター教の神話について知っていたのではないか、という疑問もわいてきます。これについては、霊界物語七十六巻において、「波斯(ペルシャ)の宇宙創造説」として語っています。

 この、霊界物語の中では、自らが語る『天祥地瑞』の宇宙創造と、天地開闢説の真実性を他の神話と比較するために紹介されたという理由もあり、その詳細には触れていませんが、王仁三郎が神話として当然のように熟知していたとことは確かです。しかし、この水鏡の言葉から推測すると、王仁三郎自身はこの人間樹を実際に霊的に見ていたと考えるべきだと思われます。

  

 一方、シュタイナーも『アカシャ年代記より』で、地球の第一小循環期(ポラール期)と第二小循環期(ヒュッペルボレイオス期)の解説の中で、人間樹(リーワス)に関連した興味深い言葉を残しています。

 「――前略――当時の人体を構成する素材が特定の大きさに達すると、それは二つに分かれた。分かれたそれぞれは元の構成体に似ていた。そして元の構成体と同じ働きをすることができた。

 ――中略――このように分裂した新しい構成体のそれぞれにも母体と同じように、魂がそなわっていた。特定数の人間の魂だけでなく、いわば魂の大樹ともいうべきものが地球に移されたことによって、このことが可能となった。

 この魂の大樹は無数の個別的な魂をその共通の根から出現させることができた。そこでは、同じ植物が無数の種子からその都度新たに発芽するように、同じ魂のいとなみが絶えざる分裂から生じる無数の萌芽となって別々に現れてくる。――後略――」

 このシュタイナーの「魂の大樹」という言葉などは、ミトラ神話よりも王仁三郎の表現に近いようにすら感じます。

 その他、先に金・銀・銅・鉄の時代について取り上げましたが、神智学的な解釈では金・銀・銅・鉄の別の意味も示されています。

 シュタイナーは、ゲーテの「緑の蛇と百合姫のメールヒェン」に登場する金、銀、銅、合鉄でてきた四人の王の像について、金を認識、銀を感情、銅を意志、合鉄をこれらが混ざり合った混沌とした状態として捉えています。そして、金銀銅を個々に独立した状態で獲得し、自分の魂の中で統一すればするほど、人間は自由な人格を獲得することになることを暗示させているとしています。

 さらに、シュタイナーは、認識(金)、感情(銀)、意志(銅)という言葉を、四つの福音書に照らし合わせて、次のようにも解釈しています。

◆ヨハネ福音書は、キリストの叡智の側面を秘儀参入者が書いたもの(思考・認識)・・・奇魂

◆ルカ福音書は、キリストの感情の側面を秘儀参入者が書いたもの(感情)・・・幸魂

◆マルコ福音書は、キリストの魔術的な側面を秘儀参入者が書いたもの(意志)。 ・・・荒魂

◆マタイ福音書は、三つの構成部分の調和的な形態を描いたもの(調和)・・・和魂


 これは、人間の魂体である、意識魂(肉体が自我によって変化したもの)、感覚魂(エーテル体が自我によって変化したもの)、悟性魂(アストラル体が自我によって変化したもの)とその調和に相応する心情魂(アストラル体の本体もしくは、自我)として考えることもできると思います。

 だからこそ、福音書は四つの観点から書かれる必要があったのだと、シュタイナーは語っています。

 

 そして、これを日本の神道の言葉にすれば、それぞれの福音書は奇魂(くしみたま)、幸魂(さちみたま)、荒魂(あらみたま)、和魂(にぎみたま)に相応させることができるかもしれません。



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制 作:咲杜憩緩

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